私、人気Vtuberの彼女してます〜配信の切り忘れにはご注意を〜
終夜こなた
第1話『穏やかで静かな日々は、幕を閉じる』
『——あっはは! 今日プロポーズしようと思ったら彼女に逆プロポーズされた~? 最高じゃん!』
ゴロゴロと乱切りにしたじゃがいも、にんじん、玉ねぎをアルミ製の雪平鍋の中でクツクツと踊らせ、立ち込めるその豊かな野菜の香りにスンッと一つ、私は鼻を鳴らす。
『前々から言ってた、イケメン彼女さんでしょ? 君よりもかっこいい』
一人暮らしをしていた頃から愛用している木べらで鍋をかき混ぜ、カレー粉で揉んだ鶏肉にちゃんと火が通っているかを確認してから、市販のルーを投入。野菜と鶏肉の旨みが滲んだ鍋の中が、じわぁと褐色に染まり、鼻腔をくすぐるは嗅ぎ慣れた香ばしい匂い。
『……ふふ、ごめんって! でもめちゃくちゃいいじゃん! イケメン彼女!』
弱中火で大体二十分。あとはじっくりコトコト煮るだけだ。
さて、付け合わせに何を作ろうか。確か冷蔵庫にもやしが残っていたっけ。
鍋にそっと蓋をし、私は冷蔵庫を開ける。……もやし、結構あるな。あっ、ていうかまた麦茶一口分だけ残してるし。
『いいよねイケメンな女の子。あたしも友人にいるから、その良さめちゃわかるよ』
輪ゴムでとめたもやしの袋を取り出し、ボウルに移してから電子レンジで加熱。よくYouTubeで流れるフリーのBGMの中、いたく楽しげに語らう彼女の声に耳を傾けながら、戸棚の調味料に手を伸ばす。
『……え? どんな子なのかって? え〜へへ、それって惚気ちゃってもいいってこと?」
500W四分の時間。塩、砂糖、醤油と胡麻油を混ぜ、少しの手持ち無沙汰になった私はポケットの中に入れていたスマホを取り出す。顔認証でロックを開いた画面には、見慣れたアバターの彼女が映し出されている。
『んーっとまずねぇ、その子はすっごい可愛い人でぇ〜』
【ん? イケメンな女の子だよね?】
【イケメン女子可愛いんだ】
【可愛くてカッコイイの最強じゃん】
『そう、最強なの! 可愛くてカッコよくて優しくて頼りになって、最強なわけ!』
ギッとキッチン用に置かれた簡素な椅子に腰掛け、灰皿の側に置いておいたセブンスターとターボライターに手を伸ばす。慣れた手つきで中のタバコを咥え、かちりとライターを点火。ジジッと線香花火が弾けるような音が響き、煙の糸が換気扇が生み出す風によって揺らめいた。
『普段素っ気ないっていうか、ツンツンしてるのにたまーにデレるところとかほんっとうに可愛いんだよねぇ。ザ・ツンデレっていうか?』
【ベタ褒めじゃん】
【ベタ褒めっていうか、ベタ惚れ?】
【てぇてぇ】
『えぇー? でもみんなだってイケメンでツンデレな女の子好きでしょ』
【好きです】
【好きだが?】
モバイルイヤホンから聞こえる彼女の声と、画面で忙しなく流れ続けるコメント欄。一昔前であればキマシタワーが建造されそうなノリに、いちリスナーである私は見る専のまま苦笑。……あっ、キマシタワー建てられた。
『今でも仲良いのかって? もっちろん、今も全然仲良し! 夜通話とかするし、外でデートとかするし?』
【セナちとデートとか羨ましい】
【てぇてぇ】
【デートしたのか、俺以外のヤツと】
『……デートしたのか、俺以外のヤツ……て、君何様よ〜? ていうかネタ古いし』
【でもネタわかるんだセナw】
『ニコニコキッズのツイッタラー舐めないでよね』
ピーッ、ピーッ。電子レンジが甲高く鳴く。私は何度かタバコに口をつけた後、その火を灰皿で消し、椅子から腰を上げた。そしてしっかりと温まったもやしを先ほど混ぜた調味料であえ、早くて簡単をクックパッドで謳ったもやしのナムルの完成である。
『羨ましいでしょ〜? みんないないの? イケメンで可愛くてカッコいいツンデレの人!』
耳の中で、いまだにイケメンでツンデレな友人を語り続ける彼女の声。推しである彼女が楽しそうに喋っている様子は、ファンであるこちら側も楽しいし嬉しく思う。
だけど、既に十分ほど彼女が同じ話題で話し続けていることへ、どうにも言葉に出来ない感情に見舞われた。
恐らく、彼女はその事実に気がついていないと思うが。
『って、もうこんな時間。そろそろ配信終わろっかなぁ〜』
作ったナムルを小鉢に移し、ラップをして冷蔵庫へ。クツクツと煮込んでいるカレー鍋を、一度確認してからコンロの火を消す。まだまだ煮足りないが、仕方ない。
シンクで手を洗った後、私はモバイルイヤホンを外してスマホを確認。ベストタイミング。ピコンと軽快な音と共に表示された通知バナーには案の定、部屋に来て欲しいという旨の短い文章が綴られていた。
「入っていい?」
パタパタとスリッパを鳴らし、リビングから繋がる部屋の扉を二回ノック。一声掛ければすぐに「どうぞ〜」とくぐもった声が聞こえてきた。
「せぇ〜んぱぁ〜い」
「お疲れ様」
ゆっくりと扉を開ければ、すぐに彼女と目が合った。耳に付けていたイヤホンを外し、ゲーミングチェアに凭れかかって、私を呼ぶ彼女。私は思わず、ふっと静かに笑う。
「終わった?」
「終わりましたよぉ〜。先輩も見ててくれました?」
「勿論。めちゃくちゃ惚気てるなぁって聴いてた」
疲労が少しだけ滲んだ顔の彼女に促されるまま側によれば、彼女はぬっと私に両手を伸ばし、ギュッと力無く私の身体に抱きついてくる。
「珍しいよね、惚気るの」
「えへ。まぁたまには、ね?」
「アンタガチ恋リスナー多いんだから、気をつけなさいよ?」
「んー。まぁでもほら、百合営業とかあるじゃないですか。供給ですよ供給。あたし、需要と供給ちゃんとわかってるんで」
「強か」
「ふふ、あたし小悪魔系なんで」
グリグリと頭を私の腹部に押し付けてくる彼女の、先程よりも幾分か間延びした声。乱れていく髪を気にすることなく頬擦りを始めた彼女は、宛ら甘えたな猫。もし本当に彼女が猫であったのなら、ゴロゴロと喉を鳴らす音が聞こえてきそうだ。
「先輩もお仕事、お疲れ様です」
「んー? ありがと」
「明日休みですよね? 久々にデートしましょうよデート」
「いいよ」
「えへ、やったー!」
私のお腹に顔を埋めていた彼女はゆっくりと顔を上げ、へらりと緩み切った笑顔を見せた。それは私しか知らない、私だけの笑み。思わず私は彼女の頭を掻き抱き、無遠慮にわしゃわしゃと撫でる。
「きゃーっ! ちょっと先輩!」
「アンタ、あざとすぎ」
「えー? でもそんなあたしが好きなんですよね?」
「別に? あざとくないアンタも好きだけど」
「うっわ、先輩の方があざといじゃないですか!」
「そんな私が好きでしょ?」
「ぐっ……好きです、けど?」
あざとい彼女の不服そうな顔を見て、満足。
私は彼女の頭を撫でていた両手で膨れっ面な顔を包み、柔らかな頬を掌でむにむにと揉んでから、ちぅっとタコみたいに窄められた彼女の唇に自らのものをくっつける。
「んっ!?」
ヒクリ。彼女の身体が一度だけ跳ねる。すぐに顔を離せば、驚いた表情の彼女と目が合う。だけどすぐ、彼女は俯いて再び私の腹に顔を埋めた。
「……先輩も大概、あたしのこと好きですよね」
「じゃなきゃ一緒に住んでないよ」
「もぉ〜。ツンデレ」
「配信でも話してたよね、ツンデレの話。イケメンで可愛くてカッコいいツンデレの人。そんな人、居たんだ」
「……先輩の事ですよ」
くぐもった声で、彼女は不満そうに呟く。わかってるくせに。敢えて彼女はその指摘をしなかったが、照れが混じる不貞腐れた声が彼女の感情を如実に示していた。
「ごめんごめん。ちゃんとわかってるよ」
「意地悪」
「ごめんね? 好きな子には意地悪したくなっちゃうの」
「先輩、男子小学生みたい」
「あはは。自覚してる」
乱れた髪を整えるように、掌で彼女の丸い頭を撫でる。なでり、なでり、と。心地良いのか、途端に彼女はんーっとやっぱり猫みたいに高い声で鳴いた。
「……まぁ先輩が男子小学生みたいなところは、今に始まったことじゃないですけど」
「ちょっと? それどういう意味よ」
「そのまんまの意味です。ほーんと、出会った頃から変わらないんだから」
はぁっとため息をつく彼女。でも、ちらりと見えた彼女の表情がニヘラと上機嫌そうに笑っていたから。私よりもよっぽど彼女の方がツンデレじゃないか。そう思った。思うだけで、口にすることはないけれど。
「アンタも変わらないね」
「え? そうですか?」
「私が大好きな所とか、変わらないじゃん」
「ねぇそれはっ! ……そう、ですけど」
腕の中。バッと顔を上げた彼女は、だけどすぐに目を逸らし、モゴモゴと何か言いにくそうに言葉を濁す。果たして変わらない彼女の動作に、私はクスリと笑って、ほんのりと赤らんだ頬に再び掌を当てた。
「変わらないよ。私のことが大好きな所も、何事にも一所懸命な所も、誰よりも優しい所も」
「……んー」
「私が恋したアンタのまま、変わってない」
「んー!」
「あは。照れてる照れてる」
頬に触れていた手をおもむろな動作で滑らせ、小さな顎をクイッと持ち上げる。瞬間、彼女は期待と羞恥で潤んだ目を向け、ハッと短く息をした。
「好きだよ」
数刻、音のない時間が流れる。キュウッと細められた瞼の奥で、彼女の瞳が泳ぐ。目と鼻の先、間近で見る彼女の目は、ほんのりと茶の色が混ざってる。それを知るのは、きっとこの世で私しかいない。
「……本当先輩って、酷い人」
熱い吐息と共に囁かれた、弱々しい言葉。ネット越しでない、鶯舌の声。彼女のこんな甘い甘い声の音も、私しか知らない。心中で渦巻くは、どうしようもない優越感だ。
「あたしも、好きです」
「うん」
「好きなんです、先輩の事。あたしの事を見つけた、あたしの手を引いてくれた、あの日から」
「うん」
「貴方が好き」
愛の吐露だ。真っ直ぐで、純粋な愛の唄だ。眩しくて、眩しくて、仕方ない。私だけに向けられた、彼女の光。皆が魅了される、穢れない眩惑な光なのだ。一度その光に手を伸ばそうものなら、その身は、その心は、最も容易く燃え尽きてしまう事だろう。でも、伸ばさずにはいられない。例え自らの全てが光の業火に包まれようと、構わない。何故って、私は彼女に魅了されたうちの一人。私は彼女が好きだから。
「…………〜っ! お腹が空きました! 先輩!」
「あはは」
「お腹空いたんです! 今日のご飯はなんですか!」
「今日はカレーだよ」
愚直なまでに真っ直ぐ伝えた愛の告白に、彼女は自分で照れたのか。プイッと外方を向き、話題を変える。でもすぐ、先ほどまで鍋の中でグツグツと似ていた今日の晩御飯を伝えると、パッと表情を明るくさせキラキラと瞳の夜空に煌めきを宿した。
「えっ、本当ですか?」
「ほんとほんと」
「やった! 先輩のカレー大好き! 早く食べましょ!」
子どもみたいに彼女は笑う。目をニッと細くさせ、口角が上がった唇から白い歯が見えた。満面の笑み。私の大好きな笑顔を浮かべ、立ち上がった彼女は私の手を引き早々と部屋を後にする。
「ちょっと待ってて。まだ煮込み足りてないから」
「えーっ! 早く食べたいのに……」
「早く食べたいなら準備手伝って」
「はぁ〜い」
急かす彼女に苦笑しつつも、自身の料理を楽しみにしてくれる恋人へ嬉しさを感じないわけもなく。
ちまちまうろちょろと動き回るその子を横目に、私は再びコンロに火を灯し、鍋の中のカレーをかき混ぜた。
彼女と出会って四年。築年数二十年程のこの家に住み始めて一年。カレーを煮込む時間すら私の特別になったのは、いつからだったか。
穏やかに流るる、彼女との暮らし。特段大きな喧嘩もなく、平和な日常を享受している私たち。家に帰れば、私の事が好きな私の好きな子が居て。それだけで世の不条理とか、漠然とした将来の不安とか。人生において皆が一度は考える事柄の一切合切が、些細な事のように感じる。
「あぁ〜、お腹すいたぁ〜」
可愛くて、あざとくて、小悪魔的。頑張って私を揶揄おうと奮闘するけど、その実少し押すだけで顔を赤くさせる照れ屋さん。何事にも全力で、でもその努力を他人に見せることのない、ちょっと頑固なプライドが高い女の子。甘え上手で、甘え下手なツンデレちゃん。
それが、彼女。私の恋人。何者にもなれなかった私を愛してくれた、私の想い人だ。
「せぇ〜んぱぁ〜い。まだぁ〜」
「はいはい。大人しく待ってて」
準備を終えた彼女が、ローテーブルの前に座って私を催促させる。やっぱり、子どもみたいな彼女。でも、彼女が子どもみたいな姿を見せるのは、私だけだから。口ではあしらいつつも、心底彼女に惚れている私は今も尚心臓のときめきを鳴らさずにはいられない。彼女が言う通り、私も私でツンデレだったか。
「ほら、出来たよ」
「やったぁ!」
煮込み始めて数分。出来上がったカレールーを炊きたての白米と共に器によそい、彼女の前にコトリと置いた。途端、彼女は大袈裟なまでにニコニコと喜んで、私を見る。
「美味しそうです!」
「美味しいよ」
「知ってます!」
軽快な会話のキャッチボール。私が自分の分のカレーをよそって、彼女の隣に腰掛けた。私のことを待ってくれていた彼女は、私が定位置についたところを確認してすぐ、パンッと手を鳴らす。
「いただきます!」
「いただきます」
出来上がった料理に手をつける前に。私の料理を食べる彼女の反応を窺うようになったのも、さてはていつからだったか。
元々料理を作ることは嫌いじゃなかった。その嫌いじゃないが、好きに変わったのは、きっと彼女の影響だ。先輩の作る料理はなんでも好きです! なんて言ってくれる彼女は、本当に私の料理が好きなのだろう。どんな時だって美味しそうに頬張る彼女。そしていつも、最初に私へこう言ってくれる。
「美味しいです!」
と。
「ん、良かった」
その言葉を聞き終え、ようやっと私は自分の作った料理に手をつける。ある種これは、私の食事のルーティンと言えるかもしれない。本当に、いつからこんなルーティンが生まれたのやら。でも、今じゃそれが当たり前だから。
彼女との生活を始め、いろいろな当たり前が増えた。
食事時のルーティンから始まり、おはようとおやすみの時はキスをする。お出かけの時は、必ず手を繋ぐ。好きって気持ちは、ちゃんと口にする。
いざ思い浮かべれば、なんとも小っ恥ずかしい当たり前。でも、嫌なわけじゃない。寧ろそんな小っ恥ずかしいものが私達の当たり前になっている事実に、嬉しく思う。そして、嬉しく思っている自分に、また私はどうにもくすぐったい気持ちになった。
愛してやまない、彼女との日々。もし、かつての私が今の私達を見れば、どんな反応を見せるのだろう。よもや自分が、ここまで人を愛し、人から愛されるとは思ってもみなかったから。
幸せだ。幸せなのだ。穏やかで、和やかで、平和な日常が。彼女と比べ、私の人生など取るに足らない、ありふれたものだけど。それでも、幸せだって思える。願わくば、この幸せをずっと噛み締めてずっと続いてくれればいいと思っている。頭がお花畑だって自覚はあるけど、それでもいい。この暮らしが、これからも続いてくれるのなら。
……だけど、神様って呼ばれるやつは、どうやらそんな私達の幸せを退屈だと思ったらしい。
「……ん?」
私の、私達の幸せは、ある一通の電話によって転換された。
「ごめんなさい、電話来たので出ていいですか?」
「いいよ」
「ありがとうございます」
幸せそうにもぐもぐとカレーを食べていた彼女が、振動するスマホを手に持つ。私と話す時よりも幾分か高い声で電話に出た彼女は、作られた声で応対。だけどすぐ、彼女は「えっ」と小さく声を漏らした。
「……先輩」
潜められた声は、凍りついていたように感じた。ゆっくりと、向けられた目。誰がみてもわかるくらい硬直した彼女は、私ですらあまり見たことない表情を浮かべ、震えた声で静かに声を溢す。
「あたし……先輩と付き合ってること、バレたみたい……です」
焦燥した面持ちで呟いた彼女に、恐らく私も似たような顔をして。
「……え?」
数秒まで流れていた穏やかな空気は崩れ落ち、残されたのは私の……間抜けな声だけであった。
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