友達
今日は火曜日。放課後古いビルのエレベーターに乗り込みボタンを手順通り押したあと、2のボタンを押した。
ドアの開かれた世界は、老朽化し天井も抜けて夜空が広がる歌劇場だ。月光がステージを照らしてきらきらと埃が舞っている。ドアは一階のボックス席にある。鞄を席に置いておき、緩やかな段差をのぼっていく。
私の生きる現代世界のような歌劇場は、明らかな人工物だった。放置されて野ざらしになったようで、地球と親近感の覚える外観だが、いつ来ても夜の世界は明らかな異世界だ。
横からステージにあがる。閑静な席はなんだか少し怖くなったので、ステージの奥の方を向いてポケットからスマホを取り出した。圏外になったスマホの中で写真アプリを開く。
今日ここに来ることは決めていたので、この欧風な歌劇場に似合う伸びのある洋楽の歌詞のスクリーンショットを開いて、歌い始めた。
今日は授業が急に変更になった英語の小テストの結果が悪く、ささくれた気持ちを吐き出すように声を出す。現代は家で歌っても近所に聞こえ、一人でカラオケに行くのは怖くてまだやったことがない。
いきなり授業変更するなよ、それと抜き打ちの小テストなんてするなよ、鬱屈のした気持ちを吐き出すように歌った。
気持ちよく歌い終えると、
パチパチパチ……
私以外誰もいないはずの劇場で拍手の音が響いた。急いで振り返ると、すぐ近くの観客席に一人の男が座っていた。
今まで異世界に行って、人間に会えたことはない。昨日の人影は別として。
「こんにちは」
声が若い。二十代……いやもっと若いかもしれない。
「……こんにちは」
ステージに近づいてくる男に少し警戒して応える。
「言葉が通じるとは思わなかったなあ。君、知らない言語で歌っていたから」
「……はあ」
ついにステージまでのぼり、私の隣に腰掛けてきた。
「君、名前は?」
「私は雪。あなたは?」
「僕はルゥ⬛︎⬛︎⬛︎」
「……なんて?」
「ルゥ⬛︎⬛︎⬛︎だ」
言語体系が違うのか、なんて言っているのかまるで分からない。
何故言葉が通じるのかは、もはや問題にしていない。異世界に遊びに行っている私がいるのだ。何があっても不思議ではないだろう。
「……聞き取れないから、あなたのことルゥと呼ぶね」
ルゥは目をきょとんとさせ、はは、と軽やかに笑った。快活な笑顔に好感を持つ。
「ユキはいったいどこから来たの? この地域は立ち入り禁止だよ」
「へえ、そうなの。私はこの世界ではないところから来たから何も知らなかった。嘘だと思う?」
「いや……実はさっき初めて歌っているところを見たとき、後ろ姿を見て女神かと思ったんだ」
真っ直ぐ伝えてくるルゥに面を食らった。
「……そう。ここが立ち入り禁止なら、なぜルゥはここにいるの?」
「僕は⬛︎⬛︎だから、見回りの当番さ」
また理解できない単語だ。きっと、この世界特有の意味がある言葉で、現代にはない意味なのだろう。
「そうなんだ」
「ルゥは幾つ?」
「歳は19だよ」
思ったよりもずっと若い。
「私は16」
「ユキの住んでいる世界についてもっと教えてよ」
私はこの歌劇場レベルの文化について軽く語った。世界には色々な文化がある。話し足りないことはなかった。
腕時計を見ると19時30分をさしていた。
異世界に勝て支障をきたすのはデジタル機器のみで、普通の腕時計は狂うことなく時を刻む。
「私もう、帰らないと」
そう言うとルゥは子犬のような瞳で、私の腕を取った。
「またここに来る?」
「ええ、きっと一週間後に」
近いうちに来ることに安心したのか、ルゥは笑顔で手を離した。
「わかった。僕も一週間後、またここに来るよ」
「そう。それじゃあルゥ、またね」
ルゥに見送られたまま、ボックス席のエレベーターに乗り込んだ。
異世界で初めて人と会話して、友達ができた。無意識のうちに口角が上がっていた。
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