狂気 七




「――どうさん」


 遠くから音が聞こえてくる。


「安藤さん!!」


 意識が急速に回復した。


「こんなところで何してるんすか!?」


 目の前に賀茂川がいる。それから、市川、白戸の奴もいた。


「白戸、賀茂川。それに市川も」


 俺はあたりを見渡しながら、三人の名前を呼んだ。白戸は舌打ちでもしないかと不安になるほど不機嫌そうな顔で、


「相当探させられましたよ」


 と愚痴を放った。受け応えを見るに、どうやら幻覚という感じでもなさそうだ。こいつら、どうやってここを嗅ぎつけたのだろう。


 俺の疑問には賀茂川がすぐに答えてくれた。


「警官が僕らを見てコスプレ仲間だと思ったみたいですよ。ほら、だって俺たち、白衣着てますし」


「で、こんなところで何をしていたんですか? 怪我人探しですか?」


 続く市川の疑問は尤もだが、今は答えている暇がない。


「お前ら、手伝ってくれ」


「は?」


 白戸が「何を言い出すんだ」という顔をしているが俺はお構いなしに、


「このあたりに車に轢かれた怪我人が倒れている可能性がある」


「あの……」


「俺は右の藪を探す。お前らは左を頼む」


「……マジかよ」


 白戸は「あり得ねぇ」と面倒くさそうにぼやいたが、気にしないことにする。携帯電話で明かりを確保し、そのまま彼らの返事を待たずに藪の中に入ってゆく。


 俺はただ一人、藪をくぐり続けて、くぐり続けて、やっと開けてところに来たと思ったら、そこは俺が元居た畦道だった。電柱に突っ込んだ車があるので一目瞭然だった。


 ぐるっと回ってきた?


 違うな。おそらく俺は再びループした。


 多分、こっちじゃないんだ。やれやれ、コイツは長い戦いになりそうだ。


 俺は再び別の藪へと入っていった。





 何度藪を潜り抜けただろう、


 もうどっちを歩いているのかもわからない。


 そんなループを数度繰り返した果てに、俺はついにそれを発見した。



「……見つけた」



 倒れている人間を。丈の長い草と草の間に、人がばったりとうつぶせに倒れている。ピクリとも動いていないのは拙いな。


「おい!! こっちに来てくれ!!」


 人を呼びつつ、すぐに意識、呼吸、心拍を確認する。やはり拙い。


「おいおい、ホントにいたよ」


 俺の声を聞きつけてやってきたらしい、驚嘆の声を上げる白戸を他所に、俺はペンライトを取り出して、患者の動向を確認した。


 初老の男性だ。意識を失っていた。呼吸も危うい。瞳孔を確認。散大している。


「脳出血だ。救急車を早く!」


「もう呼んでます。ほんとは先生を連れ帰るためのものだったんですけど」


 携帯を構えつつ、白戸が冗談交じりにそう言った。と言うか、冗談であってほしい。


「頭蓋内圧が亢進してる。今すぐ穿頭ドレナージだ」


 穿頭ドレナージとは。


 脳に溜まった血種を取り除くために、頭蓋にドリルで穴を空け、そこから血種を排出する手術のことである。傷口からの感染症など色々リスクはあるが、今すぐに頭蓋内圧を解放しなければ、患者の命が危うい。


「穿頭て。ドリルなんて持ってないでしょ。どうやって穴を空けるんですか」


 白戸が小馬鹿にしたように笑いながらそう言った。いつの間にか、白戸以外にも市川、賀茂川が駆けつけていた。


「アルコールもありませんよ。消毒はどうするんです」


「アルコール消毒液なら俺の車の中にある。ドリルは放火犯の車の中にあるのを見た。市川」


 白戸の問いに素早く答えつつ、車の鍵を市川に投げ渡す。


「アルコールをもってきてくれ。白戸はドリルを」


「わかりました」


「……了解」


 市川は素直に、白戸は渋々と言ったふうに頷いて、この場を後にして駆けだしていった。


「……それから、賀茂川は救急車の誘導を頼む」


「了解っす!」


 「俺は何をすれば!」といった具合に意気揚々にこちらを見ていた賀茂川とふと目が合って、やばい、正直な話、彼の存在を完全に忘れていた。適当な役割があって本当によかった。一人だけ棒立ちは居たたまれないからな。


 こちらの心情を知ってか知らずかこの場を走り去ってゆく一同を見届ける暇もなく、俺は患者の救命活動にあたる。


 人工呼吸だ。


 まともな医療器具がないので、人力によるかなり辛い作業になりそうだが、今までの東奔西走時間跳躍の労働に比べれば、大したことではない。


 その前に、携帯をちらりと見る。


 午後八時前。


「……ふぅ」


 どうやら正解を引いたらしい。



 俺は今回のループも、乗り越えた。









 その後のことについて、少しだけ語ろう。


 俺たちが救命して、その後病院に運び込まれた急患の男性はなんとか助かった。


 そして、それから数時間と経たず、例の放火犯、津田道夫が息を引き取った。


 放火によって失われたものを償う者は、これでいなくなってしまった。不幸だけを遺していきながら。


 結局、俺があの時対話していたあの男は津田道夫本人だったのだろうか。それとも、俺の無意識の罪悪感と、腫瘍の圧迫が相互に作用して生み出した幻覚だったのだろうか。


 答えはわからない。


 俺がこれまで体験してきたループも、実はただの幻覚だったのかもしれない。俺は、ただ狂ったように街中を走り回った挙句、たまたま急患を発見した。ただそれだけの話だったのかもしれない。


 それか、俺は本当にタイムループしていて、目撃してきた未来の情報を元に、奇跡を起こしたのだ。


 どちらにせよ、俺の身に起こっている異常事態は全て、頭の中の腫瘍がもたらしているということは確かだ。


 腫瘍を取り除くことができれば、ループ現象は起きなくなるのだろうか。


 わからない。


 今はまだ。

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