ガレット

かまつち

ガレット

 あれは早朝のことだった。私はこの日、とある用によって朝早くから外に出なければならなかった。


 支度をして、家の外に出ると、空は曇っていて、快晴とは言えず、ジメジメとしていて、仄暗く、あまり良い気分では良くなかった。


 それだけではなく、その時はなんだか無性にムカムカした気分でもあったので、そのような不快感を感じて、余計に腹がたった。もし近くに、人目につかず、壊してもよい、手頃なものがあれば、私はそれを粉々にしているだろう。


 私は私がなぜこれほどまでに苛立っているのかはよく分かっていた。私の中に、欲求不満のガスが、肺いっぱいに溜まっていて、それによって、怒りを伴った衝動に駆られていたのだ。


 形のない衝動、不定形なそれは何にも変え難い高価なものだ。それは私に狂気的な何かをもたらし、自我の平衡感覚を、足場を失わせる。


 その先にあるのは、何重もの鏡に映る、異なる姿、性格、性癖、思考、思想を持つ自分であった。


 私は、衝動を、なんとか抑え込みながら目的地まで歩いて行った。自宅から目的地までかかる時間は少々長いものではあるが、徒歩以外の手段はなかったので、仕方がなかった。


 家を出て、歩いていく。道の両端には、民家が立ち並び、所々から生活の音、人の声がしていた。


 私はそのような音を環境音として認識しながら、妄想に耽りながら歩いていた。


 考え事をしながら未知を歩けば、行き先まで歩く時間が短く感じられ、疲れを意識することもなく、楽なので、私は移動の最中は頻繁にこのようにして過ごしている。




 住宅街から少し離れて、車の通りが多い道に差し掛かった時であった。


 右手には川が、左手には住宅が見える、広めの道を、車両が隣を何度も通って行く中、歩いて進んでいくときであった。


 歩く最中何度か、左方から、住宅の仕切りとして積まれている石レンガと道路のアスファルトの、ごく狭い間で露出している土から生えている、とても長い、顔の辺りまで伸びている雑草が歩みを阻むので、避けながら歩いていたときである。


 ゆっくりと進んでいくと、カラスの声がし始めた。カラスの声というのは、日常的なものの一つであると思うが、それでもなんらかの違和感を感じ、私は声の方を向いた。


 そこにあったのは、アア、そこにあったものというのは、なんとも赤々としたものがあった。赤を主体として、あれは脂身であったのだろうか、白く細い線が何本も入ったもの。


 つまりは肉塊が道に転がっていたのだ。




 私はそれを見て、歩みを止めた。そして、一瞬のショックと吐き気を感じ、目を背け、そして、次の瞬間には、やはり食い入るようにそれを見つめていた。


 何者であるか、いや何者であったかもはや分からない程に原型を失ってしまっているそれは、真っ赤な色をした、四角形の肉の塊であった。


 その肉の近くにはカラスが何匹かたむろしていた。カラス達は、そちらをじっと不躾に見ている私を見つめ返していた。


 私が何かをカラスにする意思がないと判断したのだろう。ほんの少しの停滞はすぐに打ち破られ、カラス達は目の前の肉を啄み始めた。


 何度も何度も、その鋭い嘴を肉に突っ込み、突き刺し、そして咀嚼する。


 肉の方はその突き刺す動作により、穴まみれにそして、すぐにその穴を塞ぐかのように空白に向かって肉が流れて行く。


 カラスはそのような肉塊になおも嘴を突き刺し続ける。乱暴なまでに、その肉体の持ち主の尊厳というものを台無しにしていることすら気にせずに。


 生を持っていた者の肉体と精神を蝕むかのように啄み続けている。


 私はその光景に、ある種の背徳感、そして、衝動性の消費を見出していた。


 私がもし彼らの仲間であったなら、すぐにあそこに混ざっていただろう。


 しかし悲しいかな、彼らは野生動物であった。私達人間のように、自身らを縛る法律、つまりは禁止というものがない。


 つまりは彼らの中に背徳感を感じるものはない。


 彼らにとってあれは日常であったのだ。


 もし、禁止の中で生きる人間があのようなことをしたなら、そこには禁止と侵犯の、理性と獣性、生と死のせめぎ合いが見出されるだろう。


 不幸や不条理、あるいは死の渦中、それらを感じる中で、つまりは、禁止と侵犯のせめぎ合いの結果、快楽的な楽しさを感じられる時、笑いが込み上げてくる時、人間は初めて人生の勝者である。


 肉塊により多くのカラスが増えてきた。この道を通る車両は、あのカラス達の存在を無視できず、避けていく。


 運転手達はこの純なる野生的な光景に、強制的に集中する必要がある。まさに存在の自己主張であった。


 本格的にカラス達が肉塊を覆い隠していったので、少々名残惜しくはあったが、私は歩みを再び始めた。




 用事を終えた時、時刻は夕方で、私は食材の買い出しをして家に帰った。


 あのカラス達と肉塊の間で行われていた行為の光景を頭から消し去ることができず、余計に滾っていく衝動と、我慢による怒りに苦しんでいた私はあることをしようと思った。


 本日の食事のメニューはガレット、卵とハムとガレットのための生地を用意した。


 ある程度の調理の過程は省かせていただこう。


 言いたいことは、私は生地、つまり皮にハムをのせて肉付けをして、次に黄身を中心に上手くのせ、このガレットに擬似的な生命を託したということだけである。


 生地は皮、ハムは肉部分、黄身は心臓、あるいはそれを含む臓器である。それはあの時見た綺麗な四角形であった。


 私の今日の食卓は一枚のガレット、いつもなら物足りないそれに、私はとても心がわくわくしていた。


 私は右手にフォークを持った。まるでフォークを初めて持った赤子のように、逆手持ちで。

そして私はそのフォークを振り下ろす位置に狙い定めた。


 フォークを勢いよく振り下ろした先にあったのは、黄身であった。ふっくらしていたそれは、辺りに飛び散り、私の頬、腕、また、テーブルの上や、食器の上、もちろんガレットの上にも散らばっていった。


 私は黄身を狙って何度もフォークを突き刺していった。何度も何度もである。


 その度に黄身が飛び散り無茶苦茶になっていく様は、見ていて爽快であった。多少の罪悪感の上に快感があった。


 生命への殺害、生命への侮辱、尊厳の陵辱、あらゆる悪徳がこのフォークの一突きに込められていた。

 

 私は、それに満足すると次にはハムの部分に対して同じことを繰り返していった。それも同様に、死者への冒涜の意味と、侵犯の意味が込められていた。


 今この場には、それが擬似的なもの、模倣的なものであるにしても、禁止と侵犯の意味が込められているのである。


 食器の上に並べられたガレットは、四散した卵の黄身と、穴だらけになったハムと生地でめちゃくちゃになっていた。


 あの死骸の肉塊と同じものとなったガレットを見て、私は悦に浸っていた。自身の行った行動の結果に興奮し、満足していった。


 最後に私はこの、原型を失いかけているガレットを丸めて、思いっきりフォークで突き刺し、フォークを上に向けるように持ち、フォークに突き刺さったガレットに思いっきりかぶりついた。何度もかぶりつき、ガレットは、三口か四口でなくなった。




 このようにガレットを作り、そして食べた結果として、私の中にあった怒りと衝動は、多少解消されたのであった。


 それでもまだ、心の中の呻めきは、這いずり回るそれは、完全には無くなることはなかった。

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ガレット かまつち @Awolf

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