遠本涼一郎
第一話
「ブワァックション! ブワァーックション!」
ニコニコと、アイドルの話をしていた女子たちが一斉にそちらを注目し、クシャミの主に見せつけるようにヒソヒソ話を始めた。
そんな中、教室の中心の席に座る
「あいつ、何なんよマジ。いつになりゃまともにシャワー浴びれんだ?」
机の上にドカッと腰を下ろした、金のツンツンヘアーのキツネ顔、
「なあリョウ、お前もそう思うよな?」
「え? あ、ああうん、全く」
唐突に問われ、俺は慌てて作り笑いで取り繕って同調し、満足そうに笑う律を前に後悔を募らせた。
江崎大河は、出っ歯を剥き出しに、どす黒い右手首の火傷跡を睨んでいる。
「
ここに来て初めて、僕の右隣に
「まあ、そうならそうでいいけど……いや、まあそれはそれで碌な風邪にかかっちゃいねえか」
背中をうんと伸ばしながら、さらりと魁成は言った。
「テツ、なんか知らねーの?」
「んー、まあ知らんわ」
情報屋兼コミュニケーター、
ピーンポーンパーンポーン
二年目の担任が仁王立ちしている、その目の前で、皆は友達と話し、ヘラヘラ笑い合いながらロッカーに英語の用意を取りに向かった。
英語の授業は、辺りを見渡せばほとんどが机に顔を伏せているか、英語の教科書を盾に漫画や小説を読んでいる者ばかりだ。
「なあリョウ」
「ん?」
後ろの席にいる律が椅子を軽く蹴った。
「五左衛門いないだけでこんな授業の雰囲気大人しくなるもんか?」
「まあ確かに……それだけの影響力はやっぱあるってことなんじゃね?」
「まあ、そうか」
普段のクラスには、律、魁成、徹矢、俺を取りまとめる“組長”がいる。
「
「全く。
「馬鹿は風邪ひかないって言ってたけど、どうなんだろうねー」
隣の女子たちの会話は俺たちにまでダダ洩れだ。
自らが気に喰わぬものに徹底して制裁を加える、二年の暴君、肥後五左衛門が、突如学校に来なくなったのは二日前からの話である。
弱小野球部の四番である彼は、これまで学校を休んだこと無く、取り巻きを引き連れて、金を持ってこさせたり万引きをしたり、おかしな噂を流したり、ターゲットの裸の写真を拡散したりし、従わぬ者には鉄拳制裁を加える毎日を送っていた。
山奥の中学校において、そんな彼を止められる者は存在せず、紛れも無く彼は二年のトップに君臨するようになっていた。
そんな彼に異変が起こったのが、五日前ほどだった。
「ちょっと、
授業が終わり、給食の配膳が始まりそうになったところで、背中に声を掛けられた。
生徒のことをフルネームで呼ぶ教師は、知るところあの人しかいない。
「はい?」
振り向くと案の定、担任、
「ごめんね、ちょっとだけ訊きたいんだけど、肥後さんがなんで来てないのか、知ってたりする?」
「いや、知らないです」
髪の毛一本一本に、律らの眼差しを感じていたため、俺はそれだけ言って立ち去ろうとした。
「あ、ちょっと、もう一つだけ、お願い、お願いします」
北井は、気体のように尻すぼみな声で俺の手を握った。
「なんすか?」
焦りから、つい声が大きくなる。
「遠本涼一郎さんって、江崎大河さんと家、近いよね?」
握る手を振り払おうとした腕が、スイッチが切れたみたいに止まった。
「え、それが一体?」
「いや、彼、早退してしまったんだけど、荷物を置いて行っちゃったから、届けてもらえるかな、って思って……」
叱られて言い訳をする幼児のような口振りだ。どちらが教師の立場なのかも分からない。
瞬時に頭の中で損得の天秤が動く。
「まあ、良いすよ、別に。下校の時にもっかい言ってください」
「本当に? ありがとう、めちゃめちゃ助かる」
「てかあいつ早退したんすか?」
「そう、英語終わってすぐに帰っちゃった。そんなにしんどそうじゃ……」
「おいリョウ、早く来いって!」
キンキンと鼓膜に刺さる声が聞こえたので、俺は北井の手から自分の手をスルリと抜き、律のところへ向かった。
「なあリョウ、北井と何の話してた?」
律の尖った爪が、俺の首を刺した。
「江崎大河が早退したから、荷物を送れって」
「で、受けたのか?」
ツンツンヘアーの先端が額に刺激を与える。
「え、ま、まあ……」
しばらくギロリと睨んでいた律は、フッ、と笑って言った。
「お前マジ最高。いいぜ、有能だ。どーせなら、江崎大河の家に潜り込めよ」
「……え?」
「で、出来んなら江崎大河に、五左衛門に何をしたのか尋問しろ。まあ、五左衛門が二度と帰ってこねぇなら、それはそれでオレには上々だけどよ、一応今は“組長サマ”だからな?」
「何をしたって尋問して何も無かったら?」
律の細い目が鷲のかぎ爪のように鋭くなった。
「うっせえ!」
二年の学年フロアが、一瞬にして凍結した。
「んなわけねーだろ、何も吐かねーならPCR検査でも何でもやってこい! そんでアルコール消毒液でもぶっかけてやれば十分世のため俺のためだろうが!」
俺は顎下の筋肉を固まらせて、首がもげるほどの勢いで頷いていた。
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