第Ⅲ話 魔族
この大きな島国は、人間の住む幾つかの王国と、魔族が暮らす国とに別れ、不可侵条約を結んでいる。さらに、試験的であるが共存する街が造られ、数年が経った。
強大な魔族の力と、貧弱な人間の力の差は歴然であったが、その差を埋めるため、王国では騎士団を結成し数で対抗したことから、現在の均衡のとれた関係が築かれた。
さらに、人間が極限まで修行してたどり着いた「執行聖女」と呼ばれる存在が、世界の秩序を維持するために布教活動をしている。
日没が迫る中、飛び散る火花、赤色、青緑色と美しくも見える。しかし、この輝きが消えた時、どちらかの命が消える。
短剣が、長剣を握る魔族の腕を切り裂いた。しかし、大きな傷口は、みるみるうちに塞がる。
「これが、人間を食った魔族の力だ」
魔族がニヤリとする。人間を食って強化した自分の力を、慢心している顔だ。
男が長剣を大きく振りかぶったスキに、素早いステップで男の懐に入り、すぐに離れた。
魔族の胸、心臓の部分がえぐり取られ……私の左手には、赤黒い肉の塊が握られていた。
「勝ったと思ったか? 言っただろ、俺は男爵だ、ニャハハ」
胸の穴を再生した魔族が、耳障りな声で笑う。男爵だろうが、私にとっては下級魔族だ。
この魔族は、弱点となる心臓を、どこか別の場所に隠している。
爵位持ちの魔族が、よく使う術だ。私に戸惑いはない。
私の左手首から伸びた細く黒い触手が……異世界の何かが、えぐり取った肉の塊を食べていることに、魔族は気が付かなかった。
《ヤツの心臓は、猫に擬態している》
左手の宝石が、魔族の記憶を読み、私にささやいた。
男の黒猫は、戦いを避け、路地の隅に隠れている。
《可愛い顔の猫だ。人間は見た目で判断するから、潰すことはためらうか?》
宝石のささやきを無視し、右手一本で男との斬り合いを続けながら、左手でポケットからコインを取り出した。
コインを、黒猫の近くに転がす。夕日を反射し、キラキラと輝くコイン……
黒猫が追いかけ、コインに近づいた瞬間、コインがはじけ、電撃が発せられた。
魔道具の狩猟用シビレコインだ。
私の左手首から、闇よりも暗いカゲがはい出た。
石畳の上を、素早く波のように動く。
先端が、黒いオオカミの顔に変化し、シビレて動けない黒猫を……食べた。
《男爵でも、魔族は味が濃くて美味いな》
左手首へ戻ってきた暗いカゲは、下級魔族の心臓を食べて、満足そうだ。
斬り合っていた魔族の動きが急に止まり、私の前にひざまずいた。
「……お前、シスターじゃないな」
魔族の息が荒い。
シスターとは、世を忍ぶ私の仮の姿……
「私はフェンリル、執行聖女だ」
魔族の顔が、恐怖で引きつった。執行聖女は、魔族を滅することが出来る。
魔族の足元で六ボウ星が輝く。
「痛みが強く長いほど、貴方の罪は浄化され、天界へと導かれます」
魔族が痛みで苦しみもだえる。
「お幸せに」
最後の祈りをささげると、魔族はチリとなって天に昇っていった。
《あの令嬢は、無事に逃げたようだな》
路地に令嬢の姿はない。魔族が私に注意を向けたスキに、とっくに逃げている。
《魔族と相対して、悲鳴を上げないとは、肝の据わった令嬢だな》
令嬢は、握った短剣で、戦うつもりだったようだ。
「紫の瞳の令嬢か……」
また、どこかで会いそうな気がする。
《今の魔族は、この街に人間を買いに来たようだな》
魔族は人間を食材にする。しかし、今は人工肉で代用できているはずだ……密売か。
この街のどこかに、人間を密売している奴がいるようだ。
私は、周りに目撃者がいない事を再確認し、安全に広場を観察できる場所を探す。
◇
「引くんじゃない!」
停車場広場では、カイゼルがゲキを飛ばしていた。この男、ワザと攻撃を遅らせているようにも見える。なにかを待っているのか?
伯爵は、彫像の陰に残っている。狙い撃ちされる場所なのに、撤退することは、恥ずかしい行為らしい。
戦闘は均衡しており、にらみ合いの状態だ。
襲撃者たちは、壊れた建物に隠れ、的確に攻撃してくる。
こちらの警備兵たちは、防戦一方だ。均衡を崩す何かが欲しい。
「警備署庁舎から応援が来たぞ!」
後方の警備兵が叫んだ。
見ると、多数の警備兵が武装し、駆けつけてきた。
停車場広場の近くに、警備兵の署庁舎があったのか。
「破!」
突然、伯爵が物陰から出て、ほえた。
広がる気合で、空気がビリビリと震え、襲撃者たちが潜む建物も震えてホコリが舞っている。
警備兵のバラバラだった隊列が立ち直り、私兵たちが、襲撃者たちの横へと回り込んだ。
これで、伯爵側が一気に優勢となった。
「バフ、私兵が回り込んできた!」
襲撃者が隠れている建物、壊れた窓から女性の声がもれ聞こえ、その声に、黒髪で黒い瞳の男が振り向いたのが見えた。
襲撃の攻撃を指揮していたのは、矢筒を背負うバフという黒髪の男だ。
「後退しなさい!」
また、女性の声が、バフへ指示を出した。
さっきの令嬢の声に似ている。
「分かった、ライザ!」
襲撃者のリーダーは、ライザという女性だった。
《双方のあんな攻撃力で、王国騎士兵は倒せないな》
また、宝石が、話しかけてきた。
剣と魔法に長けた騎士兵ならば、こんなしょぼい攻撃程度なら、くぐり抜けることができる。それでも、倒されたという事は、きっと、なにか事情があったのだろう。
《伯爵以外は、雑魚だ》
そうだな、私も同じ意見だ。
「滅!」
伯爵が、またほえた。
小さいが数えきれない火炎球が、襲撃者が隠れる建物に撃たれた。
シラミ潰しだ。建物の壁一面に着弾、炎が広がる……
あれ? 襲撃者を一掃できるだろうが、回り込んだ私兵も、炎に巻き込まれている。
「シンガリも撤退しろ!」
建物の中、襲撃者のリーダーの女性の声だ。
警備兵には、建物の中の声が聞き取れないようだ。私は、人並み外れて耳が良い。
壁面が焼け焦げた建物から、外に向かって何かが投げられた。
石畳に転がったのは、小さな筒だ。
――ブシュー
音を立てて、白煙が噴き出す!
さらに、筒が投げられ、辺り一面が白煙に包まれた。
《煙幕か、見事な撤退だな》
この煙幕は、視界も遮られるが、臭くて匂いまで遮られるので、私は嫌いだ。
◇
「警備兵は、状況を確認しろ!」
カイゼルが指示を飛ばしている。
「私兵は、捕らえたテロリストを連れて来い!」
逃げ遅れたテロリストが、捕らえられていた。
「シスター・フェンリル、先ほどはありがとう、感謝します。お怪我はありませんか?」
伯爵が私に近づき、にこやかに、しかし、こめかみだけは不満げに、お礼を言ってきた。
「暗くなってきた。これから、女性一人で夜道を歩くのは危険だ」
伯爵は、飛んできた矢をつかみ取るほどの技を持つ私のことを、本気で心配しているのだろうか。
西日の眩しさは消え、たそがれ時となった。停車場広場は薄暗くなり、空が黄金色に輝く。
広場に少しばかりあるガス灯に、明かりが灯った。
街の両脇にある小高い山は黒く闇に染まったが、山の中腹に見える貴族の城には、コウコウと明かりが灯り、少しオレンジ色のまばゆい光が天に向かって伸びている。
「ベルゼ伯爵、屋敷の馬車です」
伯爵の馬車が、広場に歩み出てきた。
駅馬車が到着する前に、路地裏へ控えさせてあったようだ。見た目は普通だが、馬力のある六頭立てである。
「助けてもらったお礼に、聖堂まで馬車で送りましょう」
御礼だと言われたが、あの時、伯爵はワザと矢に当たるように動いていたことに、私は気付いている。
あの矢の射線は、伯爵の心臓を背中から狙っていたが、伯爵はスッと小さく動き、肩に当たるようにしたのだ。
当たっていれば、伯爵は致命傷ではないが、テロリストは、貴族を傷つけた重罪に問われ、改革の協力者が離れ、さらに、王国の騎士団が制圧に動くだろう。
あの時、私は反射的に動いたが、伯爵の計画を邪魔したのかもしれない。
「カイゼル君、屋敷の馬車で、彼女を聖堂まで送り届けてくれ」
伯爵の馬車を私が使う? ずいぶんと丁寧な待遇だ。
「私は、食事の準備をしてから、屋敷に向かう」
伯爵が食事の準備とは、どういうことだ?
カイゼルに案内されて、屋敷の馬車へ向かう。
「あの方は?」
離れた場所で、私兵たちに、一人連行されていた。
「捕らえたテロリストです」
よく見ると、手錠がはめられている女性だ。
彼女の左手の薬指に、エメラルドの指輪が見えた……婚約指輪だ。結婚が近い女性が、伯爵を襲撃するとは……これが現実というものなのか。
「くたばれ、化け物!」
彼女は、伯爵を侮辱した。これは、不敬罪の現行犯で投獄される。
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