祭りが苦手、遊園地が苦手な僕

白鷺(楓賢)

本編

祭りのシーズンが近づいてくると、街は活気づき、楽しそうな雰囲気に包まれる。多くの人がワクワクし、祭りの日を待ちわびている。けれども、僕にとっては、その賑やかな雰囲気が苦痛でしかない。夏祭りが始まると、どこからともなく聞こえてくる太鼓の音や、神輿を担ぐ人々の掛け声が、まるで僕を押しつぶしてくるように感じる。


僕は、小さな頃からこうした大きな音や、人混み、賑やかな場所が苦手だった。大勢の人が集まる祭りは、楽しさの象徴として映るけど、僕にとってはそのエネルギーがあまりにも強く、息が詰まりそうになるんだ。祭りの活気に包まれると、心の中に重たい蓋が閉まってしまい、そこから抜け出したくて仕方がない。


例えば、夏祭りで神輿が街を練り歩く様子。多くの人は興奮し、笑顔でその光景を楽しんでいるけど、僕にとってはまるで逃げ場のない大きな波が押し寄せてくるような感覚だ。大きな太鼓の音、何百人もの人の声、賑わう屋台、すべてが僕の感覚を圧倒してしまう。


そして、遊園地もまた、僕が苦手とする場所だ。幼い頃、友達や家族と何度か行ったことがあるけれど、正直なところ楽しさよりも疲労感しか残らなかった。あちこちで聞こえる叫び声、絶叫マシンの音、賑やかなBGM…。みんなが楽しいと感じる場所で、僕だけがしんどさを感じているのかと思うと、ますます居心地が悪くなる。


実は、僕はとても臆病な性格だ。恐怖に対して敏感で、遊園地の乗り物に乗るなんてとんでもない。ジェットコースターや観覧車などのアトラクションは、僕にとってはただの恐怖体験でしかない。みんなが「楽しい!」と笑顔で楽しんでいる場所で、僕は冷や汗をかきながら、なんとか平静を保とうとしている。


何度も思ったことがある。「なぜ自分は、みんなが楽しんでいる場所でこんなに苦しむんだろう?」と。祭りや遊園地は、人々が楽しさを共有し、心を解き放つ場所のはずだ。でも僕は、そこにいるとますます自分が孤立しているように感じる。みんなが楽しそうにしている光景を見ると、自分がそこに馴染めないことに、どこか寂しさや疎外感を感じてしまうんだ。


こういう気持ちは、僕だけが感じているのかもしれないと思っていた。でも、実際は、僕と同じように祭りや遊園地のような賑やかな場所が苦手な人も、きっといるはずだと思うんだ。賑やかな場所が好きな人もいれば、逆にそのエネルギーに圧倒されてしまう人もいる。それは、人それぞれの感覚や個性なんだと思う。


僕がこのエッセイを書く理由は、こういう人もいるんだよって伝えたいからだ。祭りが苦手、遊園地が苦手、臆病で人混みに疲れる人だっているんだと。みんなが同じように楽しめるわけじゃない。それでも、祭りや遊園地が好きな人たちの楽しさを否定するわけじゃない。ただ、僕のようにその楽しさが感じられない人もいるんだって、少しでも分かってもらえたらと思う。


僕にとって、賑やかな場所は心の負担が大きい。それでも、そのことを責める必要はないし、自分自身を否定する必要もない。それが僕という人間の特性であり、個性なんだと思うようにしている。祭りや遊園地が苦手な僕でも、僕なりの楽しみ方や安らげる場所がある。それで十分なんだ。

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