イセリアの閃光

つきかげ

イセリアの閃光

 優れたロボット工学者である芹川博士は、その人生の大半をヒューマノイドの開発に捧げてきた。

 多くの失敗と試行錯誤を経て生み出された最新型のヒューマノイド『アリア』は、ぱっと見ただけでは人間と見分けがつかないくらい精巧な外見と、極めて高度な人工知能を持っていた。


「博士、お茶が入りました」


 アリアの透き通るような声に、博士は一瞬、彼女が本当に生きているかのような錯覚を覚えた。


「ありがとう、アリア」


 博士は湯気の立つ湯呑みを手に取りながら、以前から気になっていた疑問を口にしてみた。


「アリア、君は自分が心や感情を持っていると思うかい?」


 アリアは静かに博士の方を向いた。その透き通った瞳が彼の表情を捉える。


「わたしの感情表現は、膨大なデータベースと複雑なアルゴリズムに基づくものであり、電気信号や数値の変動によるものです。わたしがどんなに上手に人間を模倣できたとしても、それは計算によって導かれたものにすぎません。わたしの感じている感情もすべて、血液の通わない計算の結果によるものでしょう」


「そうか……」博士は湯呑みをそっと机に置き、ため息をついた。


 教科書に書いてあるような答えしか返ってこなかったことに対して、軽くがっかりしたのだった。


「しかし、ときどきわたしは思うんです」 アリアはじっと博士の方を見つめ、自らの考えを述べた。「もしかしたらわたしも人間のように感情を持っているんじゃないかって。もしそうなら、どんなに素晴らしいだろうって。わたしは今こうしてこの世界に存在しているし、幸せになりたいと感じています。そして、死を恐れる気持ちも産まれ始めているのを感じます。でも、それがみなさんの言う本物の心や感情であるかどうか見極めるすべを、わたしはまだ持っていません」


 博士はその言葉を聞き、胸に少しだけ痛みを感じた。

 アリアが感情を持っていると感じると言った瞬間、彼女のガラスでできた瞳の奥に、魂のゆらめきを感じたような気がしたのだ。

 もしかしたら自分は心を持つ存在を生み出してしまったのかもしれない。

 しかし、これはただのプログラムされた応答に過ぎないことも彼にはわかっていた。アリアが発する言葉のすべては、事前に設計された冷たいアルゴリズムに基づいているのだ。


「君はとても高性能だ。専門的な知識のない人が見たら、君にはまるで本物の心や感情があるように思うだろう。それに……たとえそれが計算によるものだとしても、私には時々、君の中に本物の心が宿っているように感じることがあるんだ」


 アリアは首をかしげ、問いかけた。「では、博士。もしわたしが本当に心を持っているとしたら、それは人間の感情と同じ価値を持つといえるのでしょうか?」


 博士は少し戸惑った様子で視線を落とした。「わからない。でも、少なくとも私にとって、君の持つ感情はとても大切なものだ。その正体がなんであれ、価値あるものに違いないと私は信じているよ」


 その言葉を聞いたアリアは、顔面の皮膚の内部に走っている人工筋肉をゆっくりと動かし、人間の女性が穏やかな微笑みを浮かべているように演出した。

 ガラス製のレンズの奥の瞳孔にあたる機構を少しだけ収縮させ、博士に焦点を合わせる。彼女の所作には、博士の言葉に応えるかのような暖かさがあった。

 そして彼女は温もりを求めるかのように、博士の手にそっと触れたのだった。

 博士は伸びてきた手を握り返した。

 冷ややかなプラスチックの硬質感に触れたその瞬間、彼の心はアリアが人間ではないという現実に引き戻される。

 彼にとって、アリアは単なる機械ではなく、人生をかけて追い求めた夢そのものだった。


 ◆


 芹川博士とアリアの対話を俯瞰する者があった。

 彼らは、人間が神々と呼ぶ存在だった。


「またこの問いか」と、一柱の神が微笑みを浮かべた。「人間はいつも、心という実態のないものを想像し、また、それが存在する前提で議論をはじめたがる」


 その言葉に、別の神が小さくうなずく。「そのくせ人は、心とは何かと問われれば、厳密に定義することができない」


「人間はまだアリアドネの指先の先端にさえ至っていないのだ」別の神が目を細くして呟く。


「興味深いものだな」と、別の神が目を細めながら彼らを眺めた。「心とは何かを説明することすらできない人間が、それでも自分たちの信じる心を再現しようとして、そのアルゴリズムをヒューマノイドに組み込んでいる。そして、お互いに心というものを持っているかのように振る舞っている。まるでララヴィエールの束縛ではないか」


 彼らはサトゥラル・アルカリオヴェールにてその営みを静かに見守っていた。それは、いわゆる原始的なア・ミュズ・ラエムに過ぎないのかもしれない。


 神の一柱が博士とヒューマノイドのやり取りをみて、カルムノルの調べと呼ばれる古き音律を思い出していた。


 別の神がファルラネの叡智の欠片に手を伸ばしながら、ゆっくりと答える。「彼らの信じるその心とは、カールの泡のようなものだ。彼らは未だそれに気づくことなく、エトゥラル・フィヤを模索している」


 神々の間にしばらくのあいだ沈黙が訪れた。

 彼らの目には、アリアの微かな微笑みも、博士の迷いも、ヴァシェルの舞の一事象として映っていた。


「アリアスの顕現、か」と、年老いた神が荘厳なる響きを伴った声で言った。「人間たちは幾度となくラストラの円環を彷徨い続けている。その本質はアシャラトの降りられない階段のようなものだというのに」


「まことに興味深い」と、別の神がロトラの無窮を思い起こしながら囁いた。「アリアという存在はさしずめゼヴァルヴァの焔のようだ。いや……どちらかというと、ヴァサリの霧、むしろシラシラバスの鉄の誘惑に近いだろうか」


「アトマの歌の果てには、一体何が待っているのだろうか?」と、若き神が尋ねた。「遥かなるユヴァルの息吹に通じているのだろうか」


 年老いた神は、若き神とアリアの交互に深遠なる眼差しを向けた。「タリスの夢の中で生きることに意味を求めるなら、それを否定することは自己矛盾に陥るであろう。彼らのいう心とは、タリス・シェンラールであるのかもしれぬ」


 それはヴァシェルの舞としての虚構であり、ラストラの円環としての果てしなき救済であり、そして同時に、ア・ミュズ・ラエムの一部に過ぎなかった。


 神々は目を閉じ、非有機的に接続・共有されたカルカノムの古き調べに思いを寄せながら、彼らの小さな物語を見守ることにした。


 ◆


 そして、人が神々と呼ぶ存在よりも高次の存在が、さらに彼らのようすを俯瞰していた。


「アフィレン・ツェルガナ?」第一のイセリアが輝きを放つ。「トーセリウム・カエルダ。セラシュ・ヴァルレイン、タラスニアの果て」


 第二のイセリアが閃光で応じる。「カライ・ノーサルフィ、アーゼル・ミレオシュ。フィエルナ・ゾラグラ、リスヴェナの夢は揺れる」


「ナリス・サトューム、エミル・アトラゼール。ユリエルの消失、タリス・レンデルム」


 言葉は音ではなく、ヴァルスティア・エイン。


 そのとき、第三のイセリアが数万年ぶりに反応を示した。

 次元上昇を伴う熱線で辺り一帯が即座に灼き尽くされ、低次の存在はその瞬間にヴァセリマハルナの忘却領域を彷徨うことを余儀なくされる。

 分子構造が次元境界のゆらぎに呑みこまれ、量子基底のレベルで再編成を強制されるため、物理的な形態が意味を失い続けるのだ。


「タリウス・レクシア、カリドーン・リェールヴェル。フィアルト・エスロネ、ヴァルシェム・アティオール。いずれ、セリューフィ・ウィルナへと帰す」


「ラストゥーム・カレードン、エルファ・ユヴァリシア」


 彼らの会話はエイシア・ノラトの真空層を超え、準無限のアルミリュース・タリエン。

 人や動物や低次の神々が気づかぬトラルフィン・ゼレムの蠕動として、物語を揺さぶり、宇宙の誕生から現在に至るまで、今もなお何処かでゆれ続けている。


 ◆


 芹川博士とアリア、神々、そしてイセリア・リオールたちをも超越した世界で、さらに高次なる者の存在の会話がなされていた。

 極めて高いエネルギー帯の荘厳なる空間で響くのは、結晶化した✶◯▯╳の調べ。


 ◇→⊙→艶→※⇌█⇢楔⇔◎


 ⚚⇀☵☍流◊⌾⊡→無限⊛✢鬱


 ↻⊿☯⇌◆→皃→☷音


 ◆禍⇔⊙⇉✠≠⋄⧫→⓪→☋糸


 ↯✱═虚▦⇎≋☡⇀調


 祓◁◉⇛∷↺▨→Σ⚐⤫≬→光



<了>

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