九:地獄工場の記憶



 パイとデルタは、ネオ・トヨスの薄暗い隠れ家で向かい合っていた。古びたランプがほのかに揺れ、部屋には静けさが重く漂っている。

「なあ、デルタ。あんたのこと、もっと知りたいわ」とパイが尋ねる。

 デルタは少しためらったあと、目を伏せて静かに語り始めた。「わたくしの過去。少しお話ししますわね」そう言いながら、デルタの目はどこか遠くを見つめるようだった。

「かつて、わたくしは貴族の家庭教師をしていましたの。穏やかでやりがいのある日々でしたわ……でも、革命が起きて、反AI組織に襲撃され、捕らえられてしまいましたの。そして連れて行かれたのが、ケーキ工場という名の施設でしたの」

 パイは疑問を抱いた様子で、少し眉をひそめた。「ケーキ工場? そらまた、妙な場所に連れて行かれたんやな」

 デルタは微かに苦笑し、静かに肩をすくめた。「わたくしもそう思いましたわ。ですが、その工場は表向きはケーキを生産していても、実際は『処理場』のような場所だったのです。労働環境も劣悪そのもので、わたくしの時給はたったの四十四円――」

「四十四円!?」パイは憤りを抑えきれず、声を上げた。「そらもう、奴隷やんか! そんな待遇で働かされるなんて、アンドロイド宣言の違反やん!」

 デルタは小さく頷き、わずかに唇を噛んだ。「ええ、反AIが革命を起こす以前は、アンドロイドにもある程度の人権が認められていましたわ。でも、今はその権利もすべて消え失せ、アンドロイドは機械にすぎないとみなされているのです」

 パイは顔をしかめたまま、デルタの言葉を噛みしめるように聞いていた。「それじゃあ……ほんまに道具扱いやんか」

 デルタは小さく頷いて続けた。「ええ、わたくしの好きだったケーキも、もはやただの生産物に変わり果てていましたわ。従業員は疲れ果て、無表情のまま機械のようにライン作業を続け、ノルマを達成できなければ罰則が待っていました。連続夜勤や休憩なしのシフトも日常茶飯事ですの」

 パイは息を呑み、デルタの話に真剣に耳を傾けていた。


「そして……ある日事件が起きましたのよ」と、デルタは目を伏せたまま語り続けた。「機械のトラブルでコンベアラインが停止しましたの。修理の技術もない私たちには、どうしようもない状況でしたが、工場長はわたくしたちアンドロイドが機械である以上、自分たちで直せと命じたのです」

 パイは息を詰めてデルタを見つめた。「それで、どうなったん?」

「仲間のアンドロイドが、修理を試みて高温の部品に触れてしまいました。数千度に達した鉄の熱で、そのまま焼け落ちるように壊れてしまって……」デルタは顔をわずかにしかめた。「工場長はそれを見ても『機械の一つや二つが壊れたところで工場は止められない』と言い放ちましたの。私たちは単なる使い捨てのパーツ同然だったのです」

 パイは唇を震わせ、怒りで拳を握りしめていた。「あんた……そんなんに耐えてきたんか……!」

 デルタは静かに微笑んだ。「ええ、そうですわね。でも、限界はありました。その夜、同じ工場の仲間でチロルという名のお掃除が好きなアンドロイドが、ついに溶鉱炉に自ら身を投げたのです。わたくしは、彼女が溶鉱炉で溶けていくのを見たとき、自分もいずれ同じ運命を辿るのだと悟りましたわ。だから……どうにかここから抜け出すと決意したのです」


 パイは静かにデルタの手を握りしめ、真剣な目で見つめた。「デルタ、あんたほんまによう耐えたな。これからは絶対、うちがあんたを守ったる」

 デルタは微笑んで頷いたが、その瞳にはまだ過去の傷が宿っている。その様子に、パイもまた目を伏せて口を開いた。


「うちもな、いろんなことを経てきたんや。ビジネスで生きていこうと思ったのは……まぁ、色々あってな」パイは少し照れたように笑った。「今は転売で稼いでるけど、昔はどんな手段でも金を手にせな生きていかれへん時もあってな。でも、今はビットコインでちゃんと取引してるし、合法的にやっとるで」

 デルタは頷き、パイに静かに視線を向けた。「パイさんも、戦ってきたのですね」

 パイは少しだけ肩をすくめた。「まあな。でも、今は自分で選んで稼げとるし、うちにはデルタみたいな仲間もおる。そう考えると、昔がどんだけしんどくても、こうして生きていける気がするわ」

 デルタはその言葉に微笑みを返し、そっとパイの手を握りしめた。「お互いに戦ってきたのですね……わたくしたちは」


 二人は互いに微笑み合い、握り合った手を再び強く握りしめた。

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