序章 3月 突然の【契約】

第1話

机を挟んだ向こう側にいる男性に、突きつけられた言葉は多分、残酷と言える言葉だったのだと思う。



「悪いが、僕が愛しているのはあなたではなく、あなたの妹だ。なんのすれ違いがあったのかわからないが、結果的にあなたと婚姻届を出してしまったことになったが、調子に乗らないようにしてくれ」



 癖のない黒髪をガシガシと掻きながら、イラつかせている黒曜石のような切れ長の瞳をチラと見て、すぐに俯く。


 自分の伸ばしたまま、とりあえず整えているだけの髪がさらりとこぼれ落ちてくるのを見つめながら、それでも黙っているしかできない。



「……………」


「何がどうしてこうなってしまったのか……、しかし、届を出してすぐに離婚なんて外聞が悪すぎる……仕方ない、一年間だけ我慢しよう……」


「…………」



 それは、一年後には私も、【あなた】という楔から解放されると言うことと同義であって。


 この【契約】に乗り気ではないのは、別に【あなた】だけではないのだと叫び出したかったけれど、ここで変に揉めても面倒だと言う考えがあったため、押し黙っていることしかできない。


 そんな私の態度にイラつきを感じたのだろうか。


 突然、ばんっ! と机を思い切り叩かれて驚きで小さく声が漏れて、体が跳ねてしまう。


 怖くて思わず、顔をそっと上げれば、これ以上ないほど冷たい表情で、私を見下ろしているその瞳と視線がからまってしまい、息を飲む。



「僕の言っていることの理解、できる?」


「……は、はい」


「聞こえてるのなら、ちゃんと反応したらどうなの?」


「もうしわけ、ありません……」


「謝って済むのなら、子供からやり直したらどう?」


「…………申し訳ありません……」


「はぁ、とにかく、このマンションのあの部屋は、あなたに貸してあげる・・・・・・。ただし、余計なことはしないようにしてくれる?」


「……わかりました」


「そう。なら、話は終わりだ。早く部屋に引きこもってくれるかな? 目障りだ」


「………………失礼します」



 あまりな言いようだな、と内心で思いながら、私は席を立つ。そうして、自分に与えられた部屋の中に入って、しばらく息を潜める。


 私が部屋に入ってすぐ、【あの人】も自室になっているであろう部屋に入っていく音を聞き、ようやく深く長い息を吐き出した。


 改めて入った部屋を見回せば、そこには自分には到底似合うことのない景気が広がっている。目がチカチカとすると思いながら、それでもわがままを言ったであろう人物のために用意されたものだと理解もしているため、まさか模様替えをしたいですとは言えない。


 一年はこの部屋で過ごさなければならないのかと少し憂鬱になりながら、ピンク一色で統一された部屋を見回し、ベッドへと足を運びそこに体を沈める。


 ため息をつくと幸せが逃げるよと教えてくれて親友に、申し訳ない気持ちになりながらもこれは許してと内心で呟いて、仰向けになった状態のまま目元を両腕で覆う。



「……バツイチになる予定が、既にできちゃったな……」



 呟いて、私は今日はお風呂に入ることを諦め、ルームウェアに着替えて眠ることにしたのだった。

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