新しい世界を見せて


 今日は咲哉と外で待ち合わせだった。

 土曜日の朝イチで仕事が入ったという咲哉に誘われたんだ。「一時に終わるから、買い物つきあってよ」って。

 秋冬物の服を見に行きたいという。なら俺のも買おうと話していたら義母さんが臨時の小遣いをくれた。咲哉はやったね、と笑っていたが、なんだか悪い気がした。


 スタジオからは、裏渋を抜けてセンター街へも、代々木公園を通って原宿へも行けるらしい。俺にはその立地がまったくわからなかった。

 気分次第でどっちにも行けるようにスタジオ近くで合流することにした。スマホに地図を出し説明する咲哉も俺も半袖Tシャツで、並んでのぞき込んでいると腕が当たってくすぐったい。

 長袖の季節はそろそろだろうか。



 咲哉に教えられた駅で降り、周辺をぶらぶらと歩いてみた。大通りから中に入ると住宅街で、どうやらそっちにスタジオはあるらしい。意外に地味なんだな。

 ピロン、と通知が鳴った。咲哉からのメッセージ。


〈おわった。駅いくよ〉

〈おれ近いかも〉

〈スタジオに?〉


 待ってる、のスタンプが来て笑う。犬の絵が咲哉にぴったりだったんだ。やっぱりあいつワンコ系だな。


 きょろきょろ歩いていくと、向こうに咲哉を見つけた。道端で誰かと話してる。マネージャーさんか何かかと思ったのだけど、近づいたら違うとわかった。

 どこか前のめりな感じの女性だった。必死で咲哉に話しかけているけど、逆に咲哉は距離を保とうとしているように見えた。


「あ」


 俺を振り向く咲哉は、とってつけたように綺麗な笑顔。


「どした」

「ううん、だいじょうぶ。じゃあね、ここのスタジオ厳しいから、出待ちはしない方がいいですよ。怒られたくないでしょ?」


 年上の女にそう言い聞かせて咲哉は俺の腕を引っぱった。どこに向かうんだか知らないが歩き出す。

 出待ち?

 聞いたことはあるぞ。てことはあれファンか。さっきのは咲哉の営業スマイルなんだな。

 俺は後ろをチラリとした。ついてこないのを確かめて、小さく訊く。


「……追っかけ?」

「俺のじゃないよ。誰でもいいから通らないかなってスタジオ前で張ってたんだろ」

「そんなことするんだ」

「だって俺、今日ゲストだし。俺目当てなわけない」


 ちょっと唇をとがらせているのは、あまりいい気がしないのだろう。でも自分のファンじゃなくて怒ったわけではない。

 あれは迷惑行為なんだ。とくにここは住宅地の中なので、近隣からの苦情でスタジオ側が何度も警告を出している場所だそう。入り待ち、出待ち禁止って。


「それでも会いたいってのは……すごい情熱なんだなあ」

「情熱だからって、相手のこと考えなきゃ」


 達観したことを言い出されて俺は苦笑いした。こういうところ、咲哉は大人びてると思う。


「人生何週目だよ。好きって気持ちは、止まらないもんじゃないの?」

「……なに。将吾って、好きな人とかいるの。彼女?」


 ぶすっと不機嫌に言い返された。ちょっと言葉に詰まる。

 立ちどまった信号の向こうは森のような場所だった。どうやら俺たちは代々木公園に向かっていたらしい。通りすぎる車の騒音にまぎれながら、情けない告白をした。


「……そんなもん、いない」

「これまでも?」

「ないって。咲哉は?」

「彼女なんていたことないよ」


 それは少し不思議だった。咲哉ならモテただろうと思うのに。仕事柄、恋愛禁止とかそういう理由か。


「そんなんじゃない。好きになる女の子がいなかっただけ」

「へえ。理想高いんじゃ」

「将吾だって、いない歴イコール年齢だろ。俺より一年長く生きてるくせに」


 横断歩道を渡り公園に入ると、いきなり街のざわめきが遠くなった。木々の根元で鳩が群れている。

 話の流れとは関係なく、雰囲気にのまれて辺りを見まわした。


「……初めて来た」

「あ、ごめん、問答無用でこっちに歩いちゃった。あの人から逃げたくて」

「別に、どこ行きたいとかなかったから。なんかいいな、ここ」


 ビルと道路ばかりの街の間に、ぽっかりと緑と土におおわれた場所があるなんて。木立を抜ける風が涼しい。


「ふうって、楽になるな……」

「だよね!」


 咲哉が屈託なく笑ってくれてホッとした。

 今は彼女とかいいよ。それより咲哉と出かけたい。

 俺の知らない世界をたくさん教えてくれる咲哉との時間は、何にも代えがたいと思った。


 ランニングの人々を避け、木陰のベンチに並んで座る。

 空を見上げると自然にぽかんと口が開き、力が抜けた。


「煮詰まった時、たまに来るんだ。将吾も、けっこう気を張ってるでしょ。どこかでリラックスしなきゃ」

「気を張ってる?」


 そんな風に言われたことはなくて驚いた。ぼんやりと高校生やってるだけだぞ。仕事もしてる咲哉に心配されるのは、ちょっとどうよ。


「俺は、別に」

「ううん、がんばりすぎ。将吾って誰にも迷惑かけたくない人だよね。頼ったりしないじゃん」

「え……そう、か?」

「そうだって。家族にも頼らないだろ」


 わざと怒ったようににらまれた。

 家族。

 ここにいる咲哉。父さん。義母さん。


「お小遣いもらった時に将吾、困った顔してたよ。義理だけど、母親になったんだから息子に服ぐらい買ってやりたいもんなの。ちゃんと甘えなよ」

「あ……」


 言われてみれば、そうだったかも。


「お義父とうさんにだって同じだよ。会社の邪魔しないように、家のことは将吾がやってきたんじゃない? 中学からずっと帰宅部なんだよね」

「それは……やりたいことがなくて」

「サッカーは?」


 畳みかけられて黙った。

 小さい頃に入っていた、地域のサッカークラブ。母親が病死した小学三年生でやめた。

 だって葬式からしばらくは何もできなくなったんだ。母がいなくなって、わけがわからなくて。学校に行くのも無理だった。

 でも俺の預け先もなく会社もそんなに休めず、困り果てた父さんの姿を見て、俺は頑張ることにした。歯を食いしばった。そもそも妻を亡くして泣きたいのは父さんだって同じだった。

 あそこから、俺はずっと突っ張らかっていたのだろうか。


「スポーツって親もたいへんだもんね。だから気をつかったんでしょ」

「そんなつもりじゃ……才能だってないし」

「才能なくても、やりたいことはやればいいんだよ。俺も才能ないって言ったろ」


 やりたいこと。俺のやりたいことってなんだ。


「将吾はずっと〈いい子〉をやってたんだ。そんなの俺より嘘つきじゃない? 俺はすくなくとも好きなこと、やってる」


 咲哉の声はあったかくて、責めてるわけじゃなかった。だけど俺は呆然とする。


 世界がひっくり返った気がした。


 俺がなんの目標もなく生きてるのはわかってる。高校生なんてそんなもんだろって思ってた。


 でもそれが、母親が死んだから、なのは駄目だ。

 病気と闘いながら俺のことを心配してくれてた母さんへの、侮辱だ。

 残された父親の負担になりたくないなんて理由で何もかもを諦めちゃいけない。


 俺はうつむいて、ぽつんと言った。


「……俺のやりたいことってなんだろな」

「わかんないけど。将吾が嬉しいのはどんな時?」


 咲哉は静かに訊いてくれた。横を見なくてもわかる、きっとかすかに笑ってる。

 俺は泣きたくなるのをこらえた。


「……今、嬉しい」


 頼りになる家族が隣にいて。咲哉がいてくれて、嬉しいんだ。

 やべえ、俺ってすんごく咲哉のこと好きなんじゃないか?


「なーんだ」


 俺の声が明るくなったことで安心したか、声を上げて笑うと咲哉は立ち上がった。

 サク、と草を踏み正面に来て、俺を見下ろす。


「俺、将吾の役に立った?」

「たぶん」

「ならよかった。まだまだゆっくり考えればいいよ。でもさ、とりあえずお腹すいたから公園抜けよう。大通りに出れば屋台とかあるかもしれないし」

「祭りかよ」

「このへん、お祭りじゃなくてもいるんだ。それとも原宿まで行く? 軍資金あるから豪遊しよう!」


 手を引かれて、俺も立つ。

 ええっとだけど軍資金って、義母さんからの小遣いだろ。それで豪遊?


「こ、これが甘えるということか……」

「そういうこと」


 咲哉はニヤリとして悪びれない。


「俺ね、人に甘えんの好きなんだけどさあ」

「まあ、そうだよな」

「……言い方! でもね、将吾の役に立てたのも、すごく嬉しかった。いっつも頼ってばかりな気がしてたから」

「そんなことないけど。いつでも頼れよ」


 俺はひょいと咲哉の肩を抱いた。むぎゅ。

 だってなんか、すごく近づいた気がしたんだ。心の距離が。


「わ、なんだよ!」


 さすがに咲哉が大きな声を出す。

 ヘッドロックするみたいに抱え込んだ咲哉の顔をのぞくと、うろたえていた。少し顔が赤くて、むちゃくちゃかわいいな。


「なんかモフりたい気分になった。咲哉、犬みたいだから」

「……将吾って、甘やかしたり頼られたりするの好きだよね」


 むすぅ、とするのは照れ隠しだろ。俺にはもうわかるんだ。だから、へへん、と笑ってやった。


「まあ、そうかも」

「じゃあ俺たち、ぴったりだ」


 けらけら笑って咲哉は肩に寄りかかる。さすがによろけて、二人で馬鹿笑いした。



 ――俺さ、たぶん強い人になりたかったんだ。誰かに頼られる。


 だって俺、母さんに何もしてあげられなかったから。

 遺して逝かなきゃならない子どものことを、母さんがどれだけ案じていたか。言葉ではなく俺は感じ取っていた。なのに安心させてあげることはできなくて。

 無力で小さな自分が嫌だった。大きく強くなりたかった。



「……この池がねえ、真夏には見た目が涼しげだったんだ。でもぜったい、お湯になってたよ。怖くて手、突っ込めなかった」


 園内をぶらぶらしながら咲哉は笑う。

 ひとりで仕事に来ては、この道を歩いていたんだな。


「こっちの花壇は、春? 夏の初め? バラが咲いてたよ」

「ええと、今もつぼみ、あるな?」

「ほんとだ。じゃあ秋にも咲くんだね。咲いたら将吾も見に来なよ!」


 そんな日常を話して、歩いて。

 咲哉がその相手に俺を選んでくれることが嬉しくて。


 頼ってくれてありがとう。

 それに、頼らせてくれてありがとう。


 俺は咲哉が好きだ。そう感じた。

 家族とか友人とか、なんなのかはわからないけど、咲哉が好きなんだ。


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