第9話 それは騎士様の台詞だ
「何をしている!」
俺はその声にビクッと肩を震わせるが、誰の声だかすぐに分かって後ろを振り向く。
「アインラス様!」
シバはすぐに俺に駆け寄り、肩を抱く。
「マニエラ……! 無事、……そうだな」
シバは、俺の目の前で股間を抑えて唸っている男を見下ろしながら言う。
「ここから離れよう」
「……はい」
俺はイベントを心配に思いながらも、シバに肩を抱かれたまま城へと歩いた。
「なぜ一人で帰った」
「その、用事がありまして……」
シバが怖い顔で聞いてくるので、緊張して上手く言い訳が思いつかない。
城門を抜けて、俺達は文官棟の中に入った。シバは俺を入口から一番近い部屋に連れて入ると、明かりをつけて扉を閉める。
「トロント殿と会うのか……?」
「……」
約束はしてないが、時間通りに行けば会うことになるだろう。俺がどう答えて良いか悩んでいると、シバは溜息をついた。
「君は、自分が危なかったと分かっているのか?」
「……はい」
さっき手を握られて正直少し怖かった。しかし俺だって男であり、危険な時に戦うことはできる。
「城の中といえど、こんな遅くに一人で出歩くのは感心しない」
「あの、もう行かないと……、」
俺は壁に掛けてある時計を確認する。時間はもうすぐ10時半を過ぎようとしていた。
(多分会って三十分くらい話をするだろうし……そしたら、)
アックスはゲーム内で「もう深夜まで一時間か……送ろう」と言っていた。俺にはもう時間がない。
「そんなに会いたいか? 危険な目にあったばかりだぞ」
「あの、本当に私……」
(ああもう、帰らせてよ!アックスが他の騎士と交代したら、もう会えなくなるのに!)
「トロント殿は自分本位だな。こんな遅くに呼び出すなど、」
「あの! 約束してる訳じゃないんです! 私は本当に、ただ宿舎に帰るだけです」
アックスを悪く言われて、思わず声が大きくなる。約束はしていないし、俺が勝手に会いに行くだけだ。
俺の言葉に、シバは「会うんじゃないのか……」と小さく呟いた。
「とにかく、危ないから私が送る」
「私は走って帰るので大丈夫です!アインラス様はお気になさらな、」
「上司命令だ」
そう言われると「はい」としか返事が出来ない。俺は力なく頷くと、シバは俺を連れて文官棟を出た。
「……寒くないか?」
「はい」
俺が黙って歩いていると、珍しくシバから話しかけてきた。焦っている俺は、気の利いた返事ができない。
宿舎の近くまで来るが、アックスは既に見回りを終えたようで姿は見えない。
(間に……合わなかった)
俺が絶望していると、シバが「マニエラ」と俺の名前を呼んできた。それに顔を上げると、申し訳なさそうな顔が自分を見下ろしている。
「どうしましたか?」
「すまなかった」
「あの、なぜ謝られるんですか」
「君を、その……無理やり部屋まで送ろうとして」
(シバ、悪いと思ってるんだ……。俺が男に絡まれてた時も助けてくれようとしたし、今もアックスには会えなかったけど、俺の為に部屋まで送るって言ったんだよね)
「こちらこそ失礼な態度を取ってしまってすみません」
「気にしなくていい」
「アインラス様も飲み会を抜けたんですか?」
「ああ」
(もう帰りたかったのかな。皆はまだ戻って来ないし、明日は休みだから盛り上がってるんだろうなぁ)
俺は、今となってはもう急ぐ必要もなく、立ち止まってシバを見上げた。
「奇麗だな」
(え、何が!?)
俺が黙って続きを待っていると、「月が目に映っている」と呟いた。俺はその言葉に「え、」と声を出した。その台詞は今夜アックスが俺に言うはずだったものであり、そのイベントは無くなったはずだ。俺は、そこでお互いに照れながらもじもじする場面を想像してみる。
(シバが照れるとか…ありえない)
すると、シバの目が急にぎゅっと閉じられた。
(え、何?!ゴミでも入ったのかな)
「……柄にもないことを言った」
目を瞑ったままシバがそう言って、俺から顔を背ける。
(これって、もしかして照れてる……?)
言われた時は何も感じなかったが、シバの反応を見ていると徐々に急にこちらも恥ずかしくなってくる。俺は少し顔が熱くなり、それがバレないように顔を背けた。
お互いに向かい合って顔を背けるという意味の分からない状況。俺はそれを冷静に考えると笑えてきて、フフッと声を漏らした。
「アインラス様、帰りましょうか」
「……ああ」
俺が笑いを含んだ声で言ったことでまたさらに恥ずかしくなったのか、シバは俺の顔を見ないままに返事をした。
そして、「これを着て帰れ」と俺に自分の上着を掛けると、俺の手を引いて歩きだす。
(本当ならアックスの上着を着て帰る予定だったのになぁ)
勢いで繋がれた手は温かく、貸してもらった上着にはまだシバの熱が残っている。俺達は黙ったまま、宿舎へ続く道を歩いた。
俺は昨日、初めてイベントを放棄した。
いや、放棄したという言い方はおかしい。正しくは『邪魔された』のだが、思ったよりショックは少ない。
寝る前は正直かなり後悔したが、壁に掛けたシバの上着を見ると、上司の意外な面を見れたことに少しにんまりとした気持ちになる。
これから仕事で顔を合わせる相手を知るのも大切なことだ。昨日の出来事は無駄ではなかった……と思いたい。
「セラ~、起きてる?」
「起きてるよ」
コンコンとノックの音がして、父が部屋に入ってくる。
「まだ全然片付いてないね」
「うーん、明日からぼちぼち片付けようかな」
俺はベッドの上で伸びをしながら答える。
「父さん、今日は休みなの?」
「うん。とりあえず仕事が決まるまでは、週末がお休みみたい」
「そっか。じゃあどっか行く?」
父の返事に、俺は出かけてみるかと提案した。
今日は特にイベントはない。最初の週は攻略対象に出会うことも含めてかなりのイベント数だが、来週からは少し落ち着いてくる。今日は、ゲーム内で完全にスキップされた日であるため、攻略者達と会うこともないだろう。
(昨日の件を除くと、アックスのイベントは今のとこ、ほぼクリアできてるな)
久しぶりに肩の力を抜いて過ごせる休日に喜んだ。
「いいね! 急にこっちに引っ越してきたから、街の人達にも挨拶したいし。一緒に行こうか」
父は俺の提案に乗り気だ。服を着替えてくると言って、さっさと自室に戻っていった。
「よし、しゅっぱーつ!」
「……うん」
(父さんってこんなに子どもぽかったんだ)
ゲームでは、最初のシーン以外の父の姿はほぼ描かれないし、バッドエンドで北の島送りにされた時には、主人公を無言で抱きしめていた。今の父の姿を見ると、俺がもしバッドエンドになったら「わーん、嫌だよ~!」と泣き出しそうだ。
城から出て二人で街を歩く。父にとっては見慣れた街並みだろうが俺にとっては新鮮だ。ざわざわと人が行きかっている様子はワクワクする。
俺が「凄い……」と呟いているのを見て、父が心配そうな目を向けてくる。
「街のこと、忘れちゃった?」
「今はね。いずれ思い出すよ」
俺が明るく言うと、「そうだね!」と言って俺の頭をぐりぐりと子ども扱いするように撫でてきた。
「それに、全部初めてに感じるなんて得した気分だよ」
「確かに! じゃあ、あの通りに連れてったらびっくりするだろうな!」
父は、何かを企んでるような顔になった。俺はそれに「変なとこに連れてったら怒るぞ!」としっかりと念押ししておいた。
「セラはここでいつもイチゴを頼んでたよ」
「そうだっけ?じゃあ飲んでみようかな」
フルーツジュースを売っているスタンドの前を通り過ぎようとした時、父が俺の服の袖を引っ張った。確かに並べられたフルーツは色とりどりで美味しそうだ。
ミックスを父が頼み、俺は思い出の味であるイチゴを注文した。
「美味しい!」
「良かった~。私のも飲みなさい」
父が、ずいっと俺にジュースを差し出す。一口飲むとなんとも美味しく、俺は目を輝かせた。
その後は、父と馴染みの定食屋に寄った。女将は心配そうに父の足に視線を向けている。
「あら~、じゃあ今は城にいるのね? 足は大丈夫なの?」
「はい。実は骨も折れてなくて、少し捻挫した程度なんです」
「ありがたい話ですよ。こうやって外出も自由に出来るし」
「またお休みに街に来た時はうちで食べていって。おまけするから!」
定食屋の女将と明るく話す父を見る。父は知り合いが多いのか、今日だけで五回は道端で話し掛けられている。俺達親子の事情の説明もかなり上手になっていた。
「はぁ~! 今日は楽しかったね」
「父さん、沢山歩いたけど足は大丈夫?」
「平気だよ」
城の宿舎に帰り、部屋に着いて荷物を下ろす。付き合いで食材を沢山買った父は、「明日は久々に料理でもするぞ!」とはりきっている。
俺達の生活は今のところ国が補償してくれているし、食堂を使うのもタダであるため食費もかからない。街に住んでいた頃も、俺と父は贅沢をして暮らしていたわけではないのでそれなりに蓄えがあり、今回くらいの買い物ならば心配する必要がない。
そして、定職が決まっていない父は毎日日払いで封筒に入ったお金を貰う。貯金と書かれた箱には、封筒が五つ入っていた。
「明日の夜、ごちそう作ってラルクさんを呼んであげたら?」
「それいいね! ちょっと電話してみるよ」
父はラルクの部屋の電話番号まで知っているのか、受話器を上げてさっそく電話を掛けた。
「こんにちは。はい、シシルです。……はい、はい。……えっ、そうなんですか? ……ああ~! それ凄く好きだから嬉しいです」
何やら話が盛り上がり、なかなか本題に入らない父を横目で見ながら、俺は今日買った食材を冷やしていく。
(俺も久しぶりに料理でもしようかな)
あちらの世界の母は育児放棄状態だったため、俺は一通りの家事ができる。この世界にも似たような料理はあるが、俺は最近、純和食の味が恋しくなっていた。無ければ自分で作ればいいのか……と気付き、明日の夕食の時間が楽しみになった。
翌日の夕方、父と俺の部屋で夕食をとったラルクは、一口食べる度に目を輝かせていた。
「シシルさんとセラさんは、料理がとてもお上手なんですね!」
「私の料理は大雑把で大味ですが、そう言ってもらえて嬉しいです」
父はにっこりと笑って答えた。
「セラさんの料理は見たことないものですね。でも、すっごく美味しいです」
「本を見ながら作ってみました」
嘘ではない。親の料理の味を知らない俺は、料理本を読んで学んできた。
「セラは本当に凄いなぁ。ねぇ、残ったら明日お弁当にしようよ」
父は良いアイデアだと指を立てて提案し、俺もそれに賛成する。父は横に座るラルクにも「明日楽しみにしてて」と言い、ラルクは笑顔で礼を言った。
(犬みたいな人だな)
大型犬を思い浮かべて、やはりその通りだと納得する。親切で人懐っこいラルクとの付き合いはまだ一週間だが、俺達は家族のように穏やかな夕食の時間を過ごした。
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