鬼畜過ぎる乙女ゲームの世界に転生した俺は完璧なハッピーエンドを切望する

かてきん

第1話 ここは乙女ゲームの世界

 ズキッ……

「いって、」

 側頭部が痛む感覚に眉を寄せる。痛みを感じる部分に手を添え、ゆっくりと目を開けると、誰かが俺を覗き込んでいた。

「セラ!?」

 驚きで硬直する俺に何か呼びかけ、男は目から零れんばかりの涙を浮かべて俺の身体を抱きしめた。

「目が覚めて……良かった。ああ、セラ……」

 俺を抱きしめ続ける男の目からはボロッと涙が溢れ、腕の力はさらに強くなる。

 起きたばかりのぼんやりとした頭では、今何が起こっているのか理解できないが、泣いているこの男の顔には、見覚えがあった。

(この人、誰だっけ……)

 見た目から推測するに、この男は20代後半。中世的な顔つきで、伸びた襟足を結んだ茶色い髪に茶色の目。

(いって……頭、打ったのかな)

「…うッ、」

 急に頭がズキズキと痛みだし、俺は静かに目を閉じた。


 次に起きた時、またしてもあの男が俺のベッドの側に座っていた。男はベッドに頭を乗せ寝ているようだが、両手で俺の左手をしっかり握っており、泣き腫らしたせいか赤い瞼が痛々しい。

(ここは、どこだ……?)

 俺は周りを見渡す。広い保健室のような場所でベッドがいくつか並んでいるが、俺の他には誰も寝ていない。

「この人誰なん、……ッ!」

 視線を男の顔に戻すと、急に記憶がフラッシュバックする。そして、彼が何者であるかを瞬時に思い出した。

(う、嘘! 夢だよね……!?)

 怖くなった俺は男の手を振り払い、ベッドの端へ後ずさりする。男はその拍子に目を覚まし、「セラ、起きたの?」と心配そうな目を向ける。

(今、俺のことセラって呼んだ!?)

「や、やだ……っ!」

 俺は混乱し、近づいてくる男の頭を思いっきり叩いてしまった。

「い、てて……。セラ、急にどうしたの? びっくりしちゃった?」

 心臓がドクドクと鳴る。自分は初めて人を叩いてしまったのだ。手のひらに熱を感じ、背中に冷や汗が伝う。

 しかし、動揺するのも無理はないという気持ちもある。なぜなら、目の前で側頭部を擦っている男は、自分が一生出会うはずのない人物なのだ。

(名前を聞くまでは確定じゃないけど、この人って……やっぱり彼だよね)

 俺は、痛みによる生理的な涙を浮かべている男に恐る恐る話しかける。

「あの、いきなり殴ってすみませんでした。……あなたは誰なんですか?」

「父親を忘れたの!? シシル・マニエラ、セラの父さんじゃないか!」

 シシルと名乗る男は、あまりのショックにメソメソと泣き出してしまった。俺はその姿を冷静に観察する。

(まじか……。やっぱりシシルなのか)

 俺はこの時、これが先程まで自分が徹夜でプレイしていた乙女ゲーム『Love or Dead』の世界だと確信した。


 前世、日本での俺の名前は、堤いろは。シングルマザーであった母親に貰ったこの名前は、響きが可愛いという理由だけで付けられた適当なものだ。

 四六時中酒に溺れ、ろくでもない暴力男と同居していた母親の顔をぼんやりと思い浮かべる。小さい頃から育児放棄されていた俺は、施設で過ごしつつバイトでお金を貯め、ようやく念願の一人暮らしを始めたばかりだった。

 自分で借りた古いアパートで一人暮らしの大学生活。春休みに入り時間に多少余裕ができた俺は、このゲームの存在を某有名動画投稿サイトで知った。動画のサムネイルには『バッドエンド不可避』『まさに愛か死!』と大きく書かれており、ゲーム実況者の中で徐々に人気を高めていった。

 このゲーム、一見何の変哲もない乙女ゲームのパッケージだが、選択を一つ間違えるだけですぐにバッドエンドになる仕様になっている。

 発売されるやいなや、難しすぎてクリアできないと話題になった問題作で、ゲーム実況者が面白企画と称してプレイしている動画が世間で流行っていた。

 そして、話題のバッドエンドだが、その内容があまりに残酷なのだ。

 動画で見た限りでも、『北の孤島に置き去り』『公開処刑』など、本当に乙女の為に作られたのかと疑う作品となっている。

 一つでも間違えれば地獄決定。コメント欄も「鬼畜すぎww」「誘い断っただけで斬首とかやばいだろww」と、かなり盛り上がっていた。

 俺は、流行りに乗っかり『Love or Dead』を買った友人からこのゲームを借り、YouTubeで攻略を見ながら徹夜で進めていった。そして、このゲームの一番人気キャラクターである黒騎士アックスを攻略し、大ハッピーエンドを迎えたのだ。

(選択肢さえ間違えなければ、普通に良い話なんだよね)

 女性ならばキュンとくるであろうイベントが多数あり、俺はエンドロールで幸せそうに微笑み合う主人公とアックスの姿にほっこりした気持ちになった。

 明日は選択をわざと間違えて、話題のバッドエンドでも見てみようか……と思って眠ったが、どうやらゲームの世界で目を覚ましたようだ。

(よりにもよって、なんでこの鬼畜ゲームに……!)

 戸惑いと憤りを感じるが、来てしまったものはしょうがない。とりあえず今の状況を把握するために、父であるシシルに話し掛けた。

「あの、父さん? 俺、実は記憶が少し曖昧になってるんだ」

「セラ、そうだったの!? 頭を打ったからかな……急に近づいて怖かったよね? ごめんね」

 シシルは俺の手を両手でがっしりと掴むと、「ゆっくり思い出したらいいさ」と言って、涙ぐんだまま微笑んだ。


「……というわけで、私とセラは王都の城にいるんだよ」

「はぁ、やっぱりそうか」

 俺の発した「やっぱり」という台詞に父シシルが頭を傾げている。

 彼の説明に納得したと同時に、自分が最悪な状況にいると確信して落ち込む。

(俺、この乙女ゲームの主人公になってる……男なのに!)

 俺の今の年齢は主人公と同じ十九歳。シシルが持ってきた鏡で自分の姿を確認したが、外見は日本で暮らしていた時のままだ。周りの同級生と比べると少し幼く見える顔に、目はシシルと同じ茶色。髪も同じく茶色で、長くもなく短くもない平凡な髪形だ。

 父の説明によると、街に出掛けていた俺達は、暴走した王の馬車にぶつかり怪我をした。足を怪我してしまった父と、頭を強く打って意識を失った俺は、王によって城に保護されることになった。

 そして、今までの大工仕事ができなくなった父には、王の命により、城での仕事が与えられるとのことだ。

 これはゲームで見たプロローグと全く同じである。そしてゲームの主人公同様、俺は事故の影響で、日本で暮らしていた時のことしか思い出せない。

(徹夜でゲームをして死ぬように眠って、その間にこの世界に転生した……ってことかな)

 転生、つまりシシルの息子として生まれ、これまで生きてきたのだろうが、この世世界で過ごした記憶がごっそり抜け落ちている。

「セラも、怪我が治ったらここで働かせて貰えるんだって」

 城の者に、セラについて尋ねられた父が、『読み書き計算が得意』であると伝えたため、俺は傷が完治すれば文官の手伝いをすることになっている。これも完全にゲームの主人公が辿った道と同じだ。

「平民の私達に、住居まで用意して下さったんだよ。ありがたいことだよね~」

(あの、馬車にひかれたこと忘れたの?)

 のほほんとした性格の父に、不安を感じた。


「セラが死んでしまったかと思って、私は心臓が止まりかけたんだよ」

「心配かけたよね。本当にごめん」

 あれから医師の男に診察を受け、問題無いと診断された俺は、父と共にこれから住むという部屋へと向かった。

「災難でしたね。でも、目を覚まして安心しました」

 騎士であるラルクが、眉を八の字にしつつホッとした表情で俺を見る。

 俺より六つ上の二十五歳だという彼は、王の乗っていた馬車に護衛として同乗していたらしい。

 背が高くがっちりとしており、まさに騎士といった見た目だ。目と髪は赤く、垂れ目がちな顔が優しい印象である。

 彼は俺の頭に巻いてある包帯に目をやると、眉をさらに下げた。どうやら随分深い傷を負ったと思われているようだ。

(実際のところ、ほんのちょっと切り傷があるくらいなんだけど)

 俺は、大袈裟に巻かれた包帯を邪魔に思いながら、部屋へと続く廊下を歩いた。


 部屋に入り、自室に案内される。

 そこは居間以外に部屋が三つあり、二人で住むには十分すぎるくらいだ。今は簡易的なベッドと机と椅子が置かれ、最低限の家具しか揃っていない。

 父曰く、以前住んでいた家の荷物が後日届くとのことで、しばらくは片付けに追われそうだ。引っ越しまで城からの手配でしてもらえるとあって、父はあまりの好待遇に恐縮していた。


「セラ、今日はすぐに寝るんだよ。私は騎士さんにお礼を言ってくるから」

 俺達をここまで案内してくれたラルクに「ありがとうございます」と言いながら駆けていく父の背中を確認し、俺に与えられた部屋の扉を閉める。そして急いで椅子に座ると、机に置いてある紙とペンを取り、『黒騎士様攻略作戦』と大きく書いた。

(俺は死ぬわけにはいかない! ここで黒騎士アックスと大ハッピーエンドを迎えるんだ!)

 ぐっと拳に力を込め、俺はこの世界で生き抜くことを決意した。

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