第3話 赴任の挨拶


 女性部隊で言えば文句なしの頂点、男性団員と並んでも遜色ない体格の持ち主たる優里が彼を見た瞬間、「ほう」と内心感嘆に唸った。

 上羅に指示された彩国の南方に位置する森県に到着してのことだ。


 いい体だ。


 言葉だけ聞けばずいぶんと下卑た事を考えながら、表面上は礼儀ある常識人を演じて着任の挨拶を述べる。

 高い身長に太い首。ぶ厚い胸に締まった胴。がっしりとしているが決して無駄に大柄ではない。

 うん、実にいいバランスだ。

 筋力は当然必要ではあるが、だからといって筋肉ばかりをつけすぎると動きが鈍くなる。

 団の制服に隠しきれない肩幅から推測される体。

 

 さすが、王弟の護衛を一任されているだけはある。


 それが父から見せられた身上調査書の人物 森県の治安維持を担う護衛団の団長兼、王弟清牙の護衛長カイの印象だった。

「本日よりふた月お世話になります。岳 優里です」

 教官職だけあり、優里のその姿勢と態度は教本通りの完璧な物だ。


「上羅様に代わりこの領を管理している森 沙漠サバクと申します、優里様」

 屈強な軍人、塊団長の隣でそうにこやかに応じたのは、金にも近い美しい髪が印象的な実に優美な青年だった。


 北方に行くほど異国の血が混じり、こうして明るい色の髪の人間を目にするようになる。

 この地にて長く療養生活をしている王弟も明るい髪色のはずだ。国主と王弟 清牙は異母兄弟だ。当時は後宮が栄えていた。子はたくさん産まれたはずだが生存しているのは二人の男児と数人の姫だけだ。

 艶やかな黒髪の逞しい塊と、琥珀かべっ甲飴のような髪色を持つ痩身の沙漠。実に対照的な二人はとても印象的だった。

 上羅がこの地に戻るのは年に一度あるか無いかという頻度だ。王都にて多忙を極める上羅からは、領地は親族に管理を任せていると聞いていた。髪色にこだわらず素質を重視して登用を決める上羅らしい。

 柔和な笑顔を浮かべる沙漠は王弟の影武者としてここにいるのかもしれない。優里はそう思った。異質な髪の色に出自を疑われてはいるが、清牙の父親である先代の国主は彼を実子と認めていた。そんな清牙の身に何かあっては疑念と猜疑心が噴出し、国政が乱れかねない。


「今回は若手の現状確認と指導、およびこちらの要望の聞き取り調査に参りました。どうぞ忌憚のない率直なご意見をお聞かせいただければと思います」

 完全に余所行きの顔で優里は定型となった口上を述べ、頭を垂れる。

「ああ、どうぞお顔をお上げください」

 領主代理の沙漠は穏やかに言って優里に顔を上げさせる。

「正直に申し上げますと町の治安やこの屋敷の警備は塊にほぼ一任している部分があります。詳細などは彼に確認していただく事になるかと思います」

 一つ頷き、優里は口を引き結んだ塊に目をやる。

「こちらは王弟のおわすお館。わたし自身学ぶ事も多くなるかと思います。どうぞよろしくお願いします」

 優里は殊勝な態度で再び丁寧な礼を取った。


 *


 聞いていた予定より一週間も早く到着した岳 優里が退室すると同時に、部屋には何とも言えない沈黙が落ちた。

 警備団をまとめる塊は机上の文箱から取り出したそれをひとまずそこに置き、沙漠もそれに目を落とす。

 岳家の家紋が焼き付けられた常より上等な竹簡。包みも上等なものだった。


「……どう見ても縁談の身上書だよねぇ」

 沙漠は同意を求めるが、塊は何と答えたものか判断に困った。

 優里の短期赴任の連絡とともに塊に送りつけられた身上書は、一見縁談の釣書に見えた。

 否、そうとしか見えなかった。

 しかしながら現れた人物は通常時の武官用の官服で、ここに赴任してきたのだと言う。

 しかも手っ取り早く組織に慣れたいため、まずは各部署に見習い扱いでいいから置いてほしいと言ってきたのだ。


「まさかの縁談かと思ったけど、上羅様に揶揄われたって事かな」

 沙漠はそう困ったように笑って肩をすくめ、漆黒の髪に角張った精悍な顔立ちの塊は答える事なく立派なそれを見詰める。

 実に対照的な特徴を持つ彼ら二人は、釣書にしか見えないそれをただ持て余し気味に見る他なかった。


 ※


 優里が短期赴任のていで見合いに来ると知ったあと塊は中央で優里と一時同じ部署にいたというリュウ隊長にそれを伝えその人となりをそれとなく聞き出した。

 部下のなかに他に彼女の教え子が一人在籍していたが、そう嗅ぎ回る事もないだろうと若い彼にまで確認する事はなかった。

 しかし領地を訪れた優里は完全に任務による赴任の態度で、混乱した塊と沙漠は一番若い団員である子墨ズーオを呼ばずにはいられなかった。


「子墨、お前は中央の養成所の出身だったな。岳教官を覚えているか?」

 その名を聞くや子墨の体に強烈な感覚が走る。それは恐怖からくる震えだ。一瞬で顔色を失った子墨の様子に塊達も思わず動揺するほどだった。

「忘れたくても忘れられません。自分は岳 優里教官に師事しました。自分の教官は手負いの獣の皮を被った悪鬼です」

 入隊してすぐの訓練兵は皆はるか西方に生息するというもはや架空の生き物扱いの「猛狒ゴリラ」という認識でいたが、さすがにそんな渾名を口にすることも出来ず婉曲した表現を選んだのだが。

「……人間の要素がないじゃないか」

 人の要素を一つも持ち合わせていないその表現に塊は困惑したようにもらした。


 子墨から見て上司である塊団長は堅物であると認識している。真面目とか、実直とかそういったとっつきにくい性質タチだが誠実で仲間思いだ。場合によっては自ら先陣を切る、実に頼れる上司で心から尊敬している。

 逞しい体に鋭い目元。男らしい眉に顎と、同性から見ても羨ましいほど整っている。それだというのに浮いた話が一つもない。

 そんな彼に都から縁談が来たという話はうわさで聞いていた。

 中央からの使いがお相手の釣書を持って来た。それは立派な装丁だったと。

 上司も男だ。

 それなりに楽しみにはしていたらしく、部屋の掃除の手伝いを頼んできた。私的な問題だから上司命令ではなく、「手伝ってくれないか」と言う所が部下に好かれる理由だ。

 その相手があの岳 優里だと知った子墨は衝撃のあまり叫びそうになった。

 咄嗟に「団長が何したっていうんですか! ひどい! ひどすぎます!」とそう叫ぶところだった。優里に拳で指導されてきた子墨は鉄の精神でそれを飲み込んだが、そんな人身御供のような扱いはひどすぎると打ちひしがれた。

 その優里が予定より大幅に早く領地に到着したと知った子墨は相変わらずだと思った。

 そうやってあの女傑猛狒ゴリラは不測の事態に対応させ、相手を見るのだ。

 到着後、体験入隊すると知らされた際は絶望した子墨だったが、同時に「お見合い」はガセだったのだと心から安心した。

 これは完全にいつもの優里の任務のやり方だと。

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