そうならなければならないなら

気づくとバスタブには冷水が貯められており、俺はその中にいた。


まだ、波留の家だった。


あまりにも非日常な展開すぎて、どこかへ運ばれたり殺されたりするのかと思っていた。


あんなものじゃ死ねないよなと思いつつ、起きあがろうとして失敗し水飛沫みずしぶきが立つ。


口と手が、ガムテープで動かせないようになっていた。


嘔吐の後は、すでに流されたようで無く、少しほっとする。


問題はガムテープと、体が水で濡れていることだけだった。



やっぱり、母さんは俺のことが嫌いなんだろうな。


でも、なんでこんなことを。



思考を開始しようとした瞬間、リビングの方から、数人が話す声が聞こえてきた。


「現在植物状態にある波留くんの意識を、秋斗くんに移すことになりました。

 そして今、秋斗くんは気絶している。そういうことでいいですね、椹木さん」


母と父がそれぞれ同意する声が聞こえた。


「そして、秋斗くんの意識はなくなるので、死亡。これで大丈夫でしょうか。

 もう一度この同意書をお読みになり、サインしてください。

 時間はたっぷりあります。

 外にも錦小路にしきこうじ家のものがたくさん控えておりますので、あまり能力が開花していない秋斗くんでは、この包囲網を抜け出すことはできないでしょう」


死…?


逃げなくちゃ。


直感的にそう思った。


小窓から外の様子を確認する。


アパートの階段の方にはたくさんの人が見えたが、シャワールーム側にはまばらにしかいない。


そういうことか。


母はこのアパートに来たことが一度しかないから、ここに小窓があることを重視していないのかもしれない。


小窓はちょうど俺が通れそうなほどの大きさだ。


窓を静かに開け、見回す。


俺の能力の一つ、大嶽丸の空を飛ぶ力を使えば、ここから飛んで逃げれる。


いつもの、怨霊退治をする時のように、少しの間飛べればいい。


片翼へんよく


指輪を回しながら小さく呟く。


能力発動時に、毎回技名を言わなくちゃいけないのはすこし面倒だった。


右の肩甲骨あたりから漆黒の翼が飛び出す。


もちろん「片翼」だから、羽根は片方にしか生えないのだけれど、飛行はできる。


壁を蹴り、片翼で羽ばたく。


だいぶ下の方で人が騒いでいるのが見えた。


さきほど違和感を覚えていた黒い車から、人がばらばらと出てくる。


だのに、人々は宙を見つめるだけで、誰も俺を追ってこようとしない。

依頼以外で能力を見せなかったこともあるせいか、対応ができないようだ。


家のために戻ろうとか、そんなことを思えるはずがなかった。


陰陽道をつかう4家が最高、つまり四家最高主義を謳っているような家族のために戻ろうとは思えなかった。


先ほど出てきた「錦小路」も、椹木とおなじ四家のうちの一つで、やはり「家」は嫌いだと思った。


組織が良ければ、個人個人の考えなんて尊重されないのだ。


波留の意識は相変わらず戻っていないらしいし、息子を殺そうとする父母の感情がわからなかった。


とにかく殺されるのが嫌だった。


まだ身体じゅうがズキズキと痛む、胃の中は空っぽで、逆に吐き気がする。


それらを庇いながらしばらく飛行した。


飛行速度をはやめたせいか、すぐに片翼の限界が来た。


能力の耐久性でいうと、やはり波留にはだいぶ劣る。


いつも感じることなのに、今日はそれがよけいに胸に突き刺さった。


近くに見えた橋の下に降りる。


周りに木が茂っているので、母や父、錦小路の家の人たち簡単に見つかりそうにはなかった。


「帰れないな」


思っていたことがつい口に出る。


心が石を詰められたように重かった。


⭐︎  ⭐︎ ⭐︎  ⭐︎


家族に殺されそうになっただなんて、誰が信じてくれるだろうか。


警察に行ったところで気狂い扱いされて、家に戻されるだけだ。


そもそも椹木家は陰陽師だから、その怖さを俺は十分に知っていた。


俺が依頼をこなす、波留が表の世界で信用をあつめる。


お互いの能力を埋めるために役割分担をしていたのに。


家にとっては、どちらか一人だけが完璧であれば良かったんだ。


「やっぱり、双子だから器になる能力が分散してしまったんですね」


10歳の誕生日、医者に言われた言葉を思い出す。


自分に適応する妖怪の能力を、10歳のとき、注射によって得ることができるのだった。


また、陰陽道四家の「器」というのは、それそれ対応する四聖獣を使役する力を持つ人を指す。


器は、生まれた瞬間に決まるのだ。


陰陽道四家では、


俺の家、椹木が「青龍」、錦小路が「玄武」、土御門が「白虎」、神楽坂が「朱雀」を司る。


また、四家全体の方針を決めるのが、各家から一人ずつ選ばれる四神官だった。


俺は今から、その全てから逃げることになるのだ。


「逃げる」。


その言葉に違和感を覚える。


「逃げる」んじゃ無くて、「戦う」べきじゃないのか。


波留が意識を失う数日前に言っていたことを思い出す。


「あの薬の製造元さえ突き止められれば…」


薬。


それは四神官や家に対する忠誠心を高め、戦いへの高揚感を生み出すドラッグだ。


四家のもの全員が「能力を維持するためのもの」として毎日服用することになっている。


そんな効果は全くないのに。


波留がその事実に気づいて、俺と波留だけは薬を飲まないことにしていたのだった。


「もしかして、母さんが俺を殺そうとしたのは、あの薬のせいだったのか…?」


薬のせいで異常に家族が四神官を信仰しているのは、波留も俺も知っていたけれど、


もしかして、これも薬のせいなのだろうか。


そうだ。


薬の製造元を壊そう。


ぜんぶ、全員、殺してしまおう。


皆殺しだ。


唇の端が知らずのうちに上がっていることに気づいた。


それは心からの悦びだった。


「…っ」


破壊的な思考回路の中で笑い声が聞こえた。


自分だけれど、自分じゃないような引きつった笑い声。


「まただ」


何故だろうか。


どんどん、脳が自分ではない誰かに支配されているような時間が増えていっている。


「とにかくしっかりやるしかない」


決断したのが自分か、それとも自分以外の誰かなのかはわからなかった。

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