第3話

 どうやら彼は異国の人らしい。それならばこの華麗な美貌も納得できる。

「あの、弟を助けたとは、どういうことでしょう。僕は車に轢かれそうになった子犬を助けたのですが……」

 説明しながら、結羽は不思議な感覚に捕らわれた。なぜか自分の発している言葉に違和感がある。無意識下で他の言語に変換されているとたとえるべきか。

 けれどレオニートには伝わっているようなので、気のせいかもしれない。

「あれは子犬ではないのだが、私の弟なのだよ。困ったことに、異世界へ勝手に遊びに出かけて迷子になっていたのだ。結羽に助けられなかったら、今頃どうなっていたことか。ユリアンもこれで懲りたことだろう」

 ユリアンという名の彼の弟は無事らしい。随分と小さいので子犬だと思ったのだが、見間違いだったようだ。

 胸を撫で下ろしたが、レオニートの『異世界』という表現が気になった。

 別の国を異世界と称しているのだろうか。独特の言い回しだ。

 そのとき、遠慮がちなノックの音が部屋に響いた。レオニートは短く応える。

「入れ」

「失礼いたします、陛下」

 陛下?

 首を傾げた結羽の前にやってきた白衣の医師は、慇懃な仕草で結羽の足を診察した。軽い捻挫で、完治まで二週間と告げられる。大したことがなくて良かった。丁寧に湿布と包帯まで巻いてもらい、診察を終えた医師は退出した。

「お医者さんを呼んでくださって、ありがとうございました。これならすぐに家に帰れそうです」

 レオニートは形の良い銀色の眉をひそめた。

「帰るだと? どこへ」

「どこって……家へです。あまり長く入院しているわけにもいきませんし」

「ここは病院ではないぞ。私の城だ。完治するまでこの部屋で過ごすとよい。これは命令だ」

「はい?」

 城だとか命令だとか、彼はなにを言っているのだろうか。そういえば医師が『陛下』と呼んでいたが、珍しい尊称だ。まるで皇帝のような……。

 レオニートは紺碧の瞳をまっすぐに結羽にむける。

「そうか。結羽は異世界人なので知らなかったのだな。ここは、アスカロノヴァ皇国の皇帝の居城だ。そして私が第二三代皇帝、レオニート・アスカロノヴァだ」

 彼の言葉を呑み込むまで、しばらくの時間を要した。やがて幾度も瞬きを繰り返した結羽は、ようやく驚きを口にする。

「……えっ!? ここ、日本じゃないんですか?」

「日本とは、異世界に存在する国名のひとつだな。異世界とアスカロノヴァ皇国は池の氷を介して繫がっている。星がもっとも輝く夜に神獣の血を引く者が覗けば異世界へ行けるのだ。ユリアンには行ってはいけないと禁じていたが、好奇心を抑えきれなかったのだろう。君が危険な鉄の箱から救ってくれたと、戻ってきた彼は語っていたよ」

 レオニートの口から、それまでの常識を超える数々の言葉が発せられる。どうやらアスカロノヴァ皇国は地球上に存在する国ではないらしい。ここは結羽が住んでいた世界よりも遥か遠い、異なる次元にあるのだ。池の氷を通して繋がっているということは、鏡の中の世界のようなものだろうか。

 池のむこうに違う世界が存在するなんて、今までに聞いたこともない。まるでお伽話のようだ。

「でも、ユリアンを助けたところは道路でした。池なんてなかったはずですけど……」

「こちら側は池になっているが、あちら側も池が出入口とは限らない。君の着ていた服を見ると、やはり寒い雪国のようだ。鉄の箱という車輪の付いている乗り物が通過した後は、雪が均されて磨いたように路が凍るのではないか? おそらく、星の輝きに照らされた池の氷と同じように光ったので、アスカロノヴァと通じたのかもしれないな」

 凍った道路が池の氷と同じ輝きだったため、異世界への入口になってしまったのだ。信じられないことだが、ユリアンを助けたことが切欠でアスカロノヴァ皇国へやってきてしまったらしい。 

 呆然とする結羽に、レオニートは感嘆の息を漏らした。

「やはり、伝説は本当だったらしいな」

「……え。伝説って、なんですか?」

「異世界より現れる妃が氷の花をもたらして皇国の危機を救うという伝説があるのだ。アスカロノヴァ皇国の初代皇帝が予言した伝説の妃とは、君のことらしい。私の花嫁となる人だ」

 突然、伝説の妃だと言われても困ってしまう。

 妃という名称は女性につけるべきではないだろうか。

 結羽は正真正銘の男子なので、妃になんてなれないし、なによりレオニートは皇帝らしいので、しかるべき身分の女性を妻に迎えるべきだと思うのだが。

 しかしここは異次元の世界なので結羽の常識など通用しないかもしれない。結羽は歴然とした事実を突いた。

「僕は男なんですけど」

「皇国では同性婚も認められている。性別は問題ではない」

「伝説の妃をお探しなら、それは僕じゃないと思いますよ。だって、伝説の妃は氷の花を持っているんでしょう? 僕は氷の花というものがなにかも知りません」

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