想いのカタチは違くても

桂木 京

想いのカタチは違くても

 私が住むことになったのは、小さな山村だった。


脱サラして小説家を目指した私。

もう、これで売れなければやめようと思っていた作品が直木賞を受賞し、書籍化した作品は次々と売れていった。


長年の夢が叶った。

当初はそう思っていた。

夢の職業の始まりを喜び、私はひたすら原稿と向き合った。

しかし、次第に自分が『面白い』と思える作品が書けなくなり、自分の書いた文章に愛着を感じなくなった。

それと同時に、周囲からの声が雑音のように毎日私の耳に入ってきた。


『1作だけの作家』

『駄作家の奇跡』

『もう、ちゃんと働いた方が良い』


心無い言葉が、容赦なく私に浴びせられる。

『有名税』と言われればそれまでだが、人間とは愚かな生き物で、誹謗中傷に悪気を感じない者が多い。と言うかほとんどだ。


私はそんな雑音から逃げるように、今の村にやってきた。


都心から離れた、山奥の村。

私が小説家だということを最初から知っている人はいなかった。


私は、そんな環境でもう一度、原稿と向き合うことにした。




―――――――――――――――――



「先生、今日はどこまで出かけるんだい?」


村人は皆、私に優しかった。

皆が私のことを『先生』と呼ぶのは、私が引っ越してきたその当日の歓迎会の日に、私が小説家であるということを話したからであった。


引っ越した当日に村の人が皆、自分の家で作った料理と、家にある酒を持って来た。


「久しぶりに村に来てくれた新しい仲間だ。歓迎会するべ。」


出来るだけ静かな環境で執筆したかった私。

しかし、村人たちの厚意を無下にするわけにもいかず、私は皆を招き入れた。


気が付くと、私も目が回るほど酒を飲み、腹がはち切れんばかりの量を食べていた。

どの酒も料理も、今まで食べたことがないくらい美味かったのだ。


煮物、焼き魚、きんぴら……。

決して高級ではない、家庭料理。

しかしそのどれにも、愛情がしっかり詰まっていた。


そんな料理を食べるのは、久しぶりだった。


そして何より、村人たちの温かさ、優しさに私は心打たれた。


無機質な都会での生活に慣れきっていた私は、この村に居心地の良さを感じたのだった。


村での仕事には就かなかった。

私が作家であるということを知ったからなのか、村の消防団の誘いなどもなかった。

奥様方は、


「村の男は大体、消防団に入ってる。何かあった時に結局助けになるのは男手だからね。まぁ、滅多にに何もない村だから、消防団の活動ったって消防車両の手入れと飲み会くらいだろうけどね。」


と、笑いながら言っていた。

しかし、自分も村の男になる身。何か村のためにしなければと思い、


「でも、やはり消防団には入った方が良いですよね……。」


と訊ねたところ、みんな笑顔でこう言ってくれた。


「ありがとう。村のために何かしようと思ってくれただけでありがたいよ。消防団は、仕事の都合で入れない男たちもいる。だからね、無理しなくていいよ。でもね先生……もし困っている人がいたら、助けてあげてくれるかい? それだけで充分だからさ。」


困った人を助けてあげて欲しい。

自分のためにとか、村のためにではなく、困った誰かのために手を差し伸べて欲しい。

そう願う村の女性に、温かい気持ちを感じたのは言うまでもない。


いつも、私のことを助け、支えてくれる村の人たち。

私はそんな村人たちに恩返しをしたいと思い、村の人たちに車を提供することにした。


村人たちで車を持っているのは、男性たちばかり。

そのほとんどが日中は仕事に出ているため、女性や高齢者は皆、徒歩や自転車での移動がほとんど。

そんな女性や高齢者の力に少しでもなれればと、私は時間が合う時は送迎を買って出ることにした。


とはいえ、私自身も新参者。

そして私をすでに知る人は、作家活動の邪魔をしては悪いと遠慮する様子だったので、


「私もこの村のことをもっと知りたいし、何より1日に1度は外の空気を吸ってリフレッシュしないと書き続けるのも大変なのです」


と、とってつけたような理由を皆に離した。


結果、長い距離の移動に困った女性、高齢者が私のことを頼ってくれるようになった。


それでも、簡単な距離の移動やお使いは一切頼まれない辺り、この村に住む人たちの人の良さが現れていた。



―――――――――――――――


少しずつ、確実に村人たちとの距離を縮めていくことが出来た私。

そんなある日のことだった。


私は、おばあさんを村役場から自宅に送り届けた。


「いつもすまないねぇ。」


「いいえ、このくらいお安い御用ですよ。いつでも声をかけてくださいね。」


このおばあさんと知り合ったのは、私がこの村に引っ越してきて間もない頃。

家の掃除を手伝ってくれたり、おかずの差し入れなどを良くしてくれた。

恩返しの意味も込め、私はおばあさんの週1回の病院への送迎を買って出ている。


「お待たせしました。着きましたよ。」


「ありがとうねぇ。これはほんのお礼だよ。」


おばあさんが差し出したのは、大きな栗の実。

こんな大きな栗は、見たことが無かった。


「立派な栗ですね。」


「大きな栗で栗ご飯、最高だよ。煮物にしてもいいし、栗きんとんにしてもいい。甘みが強いから、砂糖も少しでいいんだよ。」


満面の笑みで、おばあさんは私に栗の一杯入った袋を手渡した。


「迷惑ついでに、もう一つ頼みたいことがあるんだけど……。」


おばあさんは、私に申し訳なさそうに言う。


「もちろん。どんな頼みですか?」


「いいのかい? 少し待っておくれ。」



おばあさんは、一度家の中に入ると、大きな紙袋を持って出てきた。

その紙袋を、私に手渡す。


「娘が来週、誕生日なんだよ。昔好きだったカボチャのパイを作ったから、渡して欲しいんだ。隣町だから、なかなか行かれなくてねぇ。」


紙袋からは、良い香りがする。


「分かりました。お嬢さんの家の地図をいただいても?」


私は、これは大切な仕事だと、このまますぐに娘さんの家に向かうことにした。



狭い村から隣町まではそう遠くない。


そして隣町も、それほど大きな町ではなく、おばあさんの言っていた娘さんの家はすぐに見つかった。


「ここか……。」


まだ甘い匂いのする紙袋を手に、私は娘さんの家の前に立った。

インターホンを鳴らすと、出てきたのは40代半ばの女性。

10歳くらいのお嬢さんと一緒だった。


「……どちら様?」


訝しげな表情を見せる娘さん。

無理もない。私と娘さんは初対面。

知らない男が紙袋を持って自宅の玄関の前に立っているのだから、私のことを不審者だと思っても仕方がないことだ。


「あ、私……村の者です。実は、あなたのお母さまから預かっているものが……。」


出来るだけ穏やかに話しながら、私は紙袋を娘さんに差し出した。

しかし、その紙袋を見て中身が分かったのか、


「それ、いらないわ。返しておいてくれる?」


娘さんは素っ気なく、私に言った。


結局、何度言っても娘さんはカボチャのパイを受け取ってくれなかった。


「捨てるのがもったいないなら、母に返すかあなたが召し上がって。それと母に伝えて頂戴。『お構いなく』って。」


乱暴に閉められるドア。

私は呆気に取られてしまった。

親子の間に、これほどまでに冷たい空気が流れることもあるのか、と。


私はありがたいことに両親との仲は良好である。

私が小説家になりたいと言った日も応援してくれたし、私の作品が受賞し書籍化されることが決まったときは、まるで自分のことのように両親が喜んでくれた。


確かに学生時代は『多少』の仲違いをして疎遠になった日もあったが、それでも自然と良好な関係に戻った。

親子とは、そんなものだと思っていた。


「……ここにずっといても仕方がない。おばあさんの所に戻るか。」


仕方なく、私はおばあさんの家に戻ることにした。




―――――――――――――――



「そうかい……。小さいときは大好きで、これしか食べなかったんだけどねぇ……。」


おばあさんの家に戻り、事情を説明した私。

少しだけ寂しそうな表情を見せたものの、受け取らないことを半ば予想していた、そんな口ぶりだった。


「失礼ですが……娘さんとの間に何か?」


「いやぁ……結婚について少しだけもめてね。お互いの住所は知ってるけど、行き来はしてないんだよ。」


聞けば、娘さんは現在シングルマザーだそうだ。

結婚も俗にいう『授かり婚』だったそうだが、父親の男性が浪費癖・ギャンブル依存だったため、結婚には最後まで反対したそうだ。

しかし、若かった娘さんは両親の反対を押し切り、その男性と結婚。


それ以来、娘さんとは疎遠になってしまったそうだ。


「ごめんねぇ。良かったらそれ、持って帰って食べて頂戴。私の料理の中でも自信作なのよ。」


娘に送ろうとした『母の味』。

帰されて自分で食べるのも辛いからと、おばあさんは私にそっと紙袋を渡してくれた。


その日の晩、私はおばあさんに頂いたカボチャのパイを夕食代わりに食べた。


「……美味い……。」


甘すぎない、程よい甘さ。

潰されたカボチャは綺麗に裏ごししてあって、舌触りも滑らか。

生地はしっかりしていて、お腹に程よく溜まる。


普段よく食べるパイと比べても、手間暇がかかっているのが分かる。

そして、その手間暇全てが、おばあさんから娘さんへの想いが詰まっているように思えた。


小さな子でも美味しく食べられるように、餡を滑らかにする。

栄養が偏らないように、甘さは子供が喜びそうなギリギリの甘さに留める。

ひとつでもお腹いっぱいになるように、生地はしっかりと作る……。


「この家にとって、これは『おふくろの味』なんだなぁ……。」


ふと私は思い立ち、冷蔵庫を開ける。

そこには、先日実家の母から送られてきた、手作りの蒸しパンが入っていた。


『ちゃんと食べなさい。小説家と言えども身体が資本であることに変わりはないですよ。』


そんなメモと共に送られてきた蒸しパンは、私が子供の頃大好きで幾つも食べたものだった。


「子供の好きなもの、好きな味付け……覚えてるものなんだな。」


カボチャのパイを食べながら、何故か急に実家が恋しくなってしまった。




―――――――――――――



翌日。

私はおばあさんの家に向かった。


「あらあら、今日は特に出かける用事は無いのよ。」


私がまた車を出すという話をしに来たのかと思い、おばあさんが申し訳なさそうに私に言う。


「せっかく来てくださったんだし、お茶でもいかが?」


「いただきます。」


私は招かれるまま、おばあさん宅にお邪魔した。

すぐにお茶とお茶菓子を用意してくれる。


「家にある物だけで恐縮だけれど……」


「いえ、急に押しかけて申し訳ない……。」


私がお茶を口にしたのを確認してから、おばあさんが私の向かいに座る。


「それで、どうしたんですか?」


おばあさんは、私の訪問理由に興味津々と言った様子であった。

私は言うべきか、直前まで悩んだのだが……。


「おばあさん、娘さんへのカボチャのパイ、もう一度作りませんか?」


このままでいいはずが無い。

私はお節介だと思いつつも、おばあさんに私の考えを伝えることにした。


「いやいや、もう『受け取らない』って言われちゃったし……。きっと何度持って行っても受け取っては貰えないわよ。嫌いになっちゃったのかも知れないわね。」


残念そうにおばあさんが言う。

しかし、私はここで引き下がりたくはなかった。

私も、両親と揉めたことはある。

それでも、ちゃんと歩み寄り、寄り添うことが出来たから今の関係がある。

そして、歩み寄れたのは、お互いの誤解をしっかりと解いたから。

おばあさんと娘さんも、きっと何か誤解をしているかもしれない。


誤解が残ったまま仲たがいをする、それはとても悲しい事だから、少しでも二人の力になれたら、そう思ったのだ。



「お節介かもしれませんが、私はお二人がずっと誤解したままだと感じたのです。お互いに話せていないことがある、お互いに言わなくてはならないことがある。そう感じました。だから……。」


「また断られたら、悲しいわよね?」


このおばあさんの言葉で、私の気持ちは決まった。

おばあさんは確かに『悲しい』と言った。

おばあさんには、娘さんに寄り添う気持ちは充分あるのだ。


「私に考えがあります。」


考えがあります、そう自信ありげに言った私。

しかし、小説家が考える秘策など、『文』くらいのもの。

それでも、その文で身を立ててきたという自負はある。


「手紙を書きましょう。おばあさんの想いを、隠すことなくストレートに。面と向かったら照れや意地で話せないことも、文字に乗せれば綺麗に伝わるものです。」


しかし、おばあさんは苦笑いを浮かべた。


「でも私……先生のように素敵な文なんて書けないし、きっと見苦しくなっちゃんじゃないかしら?」


「心を文字に乗せれば、それでいいんです。きっと私たち小説家よりも、心のこもった良い手紙が書けるはずです。見た目のカタチじゃなくていいんです。想いのカタチが大切なんです。」


「分かりました。書きます。」


おばあさんはそう言うと、真剣に手紙を書き始めた。

書き終わるまで、3時間。

私は最後まで、おばあさんが書き終わるまでを見届けた。





―――――――――――――




2日後、私は再び娘さんの家のインターホンを鳴らした。

おばあさんの作ったカボチャのパイを持って。


娘さんは私の顔を見るなりすぐに怪訝そうな表情を私に見せた。


「……また来たんですか?」


不快感を露わにしている。

このまま引き下がってしまいたい、そんな衝動に駆られたが、グッと踏みとどまる。


「また来ました。今回は受け取っていただきます。」


「だからいらないって言っているでしょう?」


「あなたは要らないと仰いました。それをお母さまにも伝えてます。それでもお母さまは、あなたに渡して欲しい、と私にこの紙袋を持たせてくれました。」


私は紙袋を娘さんに差し出した。


「……結構です。」


娘さんは、私とおばあさんの『予想通り』、紙袋を受け取ろうとはしなかった。


「分かりました。受け取ってもらえなければ持ち帰ってよいと言われてます。その代わり……これを。」


私はおばあさんから預かった手紙を娘さんに差し出した。


「今のお母さまの素直な気持ちだそうです。これだけは意地でも持ち帰ることは出来ません。」


仕方ない……と娘さんは私の手から手紙だけを受け取った。


「では、私はこれで……。」


娘さんが私の目の前で手紙を開き始めたので、ただ眺めているのも野暮だと思い、私はその場を立ち去ることにした。

カボチャのパイはもったいないので、おばあさんに事情を話してまた頂こうかと思った。

しかし……。


「ちょっと、待ってくれない?」


私を呼び止める、娘さんの声。

私が振り返ると、娘さんの目は真っ赤になっていた。

今すぐにでも泣き出しそうな勢いだ。

私は、おばあさんの手紙が、娘さんに響いたのだと確信した。


「あなたの入れ知恵? お母さん、文を書くなんてしない人だから。」


私は小さく頷く。


「えぇ。でも手紙の内容は知りません。私が一言だけしたアドバイスは、『飾らなくていいから思ったことを、心のままに』ですから。その手紙に書かれている文字が、お母さまが届けたいと思っている素直な気持ちで、本心ですから。」


娘さんは手紙を大切そうに胸に抱くと、私に向かい手を伸ばした。



「カボチャのパイ……やっぱり頂いてもいいかしら?」


私は娘さんにカボチャのパイを渡し、代わりに手紙を受け取った。


「私の方こそ、受け取ってもらえるか分からないけれど……。」


そういう娘さんの目には、涙が浮かんでいた。



私は特に詮索することなく、おばあさんのもとへ向かう。

そして、すぐに娘さんの手紙を渡した。

おばあさんは手紙を見ると、小さなハンカチで目頭を押さえ、


「ありがとうね。先生のお陰で全部丸く収まりましたよ。」


と、満面の笑みを私に向けてくれた。


「私が聞いていいか分かりませんが……手紙には何と書いたのですか?」


物書きとしては、おばあさんが娘さんの心を動かした言葉が気になっていた。


「あぁ……私は文を書くのが苦手なものでねぇ。一言だけ書いたんです。『どんなことがあっても、私はあなたを愛しています』ってね。」


私は脱帽した。

言葉に気持ちを乗せて読者に届けるのが、我々小説家の仕事。

時に長い時間をかけて、どうすれば読者に伝わるのか必死に言葉を選ぶのが私の仕事。


しかし心からの想いには、多くの言葉は不要なのかもしれない。


たった一言で、人の気持ちは変わってしまうのだから。


おばあさんが娘さんの手紙を開ける。

私はその様子を見守る。


「まったく……昔から不器用なんだから、あの子は。」


その時のおばあさんの表情は、驚くほど穏やかだった。


「手紙には、なんて?」


「大した事、書いていないわ。」


おばあさんは笑いながら、手紙に書かれた文字を私に見せてくれた。


『ごめんなさい』


たった一言。

その下には、おそらく娘さんの、ものであろう電話番号が書かれていた。


「これだけ?」


「えぇ、これだけですよ。今度うちに呼びましょうかね。まだ孫の顔も満足に見てないし。」



お互いに、たった一言ずつの手紙。

しかし、それですべてが上手くいった。

私は言葉が持つ魔法に、ただただ驚かされるばかりであった。


小説家になって何年経っても、言葉とは、本当に面白い。





――――――――――――




それから数日、娘さんはおばあさんの家に遊びに来た。

お互いに料理を作り、近所の人を招いてちょっとした会食のような雰囲気になった。


私も招かれ、ご相伴に預かった。


(数日前の二人とは、別人みたいだな……)


おばあさんも、娘さんも笑顔。

娘との関係を諦めたおばあさん。

おばあさんを拒絶し続けてきた、娘さん。


そんな二人の心を再び繋いだのは、想いのこもった『素直な言葉』だったのだ。


ずっと、愛してる。

ずっと、謝りたかった。


想いのカタチは違くても、素直に言葉にすれば、ちゃんと分かり合える。

それを私は、この母子から学んだ。


本当に届けたいのは、何なのか。

どんな気持ちなのか、想いなのか……。


人は往々にして不器用だ。

簡単な単語も伝えられないほどに。

そしていつの間にか、すれ違う。



「届けたいものを、素直に明確に……。」



今回、母子が教えてくれたこと。

それを私は、手帳の最初のページに書き込んだ。



「今日は、筆が進みそうだ……。」


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