第三夜 狐・雨降り・雨模様

六月一七日 /椹木秋斗side

四神大祭に出場するには、各月3回以上、妖怪に関する依頼を解決する必要がある。


本当は妖怪によって引き起こされる事件は少ない方が良いのに、なぜその回数を設けているのか。


それはたぶん、明確な基準というものが、妖怪に関するものにないからだと思う。


普段は依頼があれば、陰陽師御用達のサイトを経由して俺のメールに届くようになっているので、そこから確認する。


問題が解決した後、依頼人がそのサイトの俺の欄に「解決した」と登録すれば、依頼の解決数がカウントされるというしくみである。


まあ今はそのシステムは使わないのだが。


「使わない」というか、「使ったら本家に居場所がバレてしまうから、殺されてしまうので使えない」というべきか。


そのため、この依頼は直接俺のメールに届いたものである。


直接メールに届くということは、人からでない、怪異からの依頼なのだろう。


そして今日は、京都で2回目の依頼を受けに行く。


今月はもうすでに4回の依頼を受け、すべて解決してあるのだが、


別に依頼の達成回数だけを目標にしているわけではなく、困っている人がいれば助けるのが陰陽師の仕事なので、


依頼されたら、できるだけすべて解決するようにしているのだ。


今回の依頼は、狐の結婚についてだ。


ここで、ん?と思った方もいるかもしれない。


陰陽師というからには、妖怪を成敗してこそなのじゃないかと。


実はそうでもないのだ。


昔から妖怪と人々は共生を目指している。


それにより、妖怪からの依頼も陰陽師は受けているのだ。


と、いうわけで、今回は狐の結婚についての現場まで向かっているというわけだ。


そういえば、伏見稲荷大社の近くが、雪原萌柚の家なのだが、


… そう、ここだ。


参道にはそれほど近くないが、観光客が入りやすい場所に建っている。


ここから参道まで行こうか、と身を翻した瞬間、


「あれ、椹木くん!?」


雪原萌柚の声がした。


振り返る、やはり雪原萌柚だ。


黒い靄のようなものが彼女の体から立ち上っている。


「おはよう雪原さん」


「おはよう!今日はここまでどんなご用事?」


笑顔で距離を詰めてくる。


彼女は黒のギンガムチェックの入った7部丈のトップスに、黒のつなぎのようなものを着ていた。


「伏見稲荷大社に参詣をしに来たんだ」


「そうなんだ!よければわたし、ご案内するよ」


ここは、私の庭みたいなものだから、と自慢げに言われるが、


“自分の庭”って言うのは神様に対して失礼じゃないか?と思う。


それに、依頼のことや、俺が陰陽師をやっていることなどを知られると面倒くさい。


同じ学校だと知らずに、あの時術を見せたのは不味かったな。


制服をちゃんと確認すれば良かった、と後悔する。


断ろう、そう思って口を開こうとしたが…


雪原萌柚と学外で接触できる機会は今後無いかもしれない。


改めて口をひらく。


「じゃあ、よろしくお願いします」


心配そうにしていた彼女は、瞬く間にぱぁっと太陽のような笑みを顔全面に広げ、


「うん!こちらこそよろしくお願いします!」


と言った。


さてここからどうしよう。


依頼人との待ち合わせは朝10時だ。


一度、周りを見て回ろうと思っていたから、今は8時半を少し過ぎたくらいだ。


早めに来て良かった。


「そうだ、昨日は迷惑かけちゃったよね。ごめんね、ほんとありがとう!」


別に迷惑でもなんでもない。俺も俺として素に近い姿で接する方が、雪原の緊張が溶けるだろうと思っただけし、昨日なぐさめて、それで俺を信用してくれるならその方が都合が良かった。


つまり、雪原萌柚の前では素に近い俺を演じ、クラスメイトや他の人の前では良き隣人なるものを演じる。


「ぜんぜん。いつでも頼ってくれ」


わざと彼女から目をそらす。


少しやり過ぎただろうか。


でも「不器用な隣人」くらいの位置付けが、ちょうどいい。


「全部回るのに、二時間ちょいくらいかかると思うんだけど、お時間大丈夫?」


雪原萌柚が聞いてくる。


二時間と少し、だと依頼に間に合わなくなる。


「悪い、この後予定があるんだ。だから一時間しかここを回れない」


「そうなんだ!じゃあ本殿だけ行こうか。千本鳥居まで見ちゃうと、時間足りない気がするんだよね」


また、いつでもこれるから、次回にでも千本鳥居を見て行ってください。


そう彼女は言った。


「ありがとう」


お礼をいい、石畳を歩き始める。




「え、生八ツ橋食べたことないの!?」 


まんまるに目を見開いて、彼女がそう言った瞬間、ふっと二つの何かが目の前に降りてきた。


周りの観光客たちは、俺たちとその二つの何かが見えていないように、無視してそのまま進んでいく。


こういうことは、よくある。


《椹木様。本日はようこそおいでくださいました。》


二匹の狐のうち、黒い方が喋った。


《私(わたくし)が白丸、右にいるものが黒丸でございます。》


《ご案内致しますので、ご一緒においでください。》


《おや、そちらの方はお連れ様でいらっしゃいますか?。》


雪原は口をぽかんと開けて、目をキョロキョロさせていた。


こんなに早く、というか迎えが来るとは思っていなかったから、失敗してしまった。


仕方がない。彼女も巻き込むことにする。


「はい、そうです。一緒に行っても大丈夫ですか?」


《もちろんでございます。》


白い狐ー白丸が柔和な仕草で頷いた。


「うぇ、え!?わ、わたし、わたしもですか!?」


隣で、ポニーテールがぽんぽん跳ねた。


三つ編みになっているから、少しポニーテールとは違うのかもしれないが。


「悪いけど、一緒に来て」


雪原はこくりと頷いた。


《では、こちらへ…。》


彼らの、紫陽花の透き通った青色のグラデーションの着物がしゃなりと音を立てる。


晴れ舞台のためにあつらえられたような、六月を代表したような着物。


後に続き、目の前に現れた朱の鳥居をくぐる。


それをくぐった瞬間、ぞわりと背筋に寒気が走る。


白い石畳は変わらず、赤い鳥居も変わらずそこにあるが、明らかにそこが『異界』であるとわかった。


「それで、護衛はどこをすれば?」


《あちらに見える、東の鳥居を守っていただきたいのです。》


彼は続けていう。


《宴まで含めれば、午後2時には終わります。長時間の依頼となりますので、お弁当をお出しいたします。》


黒丸が口を開いた。


《南門からは、異形のものが入ってきます。それを退治していただきたい》


白丸もいう。


《〈首〉のようなものが落ちてきたら、赤の札を。》


《〈手〉のように見えるものが飛んできたら、黄色の札を投げてください。》


《何人たりともこの鳥居を通してはいけません》


首…手…?不思議なものが飛んでくるものだ。


体の一部が飛んでくるなんて、この狐の家は呪いでも受けているのだろうか。


まあ、今まで奇妙な依頼を何件もこなしてきたし、札を投げつけるぐらいならお安い御用だ。


《では、10時すぎからその依頼をこなしていただきますので、しばらくこちらでお待ちください。》


「はい。ありがとうございます」


礼を言うと、彼らはふっと消え、大量の紙吹雪が待った。


「依代だったのか…」


全く気づけなかった。


それだけ高位な存在なのだろう。


周りを見ると、いつの間にか畳の間に通されていたことに気づく。


金屏風にはウサギの絵が描かれており、大きな床畳みの上には大きな太鼓が飾られていた。


部屋の中だというのに、目の覚めるような青や紫の花びらが絶えることなく降っている。


「綺麗だね、椹木くん」


彼女は目をきらきらさせて笑う。


この状況にちっとも驚いていない彼女は、肝が座っているのか、天然なのか。


俺には後者のようにしか見えなかった、だがしかし心の中のおぞましい悪意を隠しているとも言い切れないのだ。


「ねえ、椹木くんはなんで狐さんとお友達なの?」


今の会話を聞いていて、友達だと思うなんて、嘘だろ?


いや、もしかして聞いていなかったのか…?


ある程度まで自己開示していった方がいいのかもしれない。


「俺は陰陽師だから、今日は結婚式場を守る依頼をされて、ここに来たんだ」


簡潔に伝えてみると、彼女は目をまん丸にした。


「えぇ、陰陽師って今どきあるんだ。すごいね」


思いの外良い反応をもらって驚く。


普通は戯言だとか、気持ち悪いだとか言われる場面なのに。


「そろそろけだもの達を迎える時間だ。行くぞ」


「わ、わたしはどうしたらいい!?」


あ、そうだった。


「俺のそばで式神の補充をしてほしい」


「うん、わかった!」


なんでそんなに笑えるんだ。


普通、こんなところに連れてこられて、手伝いまでお願いされて、怒るところなのに。


⭐︎


「ここが東の鳥居なんだね」


俺は無言で頷く。


今朝方降った雨が林の緑をぬらりと光らせていて、そこに鮮やかな黄味がかった赤の鳥居が立っていた。


鳥居の横には青の紫陽花が植えられており、そこには今しがた置かれたばかりのような竹籠が置いてあった。


紙吹雪の一ひらが籠の持ち手に付着しており、籠の中には赤や黄の札が入れられていた。


「結婚式をしている間、ここから妖怪が入ってこないようにすればいいんだよね?」


「ああ」


雪原がしゅぱしゅぱしゅぱっといいながら素振りの練習をしている。


が、そんなのはどんな相手にも通用しないぞ。


俺から見ても、誰から見ても、へにゃへにゃな素振りなのだ。


「これ、どうかなぁ」


バットでも振っているのか。


「さあ…」


被りを振った。


ところで、そろそろかな。


空気が張り詰める。


ちりちりと肌を焼かれるような感覚がする。


「雪原さん、後ろに下がってて」


「わかった」


真剣な声が聞こえた。


彼女の性格だと、あんまり深刻には考えてなさそうだが。


そんなこんな考えているうちに、遠くの方から鬼が現れる。


「ねえ、秋斗くん、あれ…なに?」


説明を聞いてなかったのか。まあいいが。


「鬼だよ」


そういう答えを求めているんじゃない、という顔をされる。


それもそうか。


だってあれは、半ば人のようなものに見える。俺も驚きだが。


腐りかけた人の形をしている何か。


なんてやつに恨みを買っているんだ、ここの狐達は。


面白いな。


「ねえ、秋斗くん。あのひと、自分の手をちぎってるんだけど!?」


腐りかけた人の形をした鬼、なるものが、左手をもう一方の手でねじって切り離そうとしていた。


「あれが飛んでくるってこと…?」


雪原が、俺から一歩下がったところで震えているのを感じた。


鬼が手をねじ切り終えた。


鬼がどた、どた、と重い足音と共に近づいてくる。


ひしゃげた首、落ち窪んだ眼窩。


眼球が見えないほど凹んでいるその目のあたりが、俺たちを映したように見えた。


バシュッ。


それが自身の手を投げ飛ばしたとした瞬間、俺の手から結界が爆ぜるように飛び出した。


「雪原さん、黄色の札、取って!」


雪原が紙の札を渡してくれる。


俺は左手で結界に触れ、触れた部分の結界だけ柔らかくほどけるようにする。


そしてその結界の柔らかい部分から札を投げる。


「おぉー」


目を輝かせて雪原が札の飛んでいくのを見ている。


黄色の札は、ふらふらと不安定に飛行し、ぺた、と向こうから飛んでくる鬼の手にくっついた。


札が貼り付いた手が、そのまま地面に落下する。


地面に落下すると、鬼の手がしだいに透明になっていく。


そして何らかの紋様が手の周りに浮かび上がり、札と共にふっと消えた。


「わあすごい、なんだか未来の技術みたいだね!」


横で雪原が喜んでいるが、未来ではなく古来からの妖術である。


「悪いけど、これからも籠持っていて、俺が色を言ったら渡してくれないか?」


「わかった〜」


そんなこんな言っているうちに次の何かが飛んできそうだ。


ほら、首をぶんぶん回し始めた。


次は首が飛んでくると考えて良さそうだ。


「赤、取ってください」


「うん!」


渡された札を赤だと確認し、すぐに飛んでくる首へと投げつける。


首がごとりと音を立てて落ち、さっきと同じように消える。


飛んでくるたびにそれに対応した色の札を投げつける。


手も首も再生するようで、なかなか倒せない。


倒さなくてもいいのかもしれないけど。


大物だと思ったのだが、なんだか単純な仕組みで拍子抜けする。


「なんか単純作業だねー」


横で雪原が愚痴る。


最初は楽しんで見ていたようだったが、もう飽きているらしい。


まあ俺も、安全なのは良いが飽きてしまっていた。


「あ、雨降ってきたねー」


雨。


狐の嫁入りでも始まったのだろうか。


空が晴れているのに、ぱらぱらと小粒の雨が降り出していた。


さっきまで同じ場所からひたすら手や首を投げていた鬼が、どしどしと大きな足音を立てながら、こちらへ走ってくる。


「鳥居を通るつもりか」


どうやら今までのは本気じゃなかったようだ。


「大蝦蟇、来い」


ーグェッ


宙が裂け、ヌメヌメとしたカエルが、その切れ目からのたりと出てくる。


こんな低級の妖でも十分に意思疎通は取れ…ってこのくだり前もしたような。


とりあえず大蝦蟇で食えるかどうか確かめて、それが無理だったら片翼へんよくを使って空から攻撃だ。


「あれを食え」


蝦蟇がゆっくりと頷いた。


走ってくる鬼を、ばくんと食べる。


「え…嘘だろ?こんな簡単に…」


本当にあっけなくあいつが大蝦蟇に食べられてしまった。


ーげぷぅ…


ほらゲップもしてるし。


ぱちぱちぱちぱち。


後ろから拍手が聞こえた。


さっきの、肌がちりちりと焼けるような感覚が戻ってくる。


《お見事です、椹木様》


「…っ」


真っ白に輝く狐と、その横には朝会った白丸と黒丸が座っていた。


《先日は、私の依頼を受けてくださりありがとうございました。

 そして、雪原様。椹木様を手伝っていただきありがとうございます。

 そのため、お礼をと思いまして、ぜひ、私どもの結婚式へご参列をお願いしたく思います》


「ふぇ、わたし!?」


「…」

ああ、そうか。


雪原と会った日の、依頼者なのか。


戸惑いながらも口をひらく。


「だとしても、結婚式だなんて、そんな…部外者なので…」


《ぜひ。ご参列いただきたく思います。

 結婚式は明日ですので、明朝使いをお送りします》


はっきりと白狐がそう述べた後、ぶわっと雨があがった。


雨があがると、俺たちはもといた参道に立っていた。


てか、結婚式、今日じゃなかったのかよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る