バイト帰りに捨て猫と後輩を拾った

雨夜いくら

第1話 捨て猫と家出娘①

「おっ、初雪だ。最近の冬は、雪が降るのも遅くなってきたよねぇ」


 レジの方から聞こえてきた女性の言葉に釣られて、窓の方へと視線を移す。


「そうですね」


 客の居ない夜中のコンビニ。

 清掃をしているとき、外を見ると雪が降り始めていた。

 今朝の天気予報をみる限りはあまり長く降ることは無さそうだが、帰りは少し寒そうだ。

 今の季節はクリスマスを目前にしたの12月の半ば。


「あ、竜真くーん」


 再度レジの方から今度は名前を呼ばれたので、小さく溜め息を吐いてからそちらに足を進める。


「なんですか?」


 レジの向かい側から愛嬌のある笑顔を向けてくる彼女は、汐華しおばな柚乃ゆのというバイトと高校の先輩である。


「来週の土曜日、えっと24日の夜って予定空いてる?」


 クリスマスイブの予定を聞いてくる彼女の表情は、どこか浮ついた気分を感じ取れた。


「……空いてます」

「じゃ、悪いんだけどシフト変わって貰えないかな? 彼氏からデート誘われちゃってさ〜」


 仕事中だと言うのに、嬉しそうにスマホの画面に視線を落とす柚乃さんに内心で苦笑しつつ、清掃用具を片付けながら返事をする。


「……大丈夫ですよ」

「ありがとっ、今度ご飯奢るから!」

「いつもお世話になってますから、それくらいは」

「君はいっつも安上がりだねぇ」


 バイトの先輩として半年以上も世話になっているのだから、1日シフトが増えるくらいなんて事は無い。


 それはそうと、こうも顔が綺麗な人と毎日のように同じ時間を過ごすのは妙に緊張して落ち着かない。

 最初の頃は仕事よりも柚乃さんに緊張してたくらいだ。

 正直な気持ち、今でも柚乃さんを相手に口数多く話すことは難しい。

 この美少女のテンションについて行ける彼氏さんとやらをちょっと尊敬するくらいだ。

 それに、彼氏がいるという話は以前から聞いているので、仕事や学校の外で関わり合う事はなるべく遠慮している。


 そんな俺の気遣いも知らずに、柚乃さんは楽しそうにしている。


「おーい学生二人、そろそろ上がってもらわないと困るんだけどー」

「はーい」

「はい」


 バックヤードから店長の太い声が聞こえてきたので、俺と柚乃さんは声を揃えて返事をした。



 ◆◆◆



「はい、お釣り二百二十円ね。ところで大神君明日は…〜」

「シフトは入ってないです」

「予定は?」

「すみません、大事な用事があるんです」

「あ、そっか、残念」


 一見すると引退した関取か? と疑いたくなる様な、縦にも横にも大きい店長。

 体格に似合わないしょんぼりした顔で商品の入ったレジ袋を手渡してくれた。

 袋の中身は今日の夕飯になる弁当と冷凍食品のおかずをいくつか。


「じゃ、お疲れ様」

「はい。お疲れ様でした」


 店長に礼をしてからコンビニを後にする。

 少し積もった雪に残る足跡は、一足先に帰った柚乃さんの物だろう。

 ほっと息を吐くと、雪に紛れて小さな白霧が生まれ、すぐに消えていく。


 厚着しても、寒いな。俺は足早に帰路を歩き始めた。


 ……俺は今一人暮らしをしている。

 元々、偶にしか帰って来ない母と二人で暮らしていた。その母は高校に入る少し前に──具体的には、去年のちょうど今頃に他界した。

 母がいつ、どこで、どんな理由で命を落としたのかを俺は知らない。

 知る術はあったが、知ろうとしなかった。

 葬式にも出なかった。まず、そもそも日程を知らなかったから出ることも出来なかったが。

 ごく当たり前の様に「今日も帰ってきてないんだな」と思いながら学校生活を送っていたくらいだ。


 自分の母が亡くなっていた事を知ったのは、全て終わった後だったし、その後も俺には何の連絡も入って来ないままだった。

 全て勝手に話が進んだ。

 親戚が全て話を進めていた。


 俺にとっては何もかもが、どうでも良かった。

 母親には……。あの人には親らしい事をされた記憶なんて一つも無いから。

 母の死について知ろうとしなかったことにも、葬式に出なかったことも、誰にも咎められなかった。


 ……だって、女優をしていた母に子供が居たなんてことは、母の家族すら誰一人として知らなかったのだから。俺も、母の家族がどんな人なのか知らなかった。

 なにより、その時に初めて、自分が隠し子であった事を知ったのだ。

 よくもまあ、隠し続けてきたと思うよ。

 親にも子にも、流石女優と言うべきなのか。


 ともかく、母が亡くなってからすぐに家を出る事になった。

 その家の権利が、俺ではなくて親戚の元へ移動したから。俺が隠し子かつ未成年という事もあり、そういう契約になっていたらしい。

 

 そうなると、俺には親権者が居ない。

 仕方なく賃貸を借りる為に、親戚に代理の後見人を頼んで元々住んでいた家からは数駅離れた場所で、アパート住みになった。


 俺の手元にあるのは母が残した遺産と保険金だけで、遺品は全て親戚に管理してもらうことになった。


 中学までは野球部のエースとして充実した時間を送っていたが、今はスポーツなんて物には全く関わらずに、放課後は大抵バイトに励んでいる。


 元々一人暮らしみたいな生活をしていたから、不便を感じる事は無かった。


 けれど、とても後悔している。

 大きな未練も残っている。どちらも、二度と解消することは叶わない。

 だからせめて、明日──命日に墓参りをするくらいはした方が良いだろう。

 少し前に親戚からお墓のある場所の位置情報を送りつけられたので、そうしろって事だと勝手に解釈している。

 学校も休みだし、色々と都合がいい。




 下を見て歩いていた道すがら、不意に小さな声が聞こえた。

 人の声ではなかったが、そもそも周囲に生き物の気配はない。

 不自然に思って辺りを見回すと、小さな公園が目についた。


 少し目を凝らすと、街灯の下に人影を見つけた。


 どうやら声がしたのはその方向の様だ。

 流石に怪しさを感じたので素通りしようと足を進める。

 だがすぐに、公園の入り口を通る辺りで街灯の下の人影が着ている服装が目について思わず足を止めた。


 俺は少し思考を巡らせてからひっそりと溜め息を吐いて、公園に入って行った。


「……にゃー」


 街灯の下の人影は俺に気づく事なく、そこに置いてあった段ボールに手を入れて小さく奇声を発している。


 どうやら、段ボールには捨てられた子猫が入っている様だ。


 近付くついでにわざと足音を立てると、人影はビクッと体を強張らせながら、即座にこちらに顔を向けてきた。


「……なに?」


 立ち上がり、明滅する街灯に照らされたのは女の子だった。遠くから見てスカートを履いている事は分かっていたが。

 ウルフカットの髪は少し長めのくせっ毛。着崩した制服は地味な灰色で、緩んだネクタイの下には窮屈そうに膨らむワイシャツ。ボタンの隙間から肌色が見え隠れしている。身長は160センチと少しくらいだろうか。

 学校の制服だというのに、季節感がまるで無い寒そうな格好だ。

 小豆色の大きな瞳でこちらを睨みつけ、警戒心を全開にしている。


 そんな彼女の様子に声をかけるべきか迷いながらも、俺はもう一歩前へ出た。


「こんな所で何してんの?」

「……」


 少女はこちらを睨み付けるだけで、口を開こうとはしない。


 このままでは埒が明かないので、俺はその少女の名前を口にした。


「……夏梅、同じ中学の先輩にその態度はどうなの?」


 俺は彼女を知っている。

 一応、関わりはあったから。


「同じ中学?」


 恐る恐るといった様子で俺を観察してくるこの少女は、夏梅なつうめ理斗りとと言う一つ歳下の後輩。今は中学三年生の筈だ。


 その端正な顔立ちに加えて、高い運動能力も兼ね備えている、その一方で性格が最悪だとか言われていた。要因は色々とあるが、校内では何かと話題に上がることの多い生徒だった。


「着てる制服に見覚えあったから声かけた。今年の三月に卒業したばっかりだし」

「……なんで私のことを知って」

「同世代で同じ学校なら、君を知らない奴は居ないと思う」

「そうですか……」


 一応は納得してもらえたらしい。彼女なりに、自分の影響力は理解しているようだ。

 だが、夏梅は溜め息を吐いてから再度街灯の下にしゃがみ込み、捨て猫に手を伸ばした。


「今年受験生でしょ」


 なんで地元からかけ離れたこんな所に、制服なんか着て居るのだろう? あっちはもう冬休み入ってると思うけど、それにしたって不思議だ。


 地域的な都合なのか、俺がいた地元は少しだけ冬休みが他の学校より1週間くらい早くて、少し長めだった。

 なので夏梅はもう冬休みに入っている頃のはずだ。


「……あなたに関係あるんですか?」

「一応後輩だし、気に掛ける理由はあるよ」

「あなたの後輩になった記憶はないです」


 俺の性格が問題なのか、彼女の言い分はもっともだと思わなくもない。

 俺も大した関わりのない後輩を気に掛ける義理は無いと思っている。

 だけど、気にかけていると言うことはつまりそういう事だ。


 ついでに、一度話しかけた以上は放置しておくのも心にモヤモヤが残るように感じた。

 放って置く訳にも行かないから声掛けたというのに、面倒な後輩だ。


 そう思いながらも、俺は自分が着ていたロングコートを夏梅の肩に掛けた。

 すると、彼女はそのコートを観察し始めた。


「このコート……って」


 そしてとうとう服の裾に鼻を近づけた。


「……大神先輩?」


 少女は俺の名前を思い出しつつ、コートに袖を通しながら、再度スンスンと鼻を鳴らした。


「ちょっと待って、なんで匂いで……」

「ちょっと待て、はこっちの台詞です。なんでさっさと名乗らないんですか!」


 夏梅は少し頬を赤らめながら「余計な事言った……」と小さくぼやく。どうやらさっきの『あなたの後輩になった記憶はない』という台詞を後悔している様だ。


「別にどう思われてたって良いけどさ」


 呟きながら、俺も一応顔が見えるように街灯の下に移動した。


「私が良くないです」


 俺と夏梅は二年ほど同じ図書委員会で、毎週一緒に仕事をした仲だ。

 逆に言うと別学年なので校内ではそれ以外の関わりはなかったが、部活がない日は時々一緒に帰ったり、部活の試合があれば互いに応援に行く程度には仲が良かった。

 学校以外で顔を突き合わせる事はまず無かったから、友達というのも少し違う。やはり少し仲の良い先輩後輩という関係だったように思う。


「……大神先輩は無口だったから、声じゃ分かりにくいんですよ……。髪も伸びてるし……」


 そう言われて思わず、鼻にかかる程度には伸びた前髪を意味もなく触った。


 野球部の顧問が、坊主じゃ無くても良いけど可能なら短髪にしろという方針の先生だったから、その頃と比べるとかなり髪が伸びている。


「だからって、嗅いでから分かるのはどうなのかな」

「……バラみたいな香りがするんですよ」

「そんな柔軟剤は使ってない」

「体臭の話ですが」

「えっ、そんな甘い匂いする?」


 少し気になって自分の服の匂いを嗅いでいると、夏梅はそんな俺の様子はお構い無しと言わんばかりに、突然手を握ってきた。


 夏梅の顔を至近距離で見る機会というのは滅多に無かったから忘れていたが、この少女は何処に出掛けていても即座に学校の奴らに身バレする程度には目立つ美少女だ。


 クールな外見とは裏腹に若干キラキラした瞳を向けてくるので、俺は理由もなく目を逸らした。


「大神先輩って確か、今はお一人で暮らしてるんですよね」

「えっ? なんで知って……」

「しばらく泊めて下さい」


 何か困りごとでもあるのだろうか。それよりなんで一人暮らししてるって知ってんの?

 帰りたくない事情があるのは確かな様だ。でも一人暮らしするなんて少ない知り合いの誰にも言ってないはず無んだけど……。


 ここに留まらせて補導されるよりは良いのかも知れない。今の様子なら話を聞くことも出来そうだから悪いと言う程、悪くは無さそうだ。


 そう考えた上で、俺は夏梅に視線を戻した。


 さて、どうした物かな。少し嫌な予感もするから断りたい自分も居る。


 小さくため息を吐いた俺を、夏梅はじっと見つめていた。




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