正しい生活の正確な描写

山口夏人(やまぐちなつひと)

第1話 嘘も隠せば、それほんと〜

 包丁は鋭い。ウインナーは調和的に丸く細長い。夕食の準備の、その準備を自分はしていた。

 陽はとうに街の外縁へと帰巣し、健康に憑かれた人間ならば、寝床の毛質の穴倉に、早々入ってしまう時刻であったから、夕食など摂取せず、小さき死に向かい並ぶ民衆の列の芥子の一粒にでもおとなしく収まればいいものを、自分は惰性と計略が半々に混交した生活習慣とやらに無意識のうちに台所へ立たされていたのだった。

 料理の完成した段階は脳内に浮かんでおらず、無目的に必要なものをキッチンへ並べて置いていっていた。とはいっても、冷蔵庫の中に買い溜めしている食材はおおかた決定していて、夕食の献立も、日々の労働に蝕まれた肉体から汗のように沁み出す疲労感に浸食され、余力で作れる簡単なものをと、ほとんど同じ料理を作っていた。このまま自分を台所へ立たせた無意識に全細胞の権利を委ねていれば、自然に、予定的に、或る一つの終着点に落ち着くだろうと、途切れがちな意識の端へ必死に掴まって考えていた。

 自分は常々、食事という行為に疑問を抱いた。説明を加えると、その疑問は食事全体を含むものではなくて、食事の一過程、作られた食事を皿に盛り付けるということに対して限定して向けられたものであった。

 論じたいのは、作成された食事を皿に盛り付け直す、この行為が果たして、食事本来の目的である栄養の補給へ到達するまでに踏まれるプロセスの内に、組み込まれるべきか否かの万人が納得する答えであった。

 無論、疑問を呈するからには自分は食事の盛り付けに反対だった。この意見は考えるに、自分が一人暮らしをしていて、かつ時間に追われており、さらに元来の人間の性質が、堕落へと志向性を示しているからだと推測された。

 そして、自分の意見から話を押し広げると、現代人は総じて、自分と同系統の性質を土台に備えている筈であった。その根拠は、インターネットの中の、悲痛さを電子に纏わせた書き込みを見れば足りる。それらは無視するには多すぎ、有り余るのだから。

 電子の海へと身代り的に愚痴を身投げさせる人々。身代りとして散っていった数多の死体達。それらの総体が、自分の疑問と合流し増大して、いつか生活修飾主義者たちの立っている大地に、甚大な地割れを起さん。なんて、誰かにぶつけるつもりはないのだけれど。

 目線を動かすと、シンクに山積した皿やコッブが目に入った。

 「嘘も隠せば、それほんと~」

 ふと思いついた文句を即興の節回しでうたう。嘘だけで生活が成り立つならばどれほど良かったか。そもそも、嘘に生きなくなったのはいつからだったか、自分は記憶の小箱に手を突っ込み、無造作な手付きで該当する欠片を探したが、見つけ出すことはできなかった。何かを失くすというのは、堪らなく悲しかった。

 袋から一本ウインナーを取り出した。眠たい時は情熱的なことをやたらに考えてしまうからいけない。

 肉用のまな板の上にウインナーを置き、左手を添えて固定する。右手に持った包丁の刃先が、ウインナーが最も綺麗に単簡に切れる角度へと勝手に調整される。あとは自分が角度を保ったまま肘を落とすだけだ。二回の瞬きのあと、自分はウインナーに刃を落とした。   

 すると突然、キッチンのコンロ側、自分から見て右手側に穿たれた窓の外から、尋常ではない爆発音が聞こえた。

 咄嗟に窓の方向を見て、次の出来事に身構える。しかしいくら待っても次の何かが起こることはない。

 車同士が衝突でもしたのか。いや、爆発音は地鳴りを伴っていた。自分が住んでいるのは大通りから外れた民家の群集地であったから、車の大事故など起きるわけがなかった。

 足に軽く触れる感覚があった。見ると、薄い茶色の零細な物体が視線を掠めて消えた。爆発音に動揺して切ったウインナーが落下したのだと思った。右手には包丁を握っていたので、自ずと左手が切れ端へと伸びる。

 その切れ端は、自分の足の甲に落ちて、弾かれると埃が溜まった場所へと転がって行ってしまったから、拾い上げたところで自分はそれに息を吹きかけるなどの応急処置を試みるまでもなく三角コーナーへと投げ捨ててしまうだろうという、今からの切れ端の運命を悲しく思った。そして、埃の付着したウインナーは食べられないのに、自身のいい加減な掃除や、隅に溜まった埃は許容できる、または無視してしまえる己の中途半端な性格を呪った。

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