第十一話
タイちゃんは、唇を震わせ、瞼を揺らしながら近づいてきた。
まるで見たことの無い姿に、俺の手は知らず知らずに止まっていた。
「……ん、なんでぇ、抜こうとしたのぉ」
そっと、彼は俺の腕を取った。
俺は、口を開けたが、言葉を発することが出来ない。
「……リョウちゃんもぉ、怒らせたら、肥後のデブとか岩片と同じ目に遭うよぉ?」
「ちょ、おい、その二人はどんな目に遭ったんだ?」
「えぇ? んー、まあ、二人とも夢の世界を漂ってるんじゃないかなぁ?」
「……夢の世界? まだ眠ったままってことか?」
「んん? 知らないのぉ? じゃあ、まあ言うこと無いか」
「どういうことだよ。てか、まず最初に聞きたいんだけどさ、その花は何なんだ?」
「何なんだってぇ?」
「なんか、変な声上げたり、動いたり、人を倒したりすんじゃねーか。あれ、何なんだよ」
よく考えれば、こうやって素直に彼と話すのは、小学校の時以来だ。
それが、こんな話題。俺の胸がぎいぎい締め付けられる。
「何って、知らないのぉ?」
「何をだよ」
「人間のエネルギーを吸うの」
タイちゃんの目に、影がさんと差したように見えた。
「……じゃあ、何のためにそんな花、育ててるんだ?」
「あげるからぁ」
「あげる?」
「めちゃめちゃ可愛い女の子にぃ、その花をあげる」
俺の頭の片隅に、ポッとけいちゃんが浮かんだ。そして、どんな顔かも分からない彼女も。
「……めちゃめちゃ可愛い女の子って、どんな人なんだ?」
「んー、ちょっと、独特な喋り方してるんだけど、それがまた良いんだよねぇ。長い髪の毛で、綺麗な黒」
俺は、今すぐここから逃げ出したいと思った。
「独特な喋り方って、何、どういう感じの……」
「なんかぁ、色々変な感じ」
それだけでも、十分なダメージが返ってきた。
「で、なんかぁ、歩いてたら種を配られてぇ、これを育てて返してくれたらぁ、彼女になってくれるって言うからぁ、一本育ててぇ、今二本目」
「……今すぐやめた方がいいぞ、タイちゃん」
「ええ? なんでぇ、花を育てるだけで可愛い彼女が出来るんよぉ?」
「けいちゃんはどうしたんだ、荒尾啓太は」
「諦めてないけど、彼女が出来るならそっちでいいかなぁ」
ふっと、身体が炎を吹いた。
「いやダメだって。この花ずっと育ててたら、おかしくなるから、マジで。もう今、その彼女に洗脳されてんだよ」
「うーん、まあ、芽が出てきたくらいにね、その女の子が出てくる夢見たんだけどぉ、凄く起きた時に気持ちくてぇ、良い夢でぇ……。だから、幸せな洗脳なんじゃない?」
ボディーブローを食らったボクサーのように、心臓が揺すられた。
「どうせ、それを叶えても、その女はタイちゃんとは付き合ってくれないんだ。ただ、タイちゃんの労力を吸ってるだけ。俺は知ってる」
「なんで知ってるのぉ?」
喉仏がぎくり、と動いた。
タイちゃんは、引っ越してきたころと全く変わらない、どこかとぼけた魚のような目をしている。目の下の、夜な夜なゲームによってできたクマにまで睨まれている気がした。
「……まあ、俺の情報網から」
「本当?」
彼の目に縛られたかのように、俺は身動きが取れなかった。
「なんでぇ? その女の子を知ってるの? ねえ」
「いや……」
「リョウちゃん、小学校の時はそんな真っ赤なウソ、つかなかったねぇ」
どこか哀しげな彼の視線が、まさに傷口に塩を塗りこまれたかのように沁みる。
「正直ぃ、クラスメイトみんな嫌い。みいんな、虫のフンでも見るような目でこっちを見てくるし。お母さんも、お父さんも、ろくに子供のことを気に掛けず遊んでるだけだから、嫌い。先生も、めんどくさそうに放っておくから、嫌い」
一つ一つ、彼は思いのたけを吐き出していく。上下させている右手の痣が、嫌でも目に入った。
「でも、でもね、リョウちゃんと、啓太君だけは、嫌いになれないの。何でか分かんないんだけどねぇ、嫌いになれない。本当、なんでか分かんないけどぉ」
ズン、と衝動が波になって走った。
そのおかげで、涙腺に刺激が走って、危うくおかしなものが零れかけてしまう。
「……なら、ちょっと聞いてくれ。この花を育てることで、様々な人間が死んでいくんだ。でも、タイちゃんに見返りは無い。しかも、花は時折奇声を上げたりする。それは、タイちゃんにとっては、損しかない。お願いだ、俺の言うことを聞いてくれ」
「だからー、そんな無条件に聞けるわけないじゃないぃ? 証拠も何もない状態なんだから」
俺は、さらにもう一言言おうとしたが、伝える言葉が出てこない。これ以上、話しても平行線を辿ることは明白だった。
「……じゃあ、今日のところは帰る。でも、頼むから、恨みがあるのは分かるけど、その恨みをこんなえげつない方法で返すのは止めてくれ。誰のためにもならない」
タイちゃんが、表情を変えた。顔の筋肉がガチガチに固まって、目を吊り上げて、口を真一文字に結ぶ。
「……これまでずっといじめられて、汚がられた恨みを晴らすことを許されないってぇ、ずっと牢屋の中に閉じ込められるくらい、きついことだよ」
多分、誰も分かってくれないけど。
それだけ言い残して、タイちゃんは目を伏せ、裏口の扉を開け、静かに中へ入っていった。
「あっ」
情けない驚きの声が出たのは、ドアが閉まりかけてからだった。
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