第19話
盆をしっかりと手に持ち、息を整えて厨房を出る。廊下のむこうからは眩い光が零れ落ちていた。
部屋に入る前に礼をして足を踏み出す。晩餐会が開かれていた壮麗な室内は奇妙な空気が漂っていた。
長い大理石のテーブルを囲んでいる人々はいずれも豪奢な衣装を纏い、気品に満ちた方ばかりだが、歓談している者は誰もいない。一様に強張った表情で、眼前のテーブルを見据えている。
晩餐会といえば美味しい料理を食べながら、お喋りを楽しむものだと思い込んでいたのだが、本格的な晩餐会とはこのように静かに行われるものなのだろうか。疑問に思ったが、ひとまずかき氷を提供するため上座にむかう。
テーブルの主賓席にはアナスタシヤと並んでヴァレンチンが座っていた。その斜向かいにレオニートがいる。三人もやはり他の者たちと同様に、硬い表情で口を噤んでいた。
結羽は和ませようと、朗らかな声を出す。
「お待たせいたしました。どうぞ、デザートをお召し上がりください」
灯りを受けてきらきらと輝くかき氷を、まずはアナスタシヤの前へそっと置く。彼女は、かき氷に目をむけようともしなかった。人形のように精巧な水色の瞳は虚空に注がれているようだった。
各人へかき氷を提供していくが、ヴァレンチンは器を一目見るなり眉を寄せる。
「なんだこれは。ただの氷ではないか」
「氷を薄く削ってイチゴシロップをかけたものです。かき氷といいます」
「ふざけるな! アスカロノヴァ皇国はよほど飢えているのだな。氷を食べて凌いでいるとは笑わせる」
誤解を招いてしまったと思い、結羽は咄嗟に言い募った。
「かき氷は僕の世界で食べられているもので、アスカロノヴァ皇国にはなかったデザートなのです。暑い季節に食べるのですが、温かい部屋で食べても美味しく感じられると思います。どうか、ひとくちだけでも召し上がってみてください」
皆は訝しげにかき氷を眺めて、スプーンを手に取ろうとはしない。レオニートたちが快く試食してくれたのは、同じ城に住む者として好意があったからなのだと痛感した。
ただの氷をなぜ、わざわざ食べなければならない。
ダニイルの台詞が極寒の地で暮らす人々の、ふつうの反応なのだ。
でも、折角作ったのに……。
どうかひとくちだけでも、食べていただけないだろうか。
祈るような気持ちで俯いていると、カチャリとスプーンを手にする音が、しんと静まる室内に響いた。
「私はいただこう。このイチゴシロップは砂糖と苺を煮詰めたものだそうだが、あっさりした舌触りの氷と絡んで濃厚な味わいを生み出すのだ」
レオニートは優雅な所作でシロップの乗った氷を掬い、スプーンを口許に運ぶ。
彼が浮かべた極上の笑みに、結羽の胸の奥がふわりと温まる。
レオニートの美味しそうな笑顔を見た賓客たちは、釣られたようにかき氷を食べ出した。
「うむ……。まあ確かに氷だが、こういう食べ方も悪くない」
「身体が火照ったときに丁度良いわ。それに氷だから、いくら食べても太らないわね」
良かった。評判は上々のようだ。
安堵した結羽だったが、ヴァレンチンとアナスタシヤは未だに手を付けていない。結羽は控えめな声音でアナスタシヤに話しかけた。
「あの……アナスタシヤ様も、いかがですか? この氷は綺麗な水を製氷したもので、外にある氷と違って不純物は含まれておりません」
もしかして氷が汚れていると思われたのだろうかと考えた結羽は丁寧に説明したが、アナスタシヤが答えるより早く、ヴァレンチンが横から口を出した。
「おい貴様、アナスタシヤに話しかけるな。異世界からやってきた人間の平民が、我々白熊一族に口を利くなど恐れ多いだろう」
「も、申し訳ありません」
かき氷を食べ終えたレオニートはスプーンを置くと、こちらに目をむけた。
「アスカロノヴァ皇国では身分によらず、自由に会話することを推奨している。話さなければ意思の疎通も行えまい。結羽はアナスタシヤに問いかけているのだ。それで、アナスタシヤ、君の答えは?」
アナスタシヤはひとつ瞬きをすると、前方を見据えたまま口を開いた。鈴の鳴るような小さな声が漏れる。
「……わたくしは、バニラアイスクリームしか食べません」
それきり彼女は口を閉ざす。
食べていただけないのは残念だけれど、好き嫌いがあるのなら仕方ない。
ヴァレンチンは不愉快そうに鼻を鳴らした。
「聞いてのとおりだ。アナスタシヤのために、すぐにバニラアイスクリームを用意しろ。俺もこんなものはいらぬ。下げろ」
「はい、ただいま」
命じられたとおり、ふたりの分のかき氷を下げる。
どうやら晩餐会の雰囲気が優れないのは、ヴァレンチンの強気な態度が原因のようだった。アナスタシヤも楽しそうには見えないのが影響しているのかもしれない。
肩を落として厨房に戻る。半分溶けたかき氷を盆に乗せている結羽を見たセルゲイは、事態を察したらしい。
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