喫茶『鳩小屋』
かごのぼっち
鳩マスター
放課後、学校からの帰り道。
私、一色まこは、立ち止まった。
何故止まってしまったのか、自分でも解らない。私は帰宅途中に寄り道をするような輩ではないのだ。なぜなら、一直線に家に帰って、自分の趣味に没頭するルーティンこそが至高だと思っているからだ。寄り道なぞ、オツムのイカれた
と、思っていた。
否定はしない。私は友達なんて一人もいない、ぼっち生活イコール年齢だ。
そんな、自宅警備大好きっ娘が、帰宅途中に寄り道なんてするわけがないのだ。
それより何より、
見れば建物の半地下にひっそりと佇むその店構え。よっぽど目を凝らして注意して見なければ見つからないだろう。まして、こんな場所に店を出したとて、客が入るのか? と、余計な心配までしてしまうレベルだ。
しかし、私の足はまだ止まっている。継続して止まっている。
店の前に飾っている鳩のオブジェがあまりに可愛かったから? その円らな瞳に魅入られたから? そのくちばしに咥えている何か丸いものが気になったから? そのどれでもないだろう。
店の名前は喫茶『鳩小屋』。
なるほど、鳩のオブジェは店主の趣味か。どうせ店の中は鳩だらけなのだろう?
そんなどうでもいい事を考えながら、店のドアに手をかけている私に気付いた。
なんだと!? この私が喫茶店に入ろうとしているだと!? 某黄色いアーチのバーガーショップにすら入ったことのない、この私が? 気持ち悪い二股人魚のコーヒーショップにすら入る勇気もない、この私が!?
しかし、もう引き返せないだろう。ドアノブを握ったこの姿を中の店主はきっとドアガラス越しに見ているのだろうから。今、引き返すとあからさまに変な人だ。
いや、元々変な人なのだ。入っても、引き返しても、変な人である事には変わりないよね?
どうする? 今ならば引き返せるよ? と、自分に自問する。が。
ガチャ、カランコロン……。
開けちゃった……開けちゃった開けちゃった開けちゃった開けちゃった開けちゃった──っ!?
「くるっぽー」
ん? 今なにか聴こえた? いやまさか、店の店主がそんな訳のわからん言葉を発する筈がない!!
「いらっしゃい」
ほら、聴き間違いだ!!
「くるっぽー」なんて普通の人間なら言わないもんね? 他に誰もいないし、初めての客にそんな……、まあ、そんな事はどうでもいい。そして、悪くない。悪くない
ついに入ってしまったぞ?
珈琲豆の良い香りがする。思わず胸の奥まで吸い込みたくなるような、そんな香りだ。
私は落ち着きを取り戻し、カウンターはハードルが高過ぎるので、少し離れた窓際へと腰掛けた。四人席の一番奥の窓際だ。窓はとても大きく開放的に作られていて、小さな庭がありたくさん植え込まれた植物で、通りからは目隠しになっている。優しく陽の光が入るが、庭に落ちる程度で眩しくはない。店内は照明の明かりで照らされている。店内は古そうな内装だが、小綺麗に整頓、掃除が行き届いている。
うん、悪くない。雰囲気は大事。
それにしてもあの店主、注文とりに来ないよね? それどころか、お水やお手拭きなんかも……もしかして、セルフか何か?
キョロキョロと店を見回す。
うっ……。見ていた。もしかして、ずっとこっちを見てた? いや、眼鏡をかけているからハッキリとは判らないが、確かにこちらを向いているのだ。きっと喫茶店初心者と言うのがバレバレなのだろう。店主がにこりと笑った。
「ご注文は?」
ここまでとりに来んのかいっ!? まあ、これがこの店のスタンスと言うのであれば、それに従う他あるまい。なにせ、私は喫茶店初心者なのだから!
「こ、こここ……」
どもった──っ!! これは恥ずい!! しかし、そんなことより言わねばなるまい!!
くっ……店主の顔色が読めない。どうせ笑っているのだろう? あの眼鏡の向こう側で、ほくそ笑んでいるのだろう? まあ、そんな事は慣れっこだ。注文くらい早く終わらせよう。
「コーヒーをください」
「……」
何だこの店主!? 私、今、声出てたよね? 確かに言ったよね!? え、何? このコミュ力ゼロの私にもう一度言わせようとゆうの!?
「……えっと、ブレンドで良い?」
ぶ、ブレンド? メニュー、メニュー……ナニコレ? ケニア、キリマンジャロ、モカマタリ……何の呪文? いや、そんなことよりも注文だ。ブレンドが最安値。うん、
「ぶ、ブレンド!」
よし、出来た!! ミッションクリアー!!
「ホット? アイス?」
んノ──っ!! とりまメニューだ! ん、アイスのが高いのなんで? ま、どうでも良い。
「じゃ、ホット」
よっしゃ。これでミッション──。
「──ピジョンミルクは?」
不覚!? え、何? ピジョンミルクって? メニュー、メニュー……ど、どこにもなくないっ!?
「あの……」
「あ、ピジョンミルクってのは冗談で、ミルクのことだから」
こっの──っ!! 初めからそう言って!? もしかして、喫茶店初心者を
「入れてください」
「ん」
てことは、初めの「くるっぽー」っての、こいつ、絶対に言ったよね? ここの店主、頭なおかしくない? 考えれば考えるほどに不可解だ。
とにかく、早く飲んで早く出てゆく。出てゆくんだからねっ!?
……あれ? 何か良い香りがする。店の中に立ち込めるそれは違う、いっそう香ばしく、香り高い。
そしてカリカリと音がし始めると、更に深い香りが立ち昇る。
……え? これ、確かにコーヒーの香りだけど、コーヒーってこんなにも香るものなの!?
よくわかんないけど、少し楽しみになって来た。
実は、お店で飲むコーヒーは初めてだ。家で飲むと言ってもインスタントコーヒーにミルクと砂糖たっぷりだし。実際にちゃんとしたコーヒーを飲むこと自体、初体験だと言っても過言ではない。
マスターを見ると、とても真剣な眼差しでお湯を注いでいる。湯気で眼鏡が曇って、ますます表情が読めなくなっているが、そんな事はどうでも良い。
私はもしかして至高のコーヒーを飲むことになるのでは!?
コト。
お店のオリジナルブレンドコーヒーのホットが大きなマグカップに入れられて出て来た。
「どうぞ」
うん、無骨。でも、その方が気にならなくて良い。
私は今、眼の前のコーヒーに集中したいのだ。
直接胸に入ってくるコーヒーの香りは、想像を遥かに超えて芳醇で、これがブレンドの良さなのだろうか、複雑な香りがひとつの香りの形を形成して、ふくよかな広がりを感じさせてくれる。
一口。
苦い! すごく濃い。
これが大人の味と言うのであれば、私にはまだ早い。そう、お子様だと言われても、仕方がないだろう。でも。
良い香り。癖になる。
……失念していた。私はミルクを頼んだのだ。小さなカップに、ほんのり温められたミルクが入っている。
私はそれをマグカップに注ぐと、カップの底から白い煙のようなものが立ち昇ってくる。それをスプーンでくるりとかき回すと、濃い琥珀色のコーヒーは少しづつ白濁してゆく。
一口。
──!? 全然苦くなくなった。いつも飲んでいるコーヒー牛乳ほどではないが、口当たりが良い上に、香りはしっかりと口の中に広がる。
美味しい。
砂糖なんて入れなくても飲めそうだけれど、入れた味も気になるから、この茶色い少し透き通った砂糖。見たこともない砂糖を入れてみた。
一口。
コーヒーの香りが旨味に変化した? 極上のコーヒー牛乳と言えば語弊があるだろう。これは牛乳と言うよりは、遥かにコーヒーなのだ。
いろいろと思うところはある。
だがしかし。
悪くない。悪くないのだ。
私はまだ喫茶店にデビューを果たしたばかりの初心者だ。
今日は負けと言うことにしておいてやろう。完敗だ。
「お勘定を……」
「三八〇円になります」
この価格が高いのか安いのか、もはやそんなものはどうでも良い。私は良い喫茶店デビューをしたと言えるだろう。それもこれも、結局コーヒーが美味しかったからに他ならない。その対価としては悪くはない。そう思える価格だ。
「ごちそうさま、鳩マスター!」
「……へ?」
私は少し意地悪そうにマスターに笑いかけると、スキップで店を出た。
いつもは家に帰ると、学校には行きたくなくなる私。
だけど、この店に通う為なら、学校も悪くないかも?
なんて事を考えながら、私は夕日に向かって歩き始めた。
──────────────
テーマ曲『ねえマスター』
https://suno.com/song/fd8aa075-ab4b-43b8-be9c-e49b4af02b0e
※鳩マスターは『あつ森』へのオマージュです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます