第19話 幼子二人の初恋

 これほど騒げば農夫も起きたのではないか。

 抱き合う二人を脇目に沙漠はそっと倉庫に目をやった。

 一番騒がしくしているのは優里だ。再度面会を申し入れれば騒ぎの源たる優里もさすがに多少は断りづらいだろう。沙漠はそういった打算をもって進言しようと清牙に目をやったあと、発言を取りやめる。

 立ち尽くす男がそこにはいた。

 何を考えているのか、はたまた思考が停止しているのか分からない顔だ。ただ何かショックを受けている事だけは分かった。

 あー。

 清牙とその視線の先の優里を数回見比べた沙漠は理解する。

 なるほど、あれは惚れた女が離れ離れだった恋人との再会を喜び、熱い抱擁を交わすという地獄のような光景を不意打ちで目の前で見せられた男の顔か、と。


 沙漠は孤児だ。明るい色の髪のせいか、そもそも食い扶持減らしか理由は分からない。それくらい幼いうちに捨てられ親の記憶はない。珍しくもない。

 背格好と整った顔立ち。なにより王都では少ない茶色の髪を買われて第二王子である清牙の影武者になるよう育てられた。気が付けば清牙のそばで生きていた。

 よく似た子供を王族のそばに置き、賊の侵入を許した時などに相手を惑わせ少しでも生存確率を上げる。それはこの国で古くから行われる慣習だ。

 だから沙漠の本当の年齢は分からない。

 幼い頃より直系の王族が必要な教育を清牙とともに施されてきた。文官達からはあらゆる知識を、体術に関しては上羅から教え込まれた。

 当時は後宮はまだ正常に機能していた。その警備を務めていた上羅が指南役に抜擢されたのだ。

 精通までは男児も母親のそばに置くことが許され、後宮で生活する。その時すでに上羅は「男であれば武官として名を上げられただろうに」と岳将軍も一目置く存在で、なおかつ後宮の警備担当と指南役をするにたいへん都合が良かった。


 よって清牙と沙漠の初恋の相手は上羅だ。

 きっかけはともに清牙が五つの時。狩り遊びに出た郊外で父たる国主の政敵から放たれた賊に襲われた。

「お怪我は!?」

 囲まれ多勢に無勢という状況ながら、華麗かつ残酷無比に最も多く賊を仕留めた上羅が即座に無事を確かめたのは清牙と沙漠だった。

 それまでも生まれを問わず、清牙と分け隔てなく接する上羅を沙漠は最も信頼し心を許していた。幼子の言葉で言うなら「大好き」だった。

 それがその瞬間、上羅は絶対の存在となった。

 沙漠に課せられた教育は過酷であった。しかも言ってしまえば死ぬための存在である。それでも上羅のために清牙とともにあることを心に決めた沙漠は以降、すべてを死に物狂いでこなした。

 そして沙漠の初恋に遅れること数秒後、清牙にもそれは訪れた。

「ご無事でなにより」

 返り血を浴びた顔で屈託なく笑う上羅に、清牙もまた射貫かれた。

 上羅の強さと逞しさに魅了された清牙が『強い女が好きだ』というような事を言い出したのはその直後からだ。幼い清牙が『上羅すごい、かっこいい』と上羅を褒めたたえ、『強く美しい上羅みたいな人と結婚したい』と言うのは無理からぬことだったのかもしれない。

 それは極限状態にあった心拍の異常を恋心と誤認したのでは━━そう自身を棚に上げて沙漠は思わないでもない。

 そもそも後宮の女は皆、幾重にも重なった衣を纏う。そんななか、動きにくいという理由で肩から先を晒しているのは上羅くらいのものだ。鍛錬の後はさらし姿でうろつくことも多かった。王宮内の女人にあるまじきことだ。

 あの日、清牙は女の柔肌など知らないままにその性癖が決まったのだろう。今やお目付け役も務める沙漠はそう思う。

 それだけなら笑い話だ。笑ってはいけないが、どうとでもなった。


 それを『妃とするは強き者を』と改ざんし、清牙の兄たる親王の言葉と宰相が偽ったりしなければ。

 間が悪かったのだ。


 ちょうど西の帝国に反乱の火が灯った直後だった。

 長期戦にて兵力増強を見据え女に兵役を課すことを考えた宰相により、発言の主たる清牙は王宮から追い出されるように住まいを田舎に移された。

「国主の子にあるまじき髪の色」と、それまで皆がひそかに抱いていた清牙の明るい髪の毛に対する疑念を利用されたのだ。

 何代も前、後宮が栄えた頃。妃の中に北の血の混ざる者がいたのだろう。特色ある髪色が数代あとになって唐突に出現する事がある。清牙もそうだった。

 不義の子と腫れもの扱いされる清牙を上羅が引き受け、上羅の実家にて十年以上共に過ごした。清牙の母は後宮に籍を置く側妃だった。第二王子を生んだ彼女を心労で死に追いやったのも、王子の髪色を実際より明るい色で絵師に描かせたのも宰相だ。

 間が悪いと言えばそれまでだが、あまりにも不幸だ。


 上羅を想い続ける沙漠に対し、清牙は途中で

 非公式ながら上羅の夫の座に就くことが出来たのは清牙の後押しがあってこそだ。

 上羅が沙漠に私財を遺し、後継にと考えている。それを岳将軍から知らされた清牙は二人の事実上の婚姻を岳将軍に願った。

 岳将軍は粗暴とも言われるが、よく言えば気風のいい男だ。「俺の代わりに上羅が面倒ごと引き受けてくれるならいいぜ」と実にあっさりとしたものだった。

 岳将軍はあくまでも山岳地帯の粗野な男でしかなく、将軍としての小難しい面倒な諸々の雑務を森県の施政者である上羅に託せるのであればやぶさかではなかった。


 逞しく、自立した女性を好む清牙の性質は変わっていない。それは誰よりも長くともにあった沙漠が一番理解している。

 清牙は敏く賢かった。長じるにつれ自分の言葉が大人にいいように使われた事に気付いた。

 それでも西の反乱がこちらに及ぶのではないかという懸念に口出しもできず、自分が護衛団長となりせめて近辺の民は守ろうと護衛団長となり身を粉にして務めた。

 その中で民と近くなったことで女達が望まない兵役に苦しめられ、その家族もまた傷つき国に対し反感を抱いていることも知る事になった。

 だから清牙は自分の望みが叶い、幸せになる事に罪悪感があるのだろう。甘いと言えば甘く、無責任と言えば無責任だ。けれどそんな清牙だからこそ沙漠もこれまで付き従って来た。

 今清牙は実直なのか愚鈍なのか判断しかねるほどの責任を取ろうとしている。少しくらい幸せになってもいいだろう。


 これはいいきっかけになるかもしれない。荒療治も必要だろう。

 誰とも知れない男に抱きしめられた優里の姿にひどく動揺する清牙を、沙漠はもう少し黙って眺めることにした。

 現在多忙を極めている清牙には、新任の副官の身上確認に割く時間などない。岳将軍からの推薦だ。疑う余地はなく、清牙はあっさりと軌林を受け入れた。

 そもそも多忙でなくとも清牙の仕事ではない。副官として沙漠が行うべき業務だ。よって優里になれなれしい態度で接し、あまつさえ抱擁する男の素性を沙漠は把握している。

 男は名を岳 軌林キリンという。

 山岳地帯の習わしで存在を秘密にされてきた優里の双子の片割れだ。似ても似つかぬ容姿だが双子の中にはそう言った組み合わせも存在する。

 双子というものは大抵あとに生まれた方が小さく、親達はみな心配した。早世を案じる思いはやがて山岳地帯に独特の風習を生み出した。

 山の魔物に双子の出生が知られると「二人もいらんだろう」と小さい子供が連れて行かれる。決して魔物に狙われないように、という思いを込めて二人目の存在は隠すようになった。

 とはいえ公然の秘密というもので隣近所、村中にいたるまで皆双子の存在は知っている程度の習わしだという。

 岳将軍は習わしに従い国に報告しなかっただけだ。

 さすがは岳将軍。雑だなぁと沙漠は思う。そこは普通報告するだろう。上羅との婚姻を取り持ってもらった恩があるので言いはしないが。


 優里とともに反乱の起きた西の帝国に渡り、帝国側についたのが軌林だ。反乱が成され国家が転覆したあと早々に帰還した優里に対し、戻ることなくこれまで諸国を渡り歩いてきたとの事だ。

『うちの国やべぇって。よそじゃ女を徴兵する野蛮なイカれた国だって言われてる』

『西にまで文明遅れって言われるってどんだけだよ。宰相ヤバすぎだろ。戦争起こす気満々か?』

 三年も前に笑いながら岳将軍にそう報告したのは諸国を渡り知見を広め情報収集にあたってきた軌林だ。

 習わしで軌林の存在を秘めただけで、一人娘である優里を特に溺愛するものの岳将軍は四人の子供をみな愛している。

 一族はじまって以来の秀才で国主付きの文官となった長男、父と同様に武芸に特化した次男と優里、そして文武両道たる軌林。

 昨今反乱が成功したばかりの国にまで「文明遅れ」と言われるのはあまりにも異常で情けない話ではないか。


 軌林は可笑しそうにこうも言った。

『こんなに軍人増やしちまって国主様はどうする気だ? 反乱が起きれば一気にひっくり返されるだろうよ』

 蜂起という言葉がある。反乱や暴動をそういう。

 無数の蜂が巣から一斉に飛び立ち、敵に向かう様子はまさに反乱軍のそれと同じで兵法では基本的に数が物を言う。

 軍人が一団となって反乱を起こせば数では敵わない。

 強い統率力を持った人間が軍人を動かすような事があれば、この国の実権は簡単に移る可能性がある。

 例えば、優里のような。

 もし優里が不満を覚え国を離れれば多くの教え子、特に女達はついて行くだろう。国は鎮圧を命ずるだろうが、自国の女を殺せという命令を受け入れられない人間もいよう。一部が国に不審を抱き、離れればそれに続く者が出る。

 ないとは言い切れない。ごく近年、帝国と呼ばれた西の大国でさえ滅んだのだ。大きな国でも民衆によって倒せることを皆が知っている時代だ。

 可愛い末っ子の言葉に、父はそれまで気になりながらも放置してきた制度を本格的に問題視するようになった。国に対する恩義はそれほどないが、人が大勢死に、長く苦しむのは望むところではない。飛び火もご免だ。

 この国の兵力増強および女の兵役制度は行き過ぎている。それが岳家の認識だった。


 軌林の腕っぷしは優里と互角、もしくはそれ以上。各国の状況を正確に把握する頭脳を持ち頭の回転も速い。清牙の新しい副官候補としてこれほど心強い人材もいないだろう。

 そんな人材を託してくれた岳将軍に沙漠は感謝しかない。

 岳家の秘密を誰の耳があるとも知れないこんな場所で清牙に伝えることは憚られる。

 相当な力で締められているだろう優里が軌林に抵抗し、拘束から脱したところでまた姉弟の激しい攻防が始まる。

 久々の再開にはしゃぐ仲の良い姉弟を、そうとは知らず強張った表情で見守る清牙を眺めながら、軌林の出自を報告するタイミングを完全に逃していたなと沙漠はひっそりと口元を緩めた。

 ああ、そういえば笑うのは久しぶりだ。

 澄んだ空の下、秋の心地よい風を感じながら沙漠はそんな事を思った。激務につぐ激務でこのところ息を吐く間もなかった。

 色恋にかまけたこの判断を沙漠はこののち、少しだけ後悔する事になる。


 どうにか清牙の時間に余裕ができ、農夫への日参がかなおうかという頃には農夫はこの世を去り、優里もそれを看取るや軍の職を辞し行方知れずとなっていた。

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