野外調理
壱原 一
最近野外調理動画を見るのにはまっている。
しぶく清流の傍らで、岩や倒木なぞを台に、いかつい包丁や素朴な椀や葉っぱや枝を用いて肉の塊や釣った魚を下ごしらえする。
手際よく熾した焚き火へ無骨な鉄フライパンやアルミホイルの包みを投じ、そよ風や鳥の声や川の音を聞きながら、野趣と湯気と肉汁あふれる完成品にかぶりつく感じの動画だ。
雄大な自然の光景と、小気味よい調理工程と、漂う香気さえ感じられそうなシズル感満載の料理の数々。
特にお気に入りの海外の投稿者さんの動画群に出会ってからは、新着動画はもちろん、過去の多くの動画さえ遡って見漁っている。
寝る前にぼんやり見ていると、解放感と安らぎを得られて寝付きも寝起きも良い気がするし、翌朝は普段たべない朝ご飯を食べようかなと思えて活力にも繋がっている。
今夜えらんだ動画は、すかんと真っ青な青空に、胸の透く真っ白い雲がしみじみと沁みる。
雪を冠する山々をバックに、疎らな緑が茂る草原で、根雪を洗う湧水のせせらぎを汲み、切り株の上で生地を捏ねて焚き火でパンを焼き、淹れ立てのコーヒーを飲むなんてことをしている。ロマンだ。
心をときめかせてうっとり画面を眺めていると、ずしんと暗く落ち着いた山々の濃い緑色の木々の合間に、すこぶる目を引く異物を見とがめた。
なにせ人工的な紫と黄色。思わず一時停止して目を凝らすまでもなく人だった。
「ここに居るからな」と強く主張するビビッドな紫色のパーカーと、蛍光黄色のハーフパンツと、細かな柄が勢揃いした賑やかなレギンス、ごつごつした登山靴。真緑のニット帽を被って、栗色の髪をしているようだ。
飲食している投稿者さんのずっと遠く、斜め後方、鬱蒼とした森と陽の当たる草原の境界で、逞しい木の幹に寄り添って、投稿者さんの様子を窺っている風に見える。
人影はやがてぱっと両腕を掲げ、ぶんぶん振りながら投稿者さんの方へ走り始めた。時折からだを強張らせ、大きく口を開けているのが確認でき、大声を上げて駆け寄っていると分かる。
場所がら道に迷った人が助けを求めに来たのか。あるいは投稿用の動画撮影と察して、もしかすると投稿者さんのファンで、興奮して乱入を図っているのか。
動画のサムネイルもタイトルも説明も再生数も、投稿者さんの他の動画と変わりなかったので、まさか動画の終盤でこんな特殊な展開が待っているとは思わず、寝入りばなをくじかれた心地で動画を注視する。
少し音量を上げてみるも、人影が張り上げているらしき声は聞こえない。爆ぜる焚き火の音とせせらぎと葉擦れの音、そして投稿者さんが食事する景気のよいASMR(エーエスエムアール;快い生活音)が聞こえるばかりだ。指向性マイクという奴だろうか。
けれどもう疾走する人の目鼻が視認できるほど投稿者さんに近付いている。
投稿者さんは迫り来る紫と黄色の人を余所に、普段通りのんびりとなんとも美味しそうにパンとコーヒーを楽しんでいる。
走者の表情が浮き彫りになり始め、眉間を開いて眉を下げたきょとんとした印象の視線が、投稿者さんや焚き火やケトルを見ておらず、それらより少し斜め上の虚空をびゅんびゅん泳いでいると知れる。
見るからに平静でないのが明らかで、このまま焚き火に突っ込み、火の点いた薪や熱湯を満たしたケトルを蹴立てて投稿者さんに激突する未来図にぎゅうっと胃が縮まり冷や汗が吹き出し手が力んだ。
危ない!
瞬間、その人は焚き火を通り越し、投稿者さんの脇を駆け抜け、恐らくカメラにぶち当たって画面が真っ暗になった。
暗転の奥では相変わらず穏やかな自然音と食事音が続いている。
堪らずスキップを連打して画面が切り替わるのを待ったが、なんと動画はそのまま終わってしまった。
なにこれ。事故じゃんこんなの。
思い掛けずネットの闇に遭遇してしまった心境で恐々スマホの画面を切ると、真っ暗な画面に不機嫌な自分の顔が映り込む。
斜め後方の肩越しにニット帽が覗いている。
一挙に頭皮が汗ばんだ。
終.
野外調理 壱原 一 @Hajime1HARA
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