第7話 警備と雪かきの優先順位

 当初、上羅から示されたふた月という予定は冬になり大雪によって道がふさがる前に都に戻ることを考慮しての期日設定だった。

 予定のふた月が近づこうとしているというのに結果が出せず、それどころか王弟を目にする事さえできていない。

『不肖ながら結果を出せず、任期を延長させていただきたく存じます。任務完了次第早急に帰還いたします』

 優里は上羅に期限延長を申し出た。

 通常よりも長期の不在になる。難しかろうと思いつつ、たとえ大雪が降ろうとも意地でも帰還する旨を熱く伝えたつもりだったが、上羅からはあっさりと了承の旨が返された。


 その直後、森県に冬が訪れた。その年の降雪は例年よりも早いうえに大量で、まるで優里を足止めするかのようでもあった。

 街は雪に覆われ、街道が塞がる。除雪作業は街の人間と護衛団の仕事だった。団員のほとんどが除雪作業に出向くという指示に優里は慌てて進言した。

「自分は除雪作業の経験があります。自分が子墨の補佐をしますので塊団長はこちらで待機してください」

「見張りは置いて行く。年に一度はこうなるんだ、みんな慣れている」

 ここの警備が手薄になるではないかと言ったにもかかわらず、塊は平然と言い放ち応じようとはしなかった。

 王弟の護衛に数人の見張りだけで、それも毎回だと?

 塊の言葉に優里は絶句した。それでは賊に今が絶好の機会だと知らせるようなものではないか。

 多勢に無勢で攻め込まれたら、結果は火を見るよりも明らかであり、優里は愕然とすると同時に、強い怒りがこみ上げた。

「私は無駄死にさせるために兵を育ててるんじゃないんですよ」

 優里によって紡がれたそれは、低い声色に冷気を孕んだまるで底冷えするようなものだった。

 ふざけるなよ。

 こんな、使い捨てみたいな配備を敷いて何が指揮を執るだ。

 静かに眇められた目。

 それなのにその瞳からのぞくぎらついた瞳を見た瞬間、塊は彼女が「手負いの獣」と呼ばれる事を思い起こす。

 そしてそれを元より知っているかつての同僚と教え子は反射的に獣の捕獲に動いていた。

 柳はすかさず後ろから優里を羽交い絞めにし、前側から子墨が野獣の胴に取り付く。

 見事な連携によって行われたそれは、完璧な捕縛の体勢だった。これが片方でも欠けると柳は頭突きをくらい、子墨は良ければ拳、最悪は背から肘、みぞおちに膝を同時に食らう事になる。

「大丈夫だよ、優里。これでも僕は上羅様の門下生で自分で言うのも何だけど優秀でね。上羅様のお墨付きをもらってここにいるんだ。たとえ不埒な輩がこの館に侵入出来ても清牙様には絶対に辿り着かせないよ」

 女相手に大の男、それも優秀な軍人二人が本気で拘束する様子に沙漠は動揺しながらも安心させるように言い聞かせる。


 沙漠は王弟の影武者の可能性がある。それならば体術は身に着けているだろうし、それが上羅様のお墨付き。沙漠の衣は袖の下を長く垂らす中央の官僚とは違い、袖は締まっているが仕官らしいひらひらした服装だ。そのため体格が分かりづらいが、体幹がしっかりしているとは優里もすでに把握している。

 優里は団員ほぼ総出による除雪作業を渋々受け入れた。優里はここでは素人の部外者だ。

 さっさと終わらせて早急に戻る。そう切り替えた優里は沙漠と数名の団員を残し、塊と除雪に向かったのだった。


 雪は想像以上に重かった。これはいい鍛錬になる。

 優里が街で豪快に除雪作業していると、教え子である紫梓シズから声をかけられた。

「優里教官! 私たちもお手伝いします!」

「ああ! 自信のある者だけ男の補佐を! 無理はするなよ! 手の空いている者は休憩用の火を頼む! 他に全体を見て手が足りない所があれば言ってくれ!」

「ハイ! 火は大丈夫です! おばあちゃんたちが炊き出しの準備してくれてますから!」

 女達を率いて来た紫梓に指示し、それから鼻の先を赤くした顔で表情を緩めた。

 ここはこんなにも距離が近いのか。団長方針により多くの団員が除雪作業に毎年取り組んだ結果かと思った。塊や柳の班は街道の反対側から除雪作業にあたっている。

「ありがとう。そっちは頼んだ」

 優里の優しく穏やかな笑顔に紫梓も嬉しそうに笑って頷く。

「ハイ! 任せてください! 優里教官は出来上がるまで鍋に近付かないでくださいね!」

「人を何だと思っている。後で手伝いに行ってやってもいいぞ」

「ダメですよ、教官ヘビとか入れそうですもの」

「残念だったな、ヘビは冬眠中だろうが」

「優里教官、平気で蛇の干物とかたもとから出しそうじゃないですか」

「今年は異動でバタバタしていたからな、作れなかったんだ。また春にな」

 一同が一瞬沈黙し、優里は鼻で笑った。

「冗談だ。おい、お前たち! 女にいいところを見せるチャンスだぞ! 気張れよ!」

「ハイ!」

「教官! 自分はもう結婚しています!」

「女房子供のため働け!」

 冗談めかして言った男に優里は「この馬鹿が」という様子を装って怒鳴れば、相手は大笑いで返す。

 優里は冗談を言い、笑い合って皆をまとめ、その士気を上げて行く。

 恐怖と暴力で人を動かす術もあるが、今はその必要がない。優里はその使い分けができる人間だった。だから教え子たちに好かれる。


「いつもはどのくらいで終わる?」

「夕方にはちょっとはマシな状態ですかね」

 隣で子墨は力なく笑う。

「よし。夕方までに片付けるぞ! 凍えた爺さんやら子供の発熱やら産気づいた妊婦やらが出た時にせめて荷車一台は通れるようにしろ!」

「ハイ!」

 訓練時のように統率の取れた一まとまりの返事が通りに響いた。

「もう女の子にも『体張ってるトコ見せて金持ちの息子の目にとまれ』とか言わないんですね」

 働き者な所をアピールすればモテるぞ、などと無茶を言っていたのに。

 雪をかきながら紫梓が笑う。

「完全に行き遅れた私が言ってもなんの説得力もない話だろうが」

 周囲の者達がゲラゲラと大仰に笑った。

 皆いつになく無駄口を叩きながら作業を進める。凍てつく風とかじかむ手足の感覚から少しでも気を紛らわせるために、少しでも己の体内の熱を上げるために。それは優里もまた同じだった。それは重労働ながら楽しくも思える時間でもあった。


「優里様もそろそろ休憩してください」

「まだ大丈夫だ。女の方が寒さには強いからな。先に行って来い」

 村の者が声をかけられるも優里は手を止める事なく、前髪から落ちる冷たい雫を払う事もなく力強く雪をおしやった。人一倍体力があると自負する優里は他の人間から順に休憩を取らせようとする。

「朝はいつも着ぶくれしてる奴が何を言っているんだ」

 柳が揶揄うが聞く耳持たず優里は作業に取り組む。

 優里の育てた人材はここでも優秀だった。優里の指示により集まり過ぎた人員を不足している箇所に回し、過不足を修正し的確な補助を村人に指示する事により例年以上の速度で作業は進んでいた。

 優里が大声で彼等に指示するため、従う方も驚くほど自然とその役割を受け入れていた。そして優里本人は指示役に徹底するでもなく、主戦力として作業している。

 彼女が率先して、しかも誰よりも働いているのだ。街で生きる者達が怠ける気には到底なれない。言われたからではなく、自分達のための作業だと強く意識した彼らは例年以上に真摯になって働いた。


「優里教官、ばあちゃんたちが猪汁作ってくれてますよ。塊団長達ももう召し上がりました。いったん休憩してください」

「教官さんが大きなイノシシを仕留めてくれたおかげで今年は余分があるんですよ」

 仕留めたのは優里とはいえ、罠を張って捕えたのは村の男達である。祝い事のために取っておいた干し肉だったろうに。

「ありがたく頂戴します」

「兄さんが来てくれて良かったよ」

 老爺からの言葉に訂正もせず優里はただ笑う。性別を間違えられるのは今に始まった事ではなく、それは年配者ほどその傾向が強い。心からの言葉だ、優里は気持ちよく受け止めた。

「ちょっ、優里隊長は女性よ。よく見ておとうさん」

 紫梓が慌てて訂正するが、分かるはずもないだろうと優里は笑う。冬の団服に首に手拭いを掛けた姿は他の団員と変わらない。

「そうかい。姐さんかな! ここいらじゃ働き者は引く手数多だ。田舎でいいならうちの息子の嫁に欲しいくらいだ。まあうちの倅はもう結婚しちまってるけどな」

「結婚してるんじゃないか! そんな事言うと罰が当たるぞ。嫁に殴られろ」

 ガハハと笑う親父に優里がつっこむと、親父の横で紫梓がふふんと鼻を鳴らした。

「いいですよー、わたしだって教官みたいな人と結婚したかったですし」

「お前が嫁か。本当の娘かと思ってたぞ。それにもう教官じゃないから優里でいい」

 あまりの遠慮のなさに本当の親子だと思っていた優里は胸が温まるのを感じた。教え子がこうして幸せに過ごしている姿を見るのは優里にとって救われる思いがするのだ。


 夕方までには、とは鼓舞するための目標でしかなかった。

 しかし塊団長や岳将軍の娘といった人間がそれこそ馬や牛を動力とした重機かという働きに周囲の者も追従せざるを得ず、その目標は早々に達成されてしまった。

 嘘だろ、信じられない。なんでお祭り騒ぎみたいになってるんだ。子墨は引きつった笑いを洩らす。

 村から街道までを両端から塊団長と優里の二班に分かれて作業を進めたが、例年よりも早い時間に二班は合流した。それも普段合流する位置よりもずっと塊団長側寄りだった。もしこれが勝負なら優里班の圧勝だ。

 強い達成感に優里班の面々は興奮したようにお互いをねぎらい、盛り上がっている。

 次回からは勝負形式にしてなにか報償を出すか? いい娯楽になるかもしれない。

 塊団長はそんな彼らに瞠目するとともにそんな事を考えた。

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