憑依 五
「見てください、コレ」
会議室に屯してるチームの活動は、完全に膠着していた。ただ一人、乱心の父親の元へ説得に向かった福良美嘉を除いて、チームの全員が、各々携帯を見るなりパソコンを見るなりして時間を潰していた。そもそも手術ができないのだから話にならないとばかりに、チーム全体のやる気がものの見事に直下降したのだった。一応、他の外来の患者も見てるし、物理的には暇ではないはずなのだが、なんだか「午後の授業が始まったかと思ったら、先生に急用が入ってしまい晴れて自習になった」時のような、空気の弛緩が生じたのだ。それのせいで、ほんの少し増えただけのはずの休憩時間が、恐ろしく長い休み時間のように感じる。もし俺たちが小学生だったなら、サッカーボールを手に抱えて「サッカーやろうぜ!」とみんなで仲良くグラウンドに飛び出していってしまいそうな、そんな雰囲気だった。
そんな中、研修医の一人、
俺は首を傾げざるを得なかった。
「『予言家みらいチャンネル』……? なんだそりゃ」
市川の携帯電話の液晶に移るそれは、非常に胡散臭い文章と画像で構成された出来の悪いブログのような何かであった。
「父親が運営しているYouTubeチャンネルです。名前で検索したら普通に出てきました。登録者数二十七万人、中々の数ですね」
登録? ちゃんねる? 二十七万と聞くと、相当の数だと感じるが、市場規模がよく分からないのでピンと来ない。
「多いのか? それ」
「多いですよ。十分に食べていけるだけの収入を稼いでいるとは思います」
「へぇ。で、それがなんだってんだよ」
「このチャンネルの主な内容は「予言」、つまり未来の出来事をピタリと言い当てるというわけですね」
「いや、それはわかるけどさ」
あの男、そんなことやっていたのか。しかし現代日本で「予言」とはまた酔狂だな。
「おそらく、父親が娘さんの治療を渋ってる理由はこれですよ。そもそも、今ではすっかり父親がお株を奪っちゃってますけど、元々予言していたのは娘さんの方だったんです。過去の動画をさかのぼって見ればわかります」
確かに娘のイかれ具合は、薬草を焚いてトリップするシャーマンよろしく、予言の一つでも軽く宣いそうな雰囲気だった。
彼女は液晶を更にスクロールさせていく。
「きっかけは娘の予言めいた言動に興味を持った父親が、その話を動画にしてYouTubeにアップロードしたところからみたいですね。それを予言だ何だと面白可笑しくはやし立て始めた視聴者が増えて、それを真に受けた熱心な信者が現れ、それからはあれよあれよという間に多くの信者を獲得していった、て感じです」
「予言ねぇ。当たるのか?」
あの親子に二十七万人の支持者がいるとは、凄い時代になったな、などと感慨に耽りつつ、俺は市川にそう尋ねた。
「さぁ。なにせ、娘さんのはともかく、父親の予言はほぼ毎日のように投稿されてますから数が多すぎますし、内容もなんだがやけに政治色が強い上に要領を得ないものばかりで……、当たってるかどうかイマイチ釈然としません。まあ、これだけ予言してれば一つや二つは当たってるんじゃないですかね」
「予言なんざどうだっていい!」
いつの間にか近くにやってきていた杉原が、俺と市川の間に割って入ってきた。市川が思わずといった具合に大きく仰け反った。杉原の体臭がきつかったのだろうか。
「問題は、なんで父親が手術を渋ってんのかって話だろ」
「ですから、元々は娘さんの予言から始まったYouTubeチャンネルなんですよ。その娘さんが、脳腫瘍を取ってしまって幻覚症状が消えた結果、予言ができなくなったら困るんじゃないですか?」
「ん、なんで? どうせ今はほとんど父親が予言してるんだろ?」
杉原の疑問に市川は首を振りながら、
「表向きは「予言の力を持った娘の予言を啓蒙する」という趣旨のチャンネルですから。父親はあくまでも娘の力を喧伝するためのインフルエンサー、宣教師みたいな立ち位置なんですよ。実際は予言の内容もチャンネルの方針も父親が全部決めてるみたいですけどね……」
娘を矢面に立てて自分は裏でそれを牛じるわけか。上手いやり方だな。素直に感心する。
「その娘が予言の力を失った結果、チャンネルの意義が土台から崩れることを父親は恐れてるってこったな。曲がりなりにも娘のけったいな妄想癖があってこそのコンテンツってわけか」
杉原はウンウンと頷いているが、俺は釈然としなかった。
「気持ちはわからくもないが……。実の娘の人生を犠牲にしてまで守るべきものか? YouTubeってそんなに儲かるのかな。たかが趣味の世界だと思ってたんだけど」
「儲かりますね」俺の独り言のような疑問に、市川遥が真面目に応えてくれる。「トップレベルのYouTuberともなれば、数億は楽に稼げます」
「すごいな……」
俺の年収より全然多いのか……。いや、別にいいけどさ。
「しかし困ったぞ。親の同意がなきゃ手術できないぜ」
「父親の言うことが正しいのなら、娘さんの幻覚症状が始まったのは二年前です。それから今の今まで症状の進行がなかったということは、やはりあの腫瘍は良性だったということでしょう。なら放っておいても今すぐに死ぬってことはないですし、別にいいのでは?」
市川遥の意見は尤もだ。
「そうはいってもなぁ」
「手術に同意しないなら、俺らにできることはない。こればかりはしょうがないな」
俺たちの話を傍らで聞いていたらしい竹中さんが、総括だと言わんばかりにそうまとめた。
凝固まった背中の筋肉を引き延ばしながら、考えた。確かにそうだ。親の同意が得られないんじゃ、手術のしようがない。俺たちにできることは無いのだ。
或いは症状がより悪化すれば……。
と、その時だった。
俺たちのポケットの中の携帯電話が一斉に激しく振動し始めた。
「なんだ?」
緊急コールだ。
コード・ブルーではないが、悪い知らせだった。
患者の容態が急激に悪化したのだ。
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