89歳の私をみるあなたへ

みずなし

忘れてしまう前に、あなたへ

こんにちは。

私は、名前がなくなった一人の人間です。

きっと今の私は自分の事も覚えていないと思います。


 少し前、周囲ではよく認知症と呼ばれる病を患いました。

 直に出来る事が減り、記憶も出来なくなってしまうそうです。

 だから、まだ私が私である内に私の記録の為にと、私をみる事になったあなたへこれを記しておこうと思ったの。


 最近、お買い物に行ってお釣りを計算する事が出来なくなりました。

数字は得意だったのよ、家計簿もきっちりとつけていたし会計のお仕事は楽しかったもの。それでも、最近はわからなくなってしまった。

 ほんの近所に少しお散歩に出たつもりが、朝出て夕方まで帰れなくなってしまった時もあったの。人に聞こうにも、私の家の住所も電話番号も分からないの。

 途方に暮れながらトボトボと歩いていたら、昔馴染みの子に出会ったので幸運にも帰られたのだけれどそれから何となくお外へ出るにも怖くなったわ。


 89歳の私は、きっとお下のお世話をどなたかにしてもらってるのかしら。

どんなご飯を食べさせてもらっているのかしら。

お風呂へはきちんと毎日入っているかしら。今は毎日入りたいけれど、89歳の私はきっと面倒だと言っているかもしれないわね。


 私は怖い。


 外出が好き

 読書が好き

 お裁縫も好き

 お料理も好き

 歌うのが好き

 聞くのも好き

 家族、友人、大切な人

 何もかもわからなくなってしまって、体もどんどん思うように動かせなくなって……

 お世話してくれる優しいあなたに私は酷い事をしていないかしら。

 酷い言葉をぶつけていないかしら。


 近所の優しかったおじいさんを今になって思い出したの。

人が変わったように昼も夜も「家に帰らなけりゃ」と近所をウロウロと長い事歩いて、警察の方が何べんも来た。そして家族と介護施設の職員さんへ暴力を振るっているのを度々見て、あぁ、あんなに優しかった人がどうしてと思った。

 何事か喚くように大きな声を上げる。

 それがたまらなく怖かった。

 今、私のお世話をしてくれるあなたに同じように怖い思いをさせているのではないかしら。不安で仕方が無い。


 もしも、何もかもわからなくなってしまった私があなたに酷い言葉を言って酷い行いをしていたらどうしましょう。

 赦される事ではないけれど、今の私から本当にごめんなさいと精一杯伝えさせてね。毎日お世話をしてくれて本当にありがとう。あなたが居てくださって私が生きていられるのだから。

 私は困らせる事しかしない、何も役に立てないかもしれない人かもしれないけれどこの手紙を記した事すら思い出せないかもしれないけれど……

 わからなくなってしまっても家族全員を愛し、お世話してくださっている皆さまの事がとても大切です。

 長くなってしまったわ、ごめんなさいね何だか言い訳ばかりみたいで。


 


 あなたの一日が少しでも楽しく幸せでありますように。

 心と体は一つしかないから大切にしてくださいね。

 それでは。


 

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89歳の私をみるあなたへ みずなし @mizunasi9

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