祝福された僕等
山口夏人(やまぐちなつひと)
第1話 儀式
「神は必ず私たちをお救いになるからね」
男は娘の頭に手を置いて、柔らかな髪を撫でながら言った。彼の娘『シャネ』は、自身の頭に手を置く父親の体が小刻みに震えているのに気付いて、その顔を仰ぎ見た。
「お父さん、これから何が起きるの?」
夜も更けて、森の中の生き物たちも寝静まったころ、シャネは父親に起こされた。寝ぼけたまま、森の最奥にある洞窟の中の祭壇へと連れてこられて、シャネは事態を飲み込めずにいた。
「お父さ…」
「静かにするんだっ」
荒らげているわけではないが、凄みを含んだ父親の厳しい口調に、シャネは口をつぐむしかなかった。
「ここに立っていなさい」
男は娘を祭壇上に立たせた。男は腰に提げた黒光りのする革の入れ物を開けて、中から様々な小物を取り出した。シャネは父親が次々に取り出す小物をよく知っていた。それらは普段、狩猟で獲った獲物に感謝を捧げる儀式で使われている物だった。
男の緊迫した呼吸の音が洞窟内を反響していた。松明に火打石で火を点け、石でできた祭壇上の四隅の窪みへと、鏡や、剣や、奇妙にねじれた加工石を置いていった。すると男は何かを囁き始めた。その言葉はシャネの耳に確かに届いているはずであったのに、彼女は意味を理解することができなかった。
シャネは思った。
(今まで聞いたことのない言葉。私の知らない発音)
シャネは父親の呟く言葉の意味を理解することはできなかったが、吐き気にも似た本能的な恐怖が、身体の奥底から迫り上がってくるのを感じた。
シャネは恐ろしさのあまり、父親の制止を無視して言葉を口にした。
「お父さん止めて、わたし恐いわ。今すぐに囁くのを止めてっ」
しかし男は呟きを止めない。シャネが祭壇から逃げ出そうとすると、男は娘の頬を強く叩いた。シャネは驚いて父親に非難の目を向けた。
彼女はさらにもう一度驚いた。父親は泣いていたのだ。男の口は、男ではない何かに乗っ取られてしまったかの如く言葉を呟き続けていたが、その眼からは、実に慈愛に満ちて、同時に父性を強烈に認めさせる、透明な涙がこぼれていた。
それを見たシャネは抗うことをやめて祭壇に大人しく座った。男は、ありがとう、とでも言うようにしきりに頷いた。
男は最後の窪みの上へ自身の腕を持ってくると、黒曜石の刃物で手首の皮膚を素早く切った。手首から溢れた血液を窪みが受け取った瞬間、男はその場に倒れ込んだ。
男の頭には矢が刺さっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます