嫌な記憶とろくでなし

自らの左目に触れると、氷像の様な滑らかさを感じる。

それに触れていると、八峡義弥は左目を潰して突っ込ませた時の記憶が蘇る。


(…思い出すな、そんなの)


八峡義弥はその痛みから逃れる様に枕で頭を挟んだ。

そして疲労からか、八峡義弥は目を瞑ると、そのまま深い眠りに落ちるのだった。

コップ一杯の水を欲する様な渇きが喉に張り付いている。

八峡義弥は、夢を見ていた。

彼が京都に渡り、あの教師と出会った頃の記憶だった。


『ヤギちゃん、ほんま運がえぇわぁ』

『あん人は術式ぃ与える際、名前で決め張るんやから』

『八峡と義弥。そん名前が、あん人に気に入られる要素らしいでぇ』

『本当なら、君ぃみたいな雑魚には、勿体ないモンなんやけどな?』

『まあ、棚ボタでも思うて貰たらえぇでぇ』


そのまま、八峡義弥の左目に、水晶の様な透明な球を近づける。


『ヤギちゃん、君ん左目なぁ?』

『悪いけど、使いモンにならなくなるけど』

『別に、もう片方ありますし』

『強くなりたいんなら、これくらいの痛み、我慢してもらわなあきませんよぉ?』


八峡義弥の左目に球が押し込まれる。

脳みそを熱した鉄バットで押し込まれた感覚。

眼球から液体が垂れて頬に滴る。

激痛を紛らわす為に声を荒げるが、そんなものでは痛みは引いていかない。


『きばりぃや、ヤギちゃん』

『それを乗り越えたら、君は変わる事が出来る』

『死んだら、そこで終いですけど』


くすくすと性の悪い声が聞こえて。

八峡義弥は、左目の痛みによって覚醒する。


「ぎ、く、クソッ…」


ズキズキと痛み出す左目に、八峡義弥は掌で抑えて痛みを慣れさす。

いっそ、左目にある異物を抜き取ってしまおうかとも考えたが、それだけは止めておいた。

八峡義弥は立ち上がると、顔を洗う為に風呂場へと向かった。

風呂の中は何時もと違う匂いで充満している。

祝子川夜々が体を洗う際に使用したボディーソープの匂いだ。

水道水で顔を洗うと、八峡義弥は備え付けの鏡を見る。


(…クソッ、酷ェ真似をしやがる)


八峡義弥の左目には、薄紫色に輝く、宝珠が埋め込まれていた。

しばらくその左目を確認して、八峡義弥が風呂場から出ていく。

再び眠り直そうとしていた最中、八峡義弥の携帯電話に着信があった。


『八峡、さま』


その大人しい声に八峡義弥は風鈴の音を感じた。

すぐにでも消えてしまう小さな音なのに、耳から離れる事の無い印象強い声だ。


「おう、九重花か、どした?」


八峡義弥が何時もの調子で軽快に喋り出す。

彼が話している相手は、祓ヰ師の中でも有数の名家であり、陰陽師の直系、陰陽五行体系の術式を司る祓ヰ師だった。

木行に属する術式を持つ九重花家、その家督を継ぐであろう彼女・九重花久遠と八峡義弥は友人以上の関係だ。

と言っても恋人と言うわけではない。

立ち位置としては八峡義弥と九重花久遠は師弟の関係と言えるだろう。


『京都から、お戻りになったと、聞きまして…こうして、お電話を、させて頂きました』


「そうか、あー、お前は元気だったか?ここ一カ月、あっちじゃ連絡取れなかったからよ」


京都へと渡った際、八峡義弥の所持品は全て教師の管理下にあった。

携帯電話や財布、彼が着込んでいる服でさえ奪い取られて、変わりに用意された着物を着用して生活をしていたと言う。


『日常に、退屈を憶えて、います、八峡さま、貴方が居なければ、こんなにも、世界は、淋しく、思います』


「…あぁ、つまり刺激が足りないって事か」


『はい…刺激を、八峡さま、今宵、私と、会ってくれませんか?私に、恋を、教えて下さい』


そう九重花久遠が言う。

八峡義弥と九重花久遠は、恋人ごっこをしていた。

九重花久遠は恋を知らぬ乙女であり、恋を知る為に八峡義弥に話を持ち掛けたのだ。

その理由は単純、八峡義弥の顔が良かったから、それだけの俗な理由だった。


「今日か…もうすぐ、日ィ跨ぐぞ?」


『私は…構いま、せん、八峡さまに、お会い、したいです』


「そぉか…仕方ねぇな…じゃあ、何時もの場所で会うか」


何時もの場所とは、八峡義弥が、九重花久遠と初めて出会った場所のことだ。

其処は森林公園であり、広大さが特徴的な場所。

軽いジョギングコースがあれば、子供たちが遊べる遊具も揃っている。

九重花久遠は、其処で暗い夜の日にブランコに乗って静かに泣いていた。

そんな彼女に、八峡から声を掛けたのが始まりだったのだ。

以来、八峡義弥と九重花久遠の関係は続いている。

九重花にとっては、八峡義弥が居なければならない程に依存していた。


『お待ち、しております』


「あぁ、またな」


その言葉を最後に電話を切る。

八峡義弥は軽く伸びをして、外行きの服装に着替えると、其処らに置いた眼帯に手を伸ばすのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る