わたしと向き合う
@nemuikamo
第1話 過去から現在
皆さんは「障害者」にどのようなイメージを持ちますか?
私は、「障害者」は異常である。と思っていました。私は「障害者」ではない。「健常者」である。
ずっとそう思って生きてきたし「障害」に対して否定的でした。それは、兄が障害者だったからです。幼いころの兄は私には理解することができなかったのです。
私の兄は発達障害と幼いころから診断されていました。彼は、問題行動をよく起こす人でした。両親が夜学校へ行き、被害者家族に謝罪をすることもありました。兄が問題を起こすたびに両親が頭を抱える光景を見てきました。私は、見ていてあの人(兄)はダメな人なんだと思い、兄を反面教師にして生活していました。
問題行動を起こさないようにと生活をしていたので異様に怒られることが怖くなりました。他者が起こられていても自分が怒られているように感じ、とても苦痛でした。
小学生に上がると、私は勉強ができない。勉強をしないと親から言われるようになりました。私は遊んでいたかったですし、テストの点数も悪いわけじゃありませんでした。なぜそういわれてるのか理解できませんでした。しかし今、考えると定型発達の子とずれが生じ始めていたのだと思います。
中学生に上がり、周囲の子とのずれに悩むようになりました。それは、人間関係はもちろんのこと、体力での限界値でした。他の子ができることができない。他の子よりも労力を使う。寝ても寝ても眠いのです。中2の時に起こったいじめで私は学校に行くことがつらくなりました。私が傷ついたという対応をすると、いじめてきた子がいじめの対象になりかねないと思い、自分からは話しかけないけれど話しかけられたら対応をしていました。その子はなぜか今まで以上に悪口とも捉えられる発言を冗談と称して話しかけてきました。そのせいで自分の心が壊れてしまいました。学校に行きたくなくなった要因としては同じクラス、部活で逃げ場がなかったというのもあるのでしょう。私は、寝たふりをしてお母さんに察してもらって休んでいました。
それはコロナ禍の中3の春のことで起きられないことに気が付きました。母は、すぐに思春期外来に連れて行ってくれて「起立性調節障害」と診断されました。そこは精神科でもあったため同時に「全般性不安障害」と診断されました。その後、通信制高校に偏見があり、全日制高校に通いたいという意思が強かったため、全日制高校に進学しました。
しかし、やはり、いきなり週5日通学し、多くの人とかかわるということは難しく、またもや心が壊れてしまいました。「死にたい」と思いながらなぜか笑えてくるのです。学校に行く度に泣いて、吐き気がすることがとても辛かったです。このとき母は、女性の発達障害というものを見て私に対して発達障害なのではないかという疑いを持ちました。通院先に相談するも、なかなか進まず私の体調が悪化していく一方であったため通信制高校への転校と同時にセカンドピニオンを行うことになりました。
高2の春IQテストとスケーニングを受け、秋ごろ診断が下りました。薬を調節しながら最適である状態になれるように向き合い続けています。
苦悩はたくさんありましたが、今は少しづつ前向きにとらえられていると思います。それはいろんな人との出会いがあったからだと思います。
書いてほしい内容がありましたらできる限り執筆するので、コメント等ください。
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