第九話
結局、それからは江崎君と大した会話もしなかった。
僕は、リョウの家で、少し考えることにした。
「なんでズバッと訊かねぇんだよー」
「そんなこと言われても、なんか訊くに訊けなかったって言うか」
「えー」
そんなことを話していると、気づけばリョウのファッション指南会に化していた。
「もう、あっという間に夜じゃん」
「そうだな、結局、俺がずっとファッションについて一方的に話してただけだったな」
「そろそろ帰るわ」
「オッケ、また、なんかあったら頼むわ」
「了解」
ダウンコートを羽織って、外に出ると、頬をぴりつかせるような冷たい空気があった。
ふと吐いた息が、白く曇って空へと昇ってゆく。
と、ふと、僕の近くに暖気が近づいてきた気がした。
「え、もしやけいちゃん?」
どこか色気のある声に振り返れば、白いもこもこしたコートに身を包んだやっちゃんがいた。
「え、やっちゃん? なんでこんなとこに?」
方向的には、坂の上の方から降りてきたように見える。
「え、まあ、ちょっと用事があって。けいちゃんは?」
「友達の家に遊びに来てた」
リョウの家を指さして僕は言った。
「そっか、奇遇やね」
「うん。一緒に帰る?」
「もちろんばい」
二人の共通の好きな作家の新作の話で盛り上がっていると、それぞれの帰路の分かれ道が近づいてきた。
「せや、結局、好かん人に復讐は果たせたと?」
「え? まあ、別にもう……なんか、許せてきたかもしれない」
「そうと? なら、もう好かん人おらんと?」
「んー、まあ、あんまし……別に人の好き嫌いしないし、興味もなあ」
至極落胆した顔をしている、黒髪の美少女を見て、僕は慌てて言った。
「え、あいや、やっちゃんは別ね、興味しかないし」
やっちゃんの顔が少し明るくなった。
「なんか、やらしい言い方やね」
「え、どゆこと?」
「さすが、けいちゃん」
困惑する僕と、ニタリと笑みを浮かべるやっちゃんの対比は実に鮮やかだった。
と。
彼女の裏に、白い二つの光が見えた。
その光は、尾を引きながら、ほうき星みたいにこちらに近づいてくる。
プワァン!
僕の身体は、飛んだ。彼女の身体を思い切り突き飛ばしながら、横っ飛びだ。
驚いたような彼女の顔が、草むらへ落下していく僕が、皮膚の体毛の擦れ擦れをかすめてゆくその光の主が、全部スロウモウションで進んでゆく。
「キャッ」
胸を毛羽立たせるような臭いの排気ガスを出しながら、ブオォンと車は走り去って行く。
互いの頭の上に、三点リーダーが見えるような顔で、僕らは見つめ合っていた。
「……冷たっ!」
やがて、僕は落ちた場所が、まだ水の張られている田んぼであることに気付いた。
「やばっ! はよ上がらんと!」
二人はバシャバシャ飛沫をあげながら、畔を駆け上がった。
「ばり寒いっちゃけど!」
「ごめん、田んぼまで落ちちゃった。泥だらけだね」
僕はやっちゃんの頬についた泥を拭って、自分が着ていたダウンコートを着せた。
彼女の頬は、あったかくて柔らかい。
「え、よかと?」
彼女は、ダウンコートのパーカーを被って、チャックの上部を引き寄せて口元を隠した。そのまま、ジト目でこちらを見つめる。
とぅんく、と僕の心臓が鳴る音が聞こえた。
「ありがと、けいちゃん」
少し拗ねたような口調で、彼女は言った。
でも、図書室の天然王子と呼ばれる男でも、今は分かる。
「顔、赤いよ?」
「え? いや、赤うないよ!」
僕は、表面は冷たくても、温かい手で、彼女のダウンコートのチャックを閉めた。
「まあ、水に落ちちゃったし、早めにそれぞれ、帰ろう。あ、家遠いのか。じゃあ、送っていくよ。家、もうちょっとで着くし」
「え、いや、よかよか」
「オッケー、じゃあ、ちょっと走ってこ」
「そのよかと
僕は、それには答えず、彼女の手を引いて、のんびり走り始めた。
一緒に勉強をした公民館で彼女を自転車から下ろし、僕は家に着いた。
『今日はありがとう。けいちゃんは命の恩人ばい。こんなに優しい彼氏をいじめとった奴なんて絶対許せん』
さっちゃんからのメッセージが到着していた。
「ただいま」
「あんた、遅かったじゃない。最近ずっとこんな感じじゃない? ホントに彼女でも出来たんじゃないだろうね?」
じろりと、母がおたまを持ったまま、こちらを睨んだ。
「え、そんなわけ」
「まーまー、青春だよ青春。啓太もそういうのはいい経験に」
「あんたに発言権は無い」
ソファにもたれかかって座っている“優しすぎ万年係長”こと父の発言は、途中でぴしゃりと母に遮られた。
「まあ、大丈夫だから、とにかく」
そういって、僕はそそくさと二階の自室へ上がった。
『いや、別に今は何も無いからさ、大丈夫』
コンマ数秒で既読が付いた。
『でも、けいちゃんくらいの良い人をいじめる神経おかしい』
どこか、僕の胸の中にしこりが出来た。
『まあ、大丈夫だから、今の僕は強い』
筋肉の絵文字を添えて、彼女に送った。
『何かあったら言いんしゃい!』
胸をボン、と叩く、自信満々な女性のスタンプが送られてきた。
その日の会話は、それまでだった。
「おいおい、荒尾」
教室に入ると、すぐに横から真砂が駆け寄ってきた。
「ん? どうしたの?」
「なんか昨日、江崎大河が、この辺りでは見慣れない可愛い女子と家の近くで話してたって噂、聞いたか?」
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