守りたいのに


 十月、俺の高校は文化祭だ。二日間の日程のうち、一日目に咲哉は来ることになった。

 帰宅部の俺がかかわるのはクラスの企画だけ。定番の喫茶店をやると伝えたら、咲哉はむしろ喜んだ。


「文化祭で喫茶店って、めっちゃ読むし観るシチュエーション! ほんとにあるんだね」

「都市伝説みたいに言うなよ……」


 笑ってしまったけど、そもそも高校生活のリアルを感じたいという理由で見学するんだもんな。

 ならば協力するしかない。空き時間にあちこち案内してやるのが楽しみだった。





「なあ加賀谷、客とか来る? うち母親が行くって言い出してダルいわー」


 文化祭一日目、間もなく開門という時間に合わせ、調理室の冷蔵庫から大量のドリンク類を運びながら同級生の森下がボヤいた。

 あれだよ、電車の中で「高校生の声優が出てる」と言った奴。

 咲哉がその声優だということは内緒だけど、ただの弟としてなら紹介してもいいんだな。


「弟が来る」

「あれ、一人っ子じゃなかった?」

「今年再婚して、義理家族できたんだ」

「へー! なになに、弟くんかわいい? ちっちゃいの?」

「高一だよ。身長も同じくらい」

「なんだ、それだと友だち感覚だな」


 かわいい子どもの弟を期待するってどういうことだと思ったら、森下は二歳下の妹がかわいくなくてクサってるらしい。生意気だの言葉がキツいのとグチられた。


「あーあ、別の学校の彼女呼んだ奴とか超うらやましい。俺も彼女できねえかなあ」


 しみじみつぶやかれた。

 彼女か。まあ、いれば楽しいのかも。だけどあまり想像できない。

 デートするにも家に呼ぶにも、そういうのって咲哉と過ごす時間と何が違うんだろう。キスしたりそれ以上を狙ったり、てことぐらいかな。まあそういうのは、してみたいけどさ。

 でも今日は咲哉が来てくれる。それでいいやとナチュラルに思った。




 そして教室にあらわれた咲哉を見て、クラスの女子が色めきたった。

 ダークブラウンの細いパンツ。ゆったりした生成りのカットソー。カーキのキャップ。そして丸縁の伊達メガネ。

 いちおう顔が目立たないよう帽子と眼鏡という変装アイテムを身につけたのに、着こなしすぎだろ。むしろ目がいく。


「将吾ー!」


 いえい、と手をヒラヒラされて俺が接客に出た。後ろから女子の視線を感じる。これ後で質問攻めじゃないか?


「いらっしゃい」

「高校って広いね! 俺のとこってビルのワンフロアだから知らなかった」

「迷ったか?」

「んー、ちょっと探検した」


 迷ったんだな。苦笑いしながら注文を聞く。

 うちのクラスは残念ながらメイド喫茶とかじゃないんだけど、提供する品物だけは猫コンセプトで統一した〈猫カフェ(生体はいません)〉という喫茶店だった。


「んじゃ、ネコ型クッキーとアイスミルクティーください」

「かしこまりました」

「将吾にそんな言い方されると笑える」

「うるせえ」


 注文をキッチンに伝えたら、待ちかまえていた女子に囲まれた。


「ちょっと加賀谷くん、あれ友だち?」

「弟なの? えー似てない! てか年下か……ぜんぜんアリ」

「うちの学校じゃないんだよね、どこ高校? まさか中学?」


 食いつきがすごくて俺はわりと引いた。楽しげに教室内をきょろきょろしている咲哉はすごく絵になり、客からも視線を集めている。

 ササッと注文の品を用意して咲哉のところに配膳しにいった女子のことを、周りにいた奴らが「あっ」とくやしそうに見送った。猫シールの貼られたコップを受け取る笑顔がちょっと営業スマイルなのを、俺はあーあ、とながめた。

 咲哉、無事に帰れるのかな。




 当番が終わり自由時間、俺は咲哉と合流した。


「どこ見てた?」

「んーと、前庭でやってたダンスと、体育館の軽音と、写真部の展示と……」


 わりと楽しんだようでホッとする。そして俺を振り向くニコニコ顔。


「食べ物系は将吾と行こうかなって待ってた」


 甘えた言い方がかわいくて、きゅんとした。

 ん? きゅん、てなんだよ。彼女じゃないのに。

 うっかりそんな風に咲哉を見た自分に動揺し、誤魔化すために大きくうなずく。


「おし、食べ物な。俺も腹減った」

「何食べよっか」

「去年の同クラの奴とかに義理があるから、買わなきゃなんない店もあるんだ」

「ああ、お互いに顔出すんだね」


 そう言う横顔がほんの少し寂しそうだ。大規模な催しがうらやましいのか。

 でもどうしたよ。去年まではそういうのもやってただろうに。元気出してほしくて背中をポンとした。


「食べ物って中学ではあまりないだろ。おごるぞ」

「うん……食べ物がっていうか。俺、中学もあんまり行ってないから、ぜんぶめずらしい」

「え」


 それは初耳だった。そんなに忙しく仕事していたのか。

 だけど買い込んだ焼きそばとポップコーンとジュースを抱え陣取ったフードスペースで、ぽつぽつ話されたのはぜんぜん違う事情だった。


 咲哉は、中学で不登校だったんだ。

 小学生時代にテレビに出た役柄をからかわれたりということはあったけど、それよりもキツかったのが身長。

 入学当初小柄だった咲哉は、先輩や同級生が大人の体格に近づく中学の校内を歩くのがつらかったらしい。自分より大きい男が怖くて。


「それ……吊り革のアレと同じ」

「うん。小学校は女の先生も多いし、それに男の先生はたぶん気をつけてくれてたんだと思う。でも中学の生徒全員にそんなこと告知できないでしょ。むしろいじめられるから」

「だな……」

「で、大きい同級生にいちいちビビっちゃって、変に思われて、もうだめ」


 はは、と情けなさそうに笑ってみせられても、俺は笑えない。咲哉の抱えてきたものが悲しくて、この場でギュッとなぐさめたくなった。


「将吾に言えてなくてごめん。俺ほんとに中学の勉強してなくて馬鹿だから、恥ずかしかったんだ。将吾はお義父さんに迷惑かけないように頑張ってたのに……」

「ばっかやろ。おまえ別のこと頑張ってたし、俺の知らないことたくさん教えてくれたじゃないかよ」


 頭をなでるのは我慢して、焼きそばを向こうに押しやった。もっと食べろ。

 咲哉はへへへ、と紅ショウガをがっつり取る。いいよいいよ、それぐらいゆずってやらあ。


「お、加賀谷! それが弟くん?」


 言いながら駆け寄ってきたのは森下だった。さっきは当番じゃなくて教室にいなかったんだ。同級生だよ、と俺は咲哉にささやいた。


「弟です。兄がお世話になってまーす」


 一瞬で無邪気な笑顔に変わる咲哉は、たしかに嘘つきなのかもしれない。外ヅラを作ることができる点で。まあ俺に対しては無防備になってくれるんだけど。


「……え、ちょっとお兄ちゃん!」


 森下の後ろから来た中学生ぐらいの女の子が咲哉を見て立ちすくみ、声を上げた。そして俺と咲哉の視線をあび、硬直する――いや、俺のことは無視だな、この子。

 あ。

 俺は思い当たった。森下を「お兄ちゃん」と呼ぶってことは、これは妹。

 声オタ女子だ。咲哉の正体に気づいたんだ!


「あ、あの! もしかして入戸野さん」

「あ……ちょっと待って」


 咲哉は困ったような顔をして、シイッと指を口に当てる。


「今日は仕事じゃないから、その名前やめてほしいな」

「え、なに。加賀谷の弟ってなんなの」

「悪い、声小さくしろ」


 俺は強く言った。

 きょとんとしている森下と、キラキラしながら震えてる妹。二人を俺の横に座らせる。

 咲哉はキャップを深くかぶり直してあいまいな笑みを浮かべていた。森下兄妹がゴニョゴニョささやき合う。


「ねえお兄ちゃん、知り合いなの?」

「なんだよ、加賀谷はダチ」

「制服じゃない方の人っ」


 これはもう俺が説明するしかないのかな、と覚悟した。チラッと咲哉を見ると苦笑してうなずく。わかった、まかせろ。


「ええと、森下さん?」

「瑛美です!」


 妹なんだなと確認しようとしたら名前アピールされた。隙あらば、かよ。


「エイミちゃん。俺は森下の同級生なんだけど」

「はいッ」

「こっちは、俺の弟なわけ。今日はプライベートで遊びに来ただけだから、そっとしといてくれる?」

「いや加賀谷、だから弟くんて」

「……すみません、声優やってます」


 このテーブルにしか届かない声で咲哉がささやいて、エイミちゃんは「ひゃああんっ」ともだえ死んでしまった。森下も目を丸くして絶句する。

 もう咲哉は黙っとけ、と手で合図して、俺は横を向いた。


「あのさ、エイミちゃん。弟に会ったのを喜んでくれてありがとな。でも、外で騒がれると迷惑なんだ」


 迷惑、という言葉にエイミちゃんが傷ついた顔をした。ごめん。

 でも言わなきゃならない。

 スタジオの出待ちで困っていた咲哉の姿を思い出す。だからせめて、俺の高校の中では俺が咲哉を守りたいんだ。こんな人混みで大勢にザワザワ見られたらたまらない。


「仕事の応援してくれるのは、いいよ。でもついて回ったり、どっかで待ち伏せたりはしないでくれる?」

「そんなの、してないじゃないですか」

「うんわかってる。まだ会ったばっかりだし。森下の妹だから信用したいけど、念のためな。今日これからも、今後も、そういうことはしないようにお願いします」


 俺はそっと頭を下げた。真剣に話したの、伝わっただろうか。

 エイミちゃんは小さく「はい」と返事してくれた。



 森下の母親は体育館で演劇部の公演に夢中だったらしい。食事代を持たせて高校見学のエイミちゃんを兄貴に押しつけたそうだ。

 エイミちゃんと別れ際にそっと握手して「じゃあね」と手を振る咲哉はやっぱり微妙に営業スマイルで、俺はなんだか悲しくなった。


 けっきょく咲哉を守り切れなかった気がする。





「おかえりー」


 先に帰っていた咲哉が普通に夕飯を作りながら迎えてくれた。

 Tシャツにスウェットパンツの部屋着姿を見て落ち着く。やっぱ咲哉って、外では格好よすぎて困るんだ。ふう、と安堵の息をついた。


「なに、疲れた?」

「ああうん。授業とは違う疲労感」

「あはは、俺のこともあったしね」

「笑えねえよ……」


 肩をすくめて部屋に引っこみ着替えていたら、咲哉がひょこんと来た。


「あれ、ご飯できたのか」

「あとは食べる時に肉を焼くだけ。ねえ、俺が帰ってからだいじょうぶだった?」


 心配そうに訊かれて笑ってしまった。エイミちゃんのこと、クラスの女子のこと、人の目を集めていた自覚はあるわけだ。


「声優バレしたのは森下だけだ。普通に紹介しろとかは、めっちゃ言われたけどさ」

「やだよ、そんなの」


 ぶすう、とふくれる咲哉がかわいい。こういう顔は外でしないでほしいな。俺だけのものにしておきたい。


「断ってくれた?」

「彼女いない、とは言っちゃったよ」

「火に油! ばかばかばか!」


 ポカスカされて、ベッドに尻もちをついた。そのまま咲哉も俺の上に倒れ込んでくる。ごろんと一緒に転がって、左腕に抱くみたいになった咲哉の頭をくしゃ、となでた。

 俺の体の上にあった咲哉の左手に、軽く力が入った。


「俺に、彼女とかさ……」


 つぶやいた咲哉がやや身を起こす。至近距離で見下ろされた。


「できていいんだ?」


 言葉をつむぐ唇が降ってきそうな位置にあって、俺の目は吸い寄せられた。


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