天国ホテルでバカンスを

日山 夕也

1日目 ホテル

 天国に来た。


 生まれてこの方、やりたいことはなく、流されるまま学校に行って、流されるままブラック企業に勤めて、そこで死んで、流されるまま天国に来た。


 そして今、おれの目の前には高い高いホテルが聳え立っている。


 天国にいる限り、物価は無料らしい。

 

 だから、もう働かなくていい。

 それだけが救いだった。


 あとホテル生活も楽しみだった。


「ホテル生活、楽しみだ」


 入り口に近づくと、自動ドアが開いた。

 中に入ると、ジャズが聞こえてくる。


 想像よりもずっとオシャレなホテルだ。

 子供の頃、親と何度か旅行に行ったが、そこで訪れたどのホテルよりも素晴らしい。


 右手にレセプションがある。


 ホテリエさんがゆっくりお辞儀した。美しい所作だと思った。

 彼女はどうして天国で仕事をしているのか。それが気になった。


「いらっしゃいませ。ご宿泊ですか?」


「そうです」


「かしこまりました。こちらへどうぞ」

 彼女は至って自然におれを受付前に置かれた椅子に案内した。


 これがおれの天国生活第一歩。


 おれが座ると、ホテリエさんは資料を出した。料亭の料理や大浴場の写真があり、期待が高まった。


 ビュッフェに、効能のある温泉、部屋も豪華だ。


「当ホテルには、50階と75階にお食事会場が、40階と51階、80階に大浴場がございます。

 お食事はビュッフェ形式でのご用意となりますので、お好きな時間にお好きな席でご自由にお召し上がりください」


 このホテルは部屋の階や場所によって、広さなどが異なるらしく、例えば25階はラウンジがあるので人気で、すでに全部屋埋まっているらしい。


 人気なところほど部屋は狭くなるようだ。


 広いのもいいし、便利なのもいい。でも1番狭い部屋でもなかなか広そうだ。


 設備的にはそこまで変わらないし…

 決めた。


 49階にしよう。


 部屋の広さもそれなりにあるし、ビュッフェ会場などのある50階に手軽に行けるから便利だ。


 部屋を出て、ひとつ上がると食事会場。

 悪くない。


 おれは自分の名案に得意げな気持ちになった。こういう生活が豊かになるようなことを考えるのは楽しい。

 

 面白そうなゲームを、買うかどうか悩むのが生前の楽しみのひとつだった。

 

 ──────

「お待たせいたしました。お部屋にご案内いたします」


 諸々の手続きを終え、ホテリエさんに部屋に案内してもらう。部屋に案内してもらうというのも、すごいと思った。


 普段は「はいどうぞ」と、鍵を渡されて自分で部屋に行くタイプのホテルにしか泊まったことがなかったから。


 しかし道中は少し気まずい。

 おれは沈黙を恐れ、尋ねた。


「天国って、どうして全部タダなんでしょう?」


「そうですね……まず、全てがタダというわけではございません。タダなのは、天国に元々あったものだけです」


「元々あったもの?」


「そうです」


 エレベーターがチリンと音を立てて、扉が開く。


「例えば、生前の地球には、元から大地があり、川があり、海がありましたよね。そういうものです」


「なるほど…」


 ホテリエさんが49階を押した。


 エレベーターの中も綺麗だ。天井の四辺が間接照明で照らされている。

 そして話すことがなくなった。


 ホテリエさんが気を利かせて話してくれる。あるいは何も思っていないのかもしれない。


「当ホテルのビュッフェメニューも、元々あったものなんですよ」


「そうなんですか?」


「ええ。このホテル自体、元から天国にありまして、ビュッフェ会場も、その料理も、元から置いてあったのです」


「ほう。元から」


 チリン。


 49階に着いた。

 エレベーターを降りる。


 少し暗い。


「こちらです」


 絨毯の敷かれた廊下を歩く。

 靴越しにふわふわと沈み込んで面白い。


 部屋にはすぐに着いた。

 中々、エレベーターに近い。


「どうぞ」


 中に入ると、まず、美しく陽に照らされた机が目に入った。


「では私は失礼いたします」


 ホテリエさんはそう言って去っていった。


 タイミングを逃し、「あ、どうも」

 という自分の声が小さく響く。


 気を取り直し、部屋を見ることにした。


 

 先ほどから日光に照らされている机。

 その机とセットで、それにマッチしている椅子が置いてあった。


 あの椅子に座って、あの机で仕事をしたら快適そうだ、と思いそうになって、首を振った。


 奥にはドアがあった。

 ここは寝室かな。


 ドアを開けるとベッドがある。


 予想通り、そうだ。


 こっちが洗面所で、こっちは小さなキッチン。

 ここがお風呂。


 あれ?


 トイレがない。


 あ、そうか。

 天国では、トイレの必要がないんだ。


 確かそんなことをホテリエさんが言っていた。

 たまにトイレがないと苦情を言う人がいるらしい。


 トイレが必要ないというのは、便利だが、少し気持ち悪い。

 まぁ、慣れるしかないな。

 慣れたら便利なことには違いない。


 おれはソファに座り込んだ。

 うわ、すごい沈む。


 この後どうしようか。


 今は16時。

 部屋でゆっくりするか、ホテルを探検するか。

 それとも外を見に行くか。


 ここまで来る途中、街を歩いたが中々綺麗だった。 でも今から歩くのもしんどい気がする。


 とりあえず部屋でゆっくりするか。

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