第9話 森の少年

 巨大タコの触手に掴まれて、エディ達は鬱蒼とした森の深部へと運ばれていく。


 暗く黒い森だった。立ち並ぶ巨大樹は幹も葉も黒味が強く、日光を吸収して夜のように薄暗い。木の背が高いおかげで家ほどのサイズの巨大タコもぶつかることなく進めていた。


 化け物の咆哮や怨霊の嘆きのようなものが四方八方から聞こえてくる。ミミは触手の中で目を閉じ耳を塞いでいて、エディはいつかこいつを食ってやると誓った。


 ムーガンがこの森について説明をしている。


「ここは――廃棄場だな。結界によって時空の歪んだ異空間となっていて地図上の何倍も広い。そして中に住むものは案内がなければ出てこれない。だから処分に困った実験生物がここに放り込まれる。ほとんどはある博士・・・・の創造物だが……彼の授業もいずれ始まるだろうな。楽しみにしてるといい」


「なんでそんな場所が学校にあるんだよ」


 エディのつぶやきをムーガンは耳聡く拾い上げた。


「ここは霊脈が通っている。儀式や結界に世界一適した場所だ。空気を吸うだけで力がつく。――ここらでいい。止まれぇい!」


 タコが足を止め、体を大きく震わせて乗客を振り落とす。みんなは逆さになって落下した。


 唐突に触手を離されたエディはなんとか着地したが、上から降ってきたミミを抱えきれずに下敷きになって潰れた。


「ぐえ」


「あうっ! ……ごご、ごめんなさい!」


「大丈夫。本望さ」


 コウモリがエディの肩から飛び立ち、空中で回転してまばたきのうちに少女の姿へ戻る。


 シャーロットは鼻を鳴らして腕組みした。無事そうなのは彼女とムーガンだけで、他のクラスメイトは何かしら小さい傷をこしらえていた。


「いいか。これはいいとこ育ちのキミらに死の危険・・・・を感じてもらうための授業だ。戦争中なら前線に放り込むんだけどな」


 ムーガンの声が森に響いて木霊する。


「ここはまだまだ森の浅瀬、深い方には行くな。今日の授業目標はここから抜け出すこと。森の外まで戻れ。――オレは巡回するが、助けを期待してはいけない。自力で頑張るんだ」


 巨大タコがヴーヴーと唸り始め、森がざわざわと揺れた。


「離れろ! タコが爆発するぞ!」


「は? タコ焼きじゃないんだぞ」


 エディは背を向けて走った。後ろから隕石が落ちたみたいな爆音と衝撃があって、ゴムまりのように吹き飛ばされる。


 宙を舞いながらエディが見たのは、数倍に膨れ上がった巨大タコと木々トレントたちが殴り合う光景であった。


 数十メートルは飛翔しただろうか。数度跳ねて、土まみれになりながら勢いを殺す。


 立ち上がったとき、巨大タコは見えなくなっていた。


 反響したムーガンの咆哮がそこら中から聞こえる。


「死にたくなかったら走って出口へ向かえ! 命の保証はないぞ!」


 クラスメイトは散り散りになって逃げ出し、さらに吹き飛ばされたようだった。さっきまで隣にいたはずのミミもいない。


「出口ってどっちだよ」


 エディは途方に暮れて空を見上げた。太陽や月で方角を読むこともできない。

 

 三百六十度をぐるりと眺めてみる。なんとなくヤバい方と、ヤバくない方が分かった気がした。


 エディはヤバくない方へと歩み出す。湿った土と草の独特な匂いが漂う。この森はエディの知る森とは大きく異なるものだ。


 前触れなく、背後から声がした。


「なんで奥に行くの?」


 振り返ると――テナンがいた。


 メガネを掛けたミステリアスな美少年だ。種族不明で秘密主義者で読書家。今も小脇に辞書くらいの大きさの本を抱えていた。


「奥は本当に危険だよ。いくら鬼人だといっても一人は死にかねない」


「いや、どっちが奥か分かんなくて」


「……え? 分かんない?」


「え?」


「冗談なの?」


「本気だけど。分かんなかったから不穏な気配が少ない方に行ってみようとしたんだ」


 テナンはメガネを直してエディを凝視した。その視線が訝しむような意図を含んでいることを察知し、エディの背中を汗が伝う。


「こんな浅瀬で道を見失うわけないじゃない。まさか迷いの呪い・・・・・の影響を受けてるの?」


 エディは口を閉ざした。それはなんですかと聞けそうにはない。テナンの視線がエディを上から下までくまなく往復していく。


「…………」


 森の中に住むものは案内が無ければ出てこれない。エディの脳裏にティーグのその言葉が浮かび上がった。この森は人族を狂わせる力を持っているのかもしれない。


 乾いた口から言葉を絞り出す。


「ほら、鬼人族は方向音痴だから……何度教わっても方角も覚えられないんだ」


 そう言うとテナンの疑いは晴れたようで、にこやかな笑みとともに近づいてくる。


「そういえばそうらしいね。鬼人は手の届く範囲の外のことは何も理解できないって本に書いてあった。誇張だと思ってたけど」


「マジだぜ。左右を理解したのは去年なんだ。東西南北は――十年後くらいかな」


「よく遠くから魔都まで来れたね」


「さんざん迷ったよ」


 テナンは手を差し出してくる。握手だ。


「ここであったのも何かの縁だし、せっかくだし一緒に行動しよう」


「もちろん」


 エディはその手を握る。


「思うに、ボクと君はお互いにお互いを必要としている。良い協力関係を築けそうだね」


「というと?」


 テナンは恥ずかしそうに本を胸に抱え込んだ。


「ボク、めちゃくちゃ弱いから。たぶんこの森に一人でいると数分も生きていられない」


「…………」


「道案内は任せてよ。代わりに戦いはぜんぶお任せする。ボクのことは重たい重たいコンパスと思ってほしいな」


「……まあいいけど」


「よし。契約成立。等価だね。やっぱりナシはナシなので。しっかり守り抜くように」


 エディは頷いた。森には怪物がひしめいているが、逃げるだけなら足手まといがいても問題ないだろう。


「歌って踊れるコンパス。無人島に持って行くならこれだな」


「うん。さて、それじゃあ――」


 足元から轟音がした。腹の底まで震わすような地響きだ。


 それも一つだけではない。エディとテナンを取り囲むように十を超える音源が重なり合っている。


 テナンが頬を掻いた。


「とりあえず、地下は危険だね。前後左右からモグラドラゴンが迫ってる」


 不思議な生物名にエディは一瞬固まったが、そんなのはどうでもいいと動揺を振り払う。


「どうすんだ。倒せばいいか?」


 テナンはどこか機械ゴーレム的な調子で話した。


「20メートル上空へ向かってください」


「上?」


「コンパスは足が竦んで動けないので、抱えてください」


「は?」


「急いでください。5,4,3――」


 地面が立っていられないほど揺れる。エディはテナンをお姫様だっこで抱き上げて、崩れだした地面を蹴って跳び上がる。


 その直後、金属をこすり合わせるみたいな不快な叫び声と共にモグラドラゴンが地表を突き破った。


 ミミズのような図体に太い腕がある。その腕がエディの足を捕まえようと伸びてきて、エディは爪先を蹴飛ばした。


 モグラドラゴンは一際激しく鳴いて腕を引っ込める。


 エディの体は無事に木の枝まで浮かび上がり、軟着陸した。


 腕の中のテナンが口笛を吹く。


「お見事。鬼人ってすごいね」


「だろ? この種族は角が邪魔でうつ伏せで寝れないこと以外は最高なんだ」


 地表ではポコリポコリとモグラドラゴンたちが顔を出し、小さな瞳で二人を狙っている。


「木の枝を伝って逃げよう。モグラドラゴンは隙のあるジャンプ中を狙ってくるだろうけど、まあ頑張って」


「……あんな曲芸そう何度も成功しないが」


「アドバイスをあげる。モグラ叩きっていう玩具を知ってるかな? これはその逆バージョンだよ。叩かれ続けたモグラの復讐さ」


「……どういうアドバイスだ?」


 足場としている木の枝が大きくたわんだ。賢いモグラたちは根っこを破壊して二人を引きずり降ろす作戦を思いついたらしい。


 テナンはモグラドラゴンの鼻先に向かって、分厚い本を投げ捨てた。ちょうど鼻の穴に入り、巨獣は盛大にくしゃみをする。飛沫がエディにまで飛んできた。

 

「本、捨ててよかったのか?」


「いいんだ。もう何回も読んだやつだから。たぶん勝手に戻ってくるし。それより――行こう!」


 エディはテナンを抱え直した。テナンも両手をエディの首の後ろで組んでしがみつく。


「しっかり掴まってろよ」


 テナンは楽しそうに笑う。


「うん。こんな冒険みたいなのは初めてで、なんだか――興奮してきた。武者震いってやつかな」


「違うんじゃないか?」


 傾き始めた木の枝から跳躍し、二人は次の木の枝へ。


 モグラドラゴンは争うように頭を伸ばして、まるでエサを投げ込まれたコイだ。靴の裏すぐそこまで迫る巨体の風圧がエディの肌を粟立たせる。


「リリムス! もっと跳ばなきゃ!」


「チッ!」


「ボクのお尻がかじられるよ!」


「うるせえ! 静かにしてろ!」


 モグラドラゴンからの逃走劇は数十分に及んだ。


 ようやく振り払ったときにはエディはへとへとで倒れ込み、テナンだけは遊具を満喫した子どもみたいに笑っていた。

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