幸ふ国 ~さきわうくに~

モネ

第1話①

「これで全国ツアーも最後の曲になりました! 

 これまでやってこれたのも、会場に来てくれたファンのみんなや、バックダンサーのみんな、マネージャーさんだったり音声さんだったり、

 照明さんだったり会場のスタッフさん達やそれから———」

 

「「「キリがないですよ天音あまねさん!」」」

 円陣を組んでいたバックダンサーが、一斉に言葉を遮った。

 

「もうそろそろ時間です!お願いしまーす!」

 もう時間が来てしまった。最後にこれだけは言っておこう。


 「皆さん本当にお疲れ様でした!絶対また一緒にやりましょう!次はドームだ!」


 会場が揺れるほどのアンコールの声に負けないように、且つ声が潰れないほどの声量で叫んだ。

 喉が潰れるのは最後の曲を歌ってからだ。

「皆さん今日は来てくれて本当にありがとうございまぁす!これで最後の曲です。

最後はみんなで歌って締めるぞォ!」




 ————最後のライブが終わってしまった。




 疲れと車の揺れの相乗効果で、いつ意識が飛びそうかわからない脳にマネージャーさんの声が響く。

「今日はもうホンっトにサイコーのサイコーでした!今日はどころか明日も多分寝られませんよ! 」

 

「ありがとうございます……よかったです……慶呼けいこさんも今までサポート本当にありがとうございます……

 ここまでライブが成功したのも、慶呼けいこさんのおかげですよ……」

 眠い目を擦りながら答えた。ライブの後はいつも全力を出し切ったのか、眠くなってしまう。

 

「いやいや、私のがんばりなんて! ひびきくんの力ですよ! 今日の一曲目のダンスパートなんて———」

「あっ、ごめんなさい! お疲れですもんね。はしゃぎすぎました……!」

 申し訳なさそうに口を手で覆っていたが、手の上の目がさっきの言葉の続きを訴えていた。本当は自分も同じくらい嬉しさを体で、声で、顔で表現したいくらいだ。それくらい今日のライブは、いや今日までの全国ツアーは自分の歌手としての目標でもあった。


 高速道路をひた走る車の揺れが心地よい。もうすぐ夢の世界に行けそうだ———


 【――――け】


 誰かの声が聞こえたと思った瞬間、何かが衝突したような轟音ごうおんが響いた。


 「みんなお疲れ様でした!絶対また一緒にやりましょう!」

 夢か現か分からない空間で、この声だけが何回も聞こえた気がした。







 


 ――――ピー、ピー、ピー


 目覚ましにしては起きることが困難なくらいの音で目が覚めた。

 天井の模様を見て自分の部屋ではないということが直ぐに分かった。

 あまり嗅いだことのない匂いもする。

 息がし辛い。

 そもそも体が全くというほど動かなかった。

 

 日常ではあり得ない感覚と光景から、あの時自分は事故にあってしまったということに気が付いた。

 なにやら喉に凄い違和感がある。


 とても息がし辛い。


「お目覚めですか!よかったです。」

 目の隅に写った看護師さんが、心底嬉しそうに呟き、どこかへ駆けて行った――

 

院瀬いんせ区中央病院の、医師の山本やまもとです。天音 響さんですね? 当たっていたら、瞬きを2回してください」

 喉の違和感のせいでうまく声で返事が出来なかったので、とりあえず指示に従った。


 

「よかった。とりあえず意識の混濁こんだくはなさそうだ。」

 続けて隣の看護師さんに何やら専門用語のようなものをつらつらと伝えている。

「繰り返しになりますが、まずは無事目が覚めて本当によかったです。覚えているかはわかりませんが、高速道路で事故があり、天音さんは巻き込まれてしまったんです。幸い事故現場が病院の近場だったので、すぐ処置が出来ました」

 

 声色こわいろからして、安心している。と感じ取れた。とりあえず重症ではないと安心していいのだろうか。

「いいですか?まずは落ち着いて聞いて下さい。」


 ――心臓が一瞬止まったのと同時に、鼓動が早くなる不思議な感覚が襲う。


「天音さんは、事故により右上腕骨みぎじょうわんこつ右大腿骨みぎだいたいこつが複雑骨折しています。全治7か月。といったところでしょうか」

 ――全治7か月か。まぁ最悪だけどまだマシか。複雑骨折は同業の転鼓てんこさんもしていが、1年は松葉杖をついていたような気がする。全治7か月ならリハビリをすれば1年半くらいすればまた踊れるように――――――




「————それと、車が衝突した際に車のミラーが、その……喉の声帯に刺さり声帯が修復不可能なまでに損傷してしまっていました。放っておくと気道に影響が起き、最終的に自ら息が出来なくなる可能性が高かったため、



 

 し————」





 その後も事故の状況、手術の詳細、今後の話等をしていたような気がするが、何も聞き取ることが出来なかった。


「………………!」


 ――――本当に声が出せない。何を言わんとしているのか先生が察したのか、答えてくれた。

「近年は人口声帯の技術が進んでいます。例えば〈サイリンクス〉という人口声帯があります。これは従来の手で喉に機器を押し当てて発声する物と異なり、首に装着することでハンズフリーの状態で声が出せます。

 さらに音声も従来のものとは異なり、より装着者の声に近い声色を再現することもできます。」

 

「――――ただ天音さんの歌手の活動を続けるのは……」

 

 目の前が真っ白になった。というのはこういうことなの。なのだろう。

 

 

 もう誰かの前で歌うことが出来ない?

 今作ってる新曲は? 

 今後のライブは? 

 まだ完成していない新曲もまだ山ほどある。

 チャレンジしたい発声法だってあった。夢の東京ドームは? 

 みんなと約束だってしたのに。




 脳内に滝のように流れる未練に呼応するように、目の前の世界はぼやけていった。





 ———あれから5か月ほどたったが、生きてる実感はまだしていない。

 なんとか歩けるようになった。回復の速度に先生達も驚いていた。


 だが何も嬉しくなかった。

 

 利き手でギターをまたすこし弾けるようになった。幸い神経に影響は出なかったようだ。


 だが何も嬉しくなかった。


「外部には事故による後遺症により、歌手活動が困難になったため、引退すると声明を出してください」と事務所には伝えた。社長からは「また何かの形でうちに関わってくれると嬉しい」と言われた。自分に期待をしてくれた社長には申し訳ない気持ちで胸が張り裂けそうになる。

 

 作曲活動をして他の人に歌ってもらおうかとも考えた。でも他の人に歌ってもらいながら、絶対にこう思うだろう。

 

『自分がもし歌えれば』

 


 こんな気持ちで作る作品に人が惹きつけられるわけがない。歌ってくれる人に失礼極まりない。

 


 なにより、ライブの非日常感が忘れられない。自分の声に合わせて空気を揺らすスピーカー、地面が揺れる程熱狂してくれる観客、何千、何万人と一緒に歌っている時の一体感。ライブ後は強烈なほどの疲労感と眠気に襲われるが、それも心地のよい感覚だった。

 


 あれがもう一生味わえないなんて。

 


 自分が何者でも無くなってしまった。そう確信した。 


 これからどう生きていけば———答えのない疑問を幾度となく考える5か月だった。


 あの事故にあった中で、マネージャーの慶呼けいこさんはどうやら奇跡的に軽症で済み、無事早期退院できていた。

 会う度に「本当にごめんなさい。私がこうなっていれば」と、何度も謝ってくれた。

 

 『代わってほしい』

 

 ––––––その気持ちより無事だったことの嬉しさが勝ったので、まだ堕ちきっていないのかもしれないと、「気にしないでください」と書く自分を励ました。

 

 励ましてくれる事は他にもある。

 仕事仲間や友人が何度もお見舞いに来ては、音のない会話相手になってくれるのだ。今外の世界で流行っている物事やや、他愛もない世間話、入院中の暇つぶしになってくれる差し入れもくれる。

 

 今の自分の世界にも励ましてくれる存在はいる。同じ病院に入院しているファンの方達だ。

 

 今までにライブに足を運んでくれた女の子。

 いつも談話室でテレビを見ているおじさん達。

 いつもオセロをしてと、ねだってくる男の子。

 

「お前が何をこれからしようとも、応援してるぜ」

「ライブに何回も行ってました! これからも頑張ってください! 」

「あんたテレビでよく見る人だよな? 腐るなよ。今は谷だろうが、いつかきっと山がくる」

「お兄ちゃんがオセロしてくれるから病気も怖くない! 」

 

 本当にありがたい。彼らにもいつか必ず恩返しがしたい。

 何か今の自分でもできることを探さなければと、奮い立たせてくれる。

 

 


 それともう1つ。


「もしかして、歌手の天音響さんですか!?」

 病院の談話室で雑誌を読んでいるときに、彼女に初めて声をかけられた。詠宮 華子うたみや はなこさんと言うらしい。


 

 

「また会いましたね!今日はジャンプを読んでるんですね!私のおすすめは–––––」

 

 黒髪の、まるでシャンプーのCMのように綺麗な透き通った長髪で、その瞳はいつも吸い込まれそうになる。

 彼女はこんな状態の自分に、普通の人と接する時と変わらない態度で接してくれる。

 

 

 

「リハビリの前に天音さんといると、いつも痛みが和らぐ気がして……」

 

 自分だってそうだ。彼女が隣にいるときだけ頭の中に蠢く不安や身体の痛みが和らぐ。

 彼女との筆談はこの真っ白な世界の中で唯一と言っていい黒だった。

 




「お互い退院したらパーっと宴会でもしましょうよ!」

 

 彼女も事故にあい入院し、もうすぐ退院らしい。

 

 「まだ治らないでいて欲しい」


 ––––––この気持ちがほんの少し沸いてしまっていたので、やっぱり堕ちているかもしれない。



「明日で退院なんです! でもまだリハビリで通うので、寂しがらないでくださいね」






 ———その日の夜は初めて目の前が真っ白になった日くらい、白かった。


 明日から何をモチベに生きていけば……

 

 この傷の具合なら自分ももうすぐ退院できるかもしれないという希望と共に、そう何回も心で唱えている時、一瞬にして何やら目の前に広がる景色が薄く霞んだ気がした。


 眠くて目がぼやけてきたのか? そう思っていると、窓の外から声がした。





 【――――け】


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