第6話

 レオニートは結羽の隣に腰を下ろすと、ダニイルが差し出した膝掛けを受け取った。

 上質の毛織物と思しき膝掛けはレオニートの手により、ふわりと結羽の膝を覆う。

 これはレオニートが使用するものではないのだろうか。

 ダニイルも驚いた顔をしていたが、すぐに表情を引き締めて壁際に下がった。

 召使いが紅茶を運んできてくれたので、辺りには馥郁たる薫りが溢れる。

 長い足を組んで紅茶のカップを傾けるレオニートは悠然としており、気品に満ちていた。結羽は両手で熱々のカップを支えながら、ふうふうと息を吹きかける。

「人型化……といいますと、もしかしてユリアンは人間ではないのですか?」

 向かいのソファに腰掛けたユリアンは愛らしく微笑む。

 耳があることを除けば、どう見ても人間の少年だ。この骨格と子犬を見間違えるはずがない。それにユリアンは先ほど結羽を「人間のひと」と称していた。アスカロノヴァ皇国には人間以外のひとも存在するのだろうか。

 優美な青の花が描かれた紅茶のカップを音もなくソーサーに戻したレオニートは鷹揚に頷く。

「アスカロノヴァ皇国の者は半数以上が、獣人なのだ。獣型と人型の両方の形状を取ることができる。ユリアンはまだ幼いので獣の耳が出ているのだ。変身も制御できないので、自らの意思と無関係に変身してしまうこともある。私は異世界へ赴いた経験はないのだが、文献によると異世界に獣人は存在しないようだな。もしユリアンが捕縛でもされたら大変なことになってしまうと危惧していた」

 なんと、獣人という種族が皇国の半分以上を占めるらしい。ということは、結羽が見た子犬だと思ったユリアンの姿は獣型の状態だったのだ。

「ごめんなさい……兄上。どうしてもむこうの世界を探検してみたかったんです」

 項垂れるユリアンの菫色の瞳は潤んでいる。知らない世界を見てみたいという好奇心は抑えられないものだ。結羽も城の中を探検したいと裸足で歩き回った。

「よいのだ。結羽に救われたのだからな。ただ結羽はおまえを、子犬だと思ったようだが」

「子犬? ぼくは白熊の血族なんだよ。大人になれば兄上のように、立派な白熊になるんだから!」

 白熊の血族?

 立派な白熊になる?

 結羽は驚きを込めてユリアンの丸い、純白の耳を凝視した。

「ということはまさか……ユリアンは子犬ではなくて……」

「そうだ。我々兄弟は神獣である、白熊の血を引いている。神獣の一族は古来よりこの地を守り、民を導く使命を帯びている。アスカロノヴァ皇国では白熊の血族が代々王座に就き、国を治めるのだ」

 驚愕に目を見開く。白熊とはやはり、北極に暮らす白い熊のことだろうか。正式名称はホッキョクグマだが、いわゆる白熊は動物園で見たことはあるものの、結羽にとっては未知の生物だ。俄には信じがたいが、ユリアンの耳の形は言われてみれば白熊のものである。

「我々ということは、レオニートも白熊に変身できるのですか?」

「無論だ。むしろ獣型のほうが、本来の姿といえる。いにしえの血は獣型のときこそ色濃く発揮されるからな」

 結羽は寝台で目覚める前に、純白の大きなものに包まれていた。

 まさか、あれは。

「僕は寝台で寝ているとき、ふかふかの真っ白な温かいものに包まれていたのですが……あれはもしかして……」

 レオニートは口端を引き上げて、不遜な笑みを見せた。悪辣な表情でも、彼が見せると高貴さに満ちているから不思議だ。

「結羽の身体は冷え切っていたからな。温めなければ命が危なかった」

 あのもふもふは、レオニートの獣型である白熊だったのだ。

 添い寝してもらったという事実を知り、結羽の頬が朱を刷いたように染まる。

 レオニートに温めてもらったなんて。しかも着替えさせてくれたのも彼ということは、確実に裸を見られたということだ。そんなことも全く気づかず、純白の毛を撫で回して悦に浸っていた。

 頬を赤らめて懊悩する結羽を、ユリアンは首を傾げて眺めた。

「結羽、どうしたの? 顔が赤いよ?」

「えっ!? いえ、なんでもありません。そう、命が危なかったから、レオニートは僕を温めてくれたんです。だからレオニートは僕の命の恩人ですね」

 面白そうに口端を吊り上げているレオニートはカップを手にすると、悠々と紅茶を口に含んだ。

「そうだな。結羽の寝顔は可愛らしかった」

「わあ、ぼくも見たいな」

「いけないぞ、ユリアン。あの可愛らしい寝顔は兄だけが見られるのだ」

「ずるいよ、兄上」

 結羽には兄弟がいないので分からないのだが、兄と弟というものは男の寝顔で盛り上がれるものなのだろうか。自分の寝顔を見たことがないので、どういう顔なのか不明だが、可愛いなどと称するレオニートは冗談が過ぎると思う。

「……ということは、ダニイルさんも白熊になれるんですか?」

 壁際で直立不動の姿勢を保っているダニイルに訊ねてみると、彼はちらりとこちらに目線を送り、かぶりを振った。

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