第6話 手負いの獣の皮を被った悪鬼の訓練

『見込みのない者は即脱落してもらう。ただし、最後まで耐え抜き、兵になった暁には相応の給与を約束する』

 教官職に着任した岳 優里が早々に宣言したのがそれだった。

 それは脱落を許さじとして来たこれまでの国の方針とは対極の物で、毎年確保してきた新兵の数を大きく下回る事になる。


 当然これまで軍事力増強に尽力してきた派閥からは猛反対され、嘲り交じりに糾弾されたが他国帰りの小娘は堂々と言い放った。

『大して使えもしない兵を三人養うよりも、一人で三人分の働きが出来る人間に二人分の給料を払う方がよっぽど合理的かつまっとうな統率が取れるってもんですよ』

 彼女のそれは新兵の確保数の問題を解決する物ではなかったが、四将軍の長にある父親の権威を遠慮なく行使し強行した。その後優里が五年の歳月をかけて方針を維持した結果、今やそれに反対する人間はいない。

 当時は高給取りの新兵に対し妬み嫉みをもとにした暴力や嫌がらせも横行したが、ひどいものはすぐに情報が届き、情報局の人間が動いた。それでもおさまらないものに関しては最終的に拳を握った優里自身が肩を回しながら意気揚々と介入した。優里は言ってだめなら力で分からせる主義だ。

 もっとも優里に育てられた新兵達は、口だけの年長者からの中傷や理不尽な嫌がらせを鼻で笑う技量と、耐えうる精神力を植え付けられていた。

 いわく「優里教官の指導を思えば雑魚からの嫌がらせなんてそよ風のようだ」と。


「拘束状態からの脱出やら、三対一の実戦さながらの格闘訓練とか」

 しかも三人組は武器持ち、対する一人は素手とか正気の沙汰じゃない。ただあれは同じ訓練兵相手に武器を持たされる方が精神的にクるのだ。

「色んな地獄を見せられましたけど、まぁ極めつけは━━」

 あれだな。

 子墨は思い出したくもないそれに浸るように遠い目をした。


「最終試験で山に放置されるんですよ。三日のうちに山を越えて戻って来いって。獣道しかないような山に、補給なしで大荷物ですよ? ほんとうにヤバくなったらどこからともなく優里教官が出てきて助けに来てくれるんですけど、それも怖いですよ。ずっと気配殺して近くにいたんですよ? 二日目の晩だけいきなり優里教官が鍋振舞ってくれるんですけど、怖くないですか? 自力で生き帰れとか言ってたのに食べていいのか、罠なのか本当に悩みました。まぁ本人が一番に口にするもんだから俺たちも食べたんですけど……すげぇ美味いんですよね。腹減ってるし。訓練が終わった後で鍋の材料は虫だったって言われた時には……何もかもがどうでもよくなりましたよね」

 子墨は一気に語り終えると遠い目をした。

 戦時下では、野戦ともなれば時として飢えに苦しむ事もある。そんな時すでに蛇や虫を食べた経験があれば精神的にこれほど心強い事はない。それは優里の教え子たちへの思いやりだった。かなり歪んだ思いやりにも感じられるが。

 優里は兵を死なせないための訓練を施す。

 それは国を守るための訓練とは似て非なるものであったが、それに気付く者は未だごく少数である。

「で、次年度の円滑な訓練のために『次の新兵達にも優里教官はじめ教官達は全員恐怖の対象と叩きこむように』って締められるんです」

 実は思いやりのある人間などとは口が裂けても言うなと子墨は釘を刺された。優里は『手負いの獣の皮を被った鬼悪魔』であるというそれは今なお新兵に一番に通達される最重要連絡事項となっている。


 そんな恐怖の象徴のような優里であるが、尋ねて来る者は他にもあった。

「優里教官」

 そう言って訪れた若い夫婦は赤ん坊を連れていた。

 緊張した表情で窺うように優里を見上げる二人を優里は笑顔で迎えた。そして母親が胸に抱く赤ん坊を見て歓声を上げる。

 過酷な最終試験のなか意気投合し、夫婦になる者もいる。生まれ故郷に戻り結ばれた彼等は自分たちを鍛えまくった優里に出産の報告を兼ねたあいさつに訪れた。

「おっ前、そっくりじゃないか」

 両手を後ろで組み、赤ん坊を覗きこんだ優里はそう言って大きな口を開けて笑う。

 屈託のない笑顔を見せる優里に若い妻は「抱いてくれ」と赤ん坊を差し出したが、優里は「とんでもない」というように大きく首を横に振った。

「今、ものすごく手が汚れてるんだ。病気にでもなったら大変だ」

 冗談めかして言って肩をすくめる彼女に、中央での最終訓練までこぎつけた優秀で察しのいい若夫婦は「赤ん坊の扱いは苦手なのかもしれない」とそれ以上は求めることはしなかった。

 それでも両手を後ろ手に汲んだまま赤ん坊を食い入るように見つめ、「夜泣きはひどいのか」やら「もう何か言ったりするのか」やらそんな話をする様子を見ていた柳は彼等を見送った優里に声を掛ける。

「抱かせてやるって言ってんだから、そうさせてもらえばいいだろうが」

「小さすぎて怖いんだよ」

 そうは言いながらも、優里が兄達の子供の面倒をよく見ていたのを柳は知っていた。

 要は、人殺しの手で無垢な赤ん坊に触れるのが躊躇われるのだ。

 家族に対してはそういった遠慮がないらしく、長兄の子供の夜泣きがひどいと聞いて「だったらたまにはわたしが代わろう」と赤ん坊を抱いて夜通し屋敷内を散歩していたような人間である。その頃は休日の度に外泊届を提出し、ほとんど寝ていない状態で訓練に出ていた。

 まるで過酷な訓練のようだと柳が揶揄えば「母親は毎日やってるんだぞ。訓練を受けたわけでもないのに尊敬するよ」と優里は心のそこから感服したように言っていた。


 本当は、赤ん坊も子供も大好きな癖に。

 だからこそ、今のような仕事を続けているんだろうが━━

 優里は弱者を見捨てない。母親を敬い子を尊ぶ。

「あいかわらず天邪鬼だな」

「そうか?」

 柳の言葉に優里は何を言っているか分からないといった顔でそう答え、小さく肩をすくめたのだった。

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