風船恐怖症

序章

　車内は冷房の効き過ぎで、鳥肌が立つ程だった。運転席に座る一見して高齢の女性は身じろぎひとつせず、真正面を見つめている。一方で助手席に収まる若い女性は、薄手のパーカーを纏った細い腕をもう片手で握り、何度もさすっている。彼女はちらちらと運転席の方を見遣るが、思うような反応が返って来ないことを悟ると、ぎこちない笑みを作った後、渋々言葉を発した。

「お母さん、寒くない？」

　少し遅れて、「ええ？ そう？」と運転席の母親が返事を返す。彼女は再び苦笑いを浮かべたが、これ以上言及することなく、相変わらず控えめに腕をさすり続けた。時折足元の買い物袋が立てる音がやたらと大きく鳴る。大人しい彼女はそれにすら気まずそうに助手席で身を竦め、長い瞬きをしたり、唇を噛んだりした。

　そうして、神経質そうにその動作を何度も何度も繰り返した後になりようやく、彼女は再び「お母さん」と運転席に向かい呼び掛けた。ちょうど赤信号のために車が停止したところだった。

「お母さん、さっきスーパーに、小さい男の子が居たでしょう？ 若いお母さんと手を繋いで、ぼうっと、風船を片手に持っていた……」

　彼女は自分の腕を握る手に僅かに力をこめた。母親が「そう？」と気のない声で応える一方で、緊張し、本人にも想定外に大きく声が張り震えるのが、自分でも分かった。

　「……お母さん、私が子どもの頃にさ、一体何をしたの？」