Book 1-VIII : 片割れ

「それで? 鍵が手に入ったら魔界の扉を開けるの?」


それは、もっと早い段階でレオが自らに投げかけるべき問いだった。正直なところ、仮に鍵を入手できたとして、それからどう行動すべきかのイメージはまだ浮かんでいなかった。その時になったらまた妹が何らかのサインを見せて導いてくれるかもしれないという、根拠なき期待を抱いていたのだった。


第一に、魔界の扉を開けるのは犯罪行為だ。それだけでもレオが二の足を踏むのには十分だ。それに、右も左も分からない魔界に飛び込んで何か有意義な経験はできるのか?


斜め読みした歴史書の記述によれば、魔界とはパラレルワールドなのだそうだ。つまり、ヴァルバリアから魔界に渡れば、そこにはヴァルバリアの模造品のような島が存在している。そこに神話や御伽噺に登場するような超自然的な力を持った存在が暮らしているという訳だが、何しろ全体の広さが分からない。


こちらの世界のヴァルバリア本島の面積は150km²ほどで、その周りの幾つかの無人島も領土に含まれる。世界的に見れば国土は最小の分類だが、当て所なく彷徨ってすぐに誰かを見つけられるような広さでは決してない。それに、パラレルワールドという表現が的確なら、魔界盤ヴァルバリアを囲むようにして魔界盤アフリカや魔界盤ヨーロッパも存在すると考えるのが筋ではないか?

 

そこでまたしても、いざとなったら妹の幻影が道標を示してくれるかもしれないという考えが浮かぶが、無論そんな都合のいい期待を胸に未知の領域に身を委ねる訳にはいかない。


*********


そうこうしているうちに、マルチェッロの家が近づいてきた。彼は小高い丘の上の一軒家に住んでおり、両親は果樹園を経営していた。


坂道を登っていくと、左手にはヴァルバリア最大級の港が見えた。今日は大型の帆船が異国の地へ出航する日らしく、しばしの別れを惜しむ家族や恋人達が抱擁したり、贈り物を交換したりしているのが見えた。そして右手には、針葉樹の林の間に博物館の灰色の壁がある。もしマルチェッロがちょうどバイトに行っていて家には不在だったら、このままわずか3分ほどで勤務地に直行できるのだ。


鍵を入手した後のことを考え悶々としていたレオだが、目先の問題はその前段階だ。マルチェッロにはどの程度、状況を説明しよう?


「マルチェッロ先輩にも全部言っちゃっていい気はするんすけどね〜」


アンブローズが言う。


マルチェッロはレオの幼馴染だ。それどころか、学院外では姫奈やアンブローズとよりもずっと頻繁に顔を合わせて話をするし、互いをよく知っていた。そういう理由でアンブローズの意見には賛成だが、レオは、ここでは自分の意思よりも妹の意向を頼りにすべきだと思った。


アンブローズは王家の双子を想起させる夢を、姫奈はレオが目の当たりにしたのと同じ幻影を見た。そうした形でニムエがマルチェッロにも何らかの影響を及ぼしていれば、彼にも全て打ち明けるべきだし、そうでなければ無関係の彼を巻き込むべきではないと考えた。


「もしマルチェッロには隠しておきたいなら」


姫奈が提案する。


「そもそも魔界について言及する必要ないんじゃない? ただ漠然と、貯蔵してある鍵に興味があるって言えばいいの。アンブローズは錬金術部でしょ?」


「そうっすよ! 先輩めっちゃ記憶力いいっすね」


「金属加工に興味があるんだから、例えば鍵と錠の仕組みを学びたくて貯蔵してあるものを全部見たいとか言えばいいんじゃない?」


「ナイスアイデアっすね」


「自由研究がまだ終わってないってことにするとか」


「あ〜……ってそれ現実じゃないっすか!」


「そうなの?」


「オレまだテーマも決めてないんすけどヤバくないっすか? もうさっきの蟲以上にヤバいっしょ」


「菜園で蜂の幼虫の観察してもいいよ。後で巣箱のメンテナンス手伝ってくれたら今までの観察記録も見せてあげる」


「いや〜それはキツいっす」


もうマルチェッロの家はすぐそこだ。アンブローズも一芝居打ってくれそうだし、レオはここでは姫奈のナイスアイデアを採択することにした。


ゴツ、ゴツ、ゴツ。


ユニークなさくらんぼ型のドアノッカーを叩いて、返答を待った。ここで一瞬、不安が過ぎる。


彼のお姉さんが出てきたらどうしよう?


マルチェッロの姉は、学院の不良集団の初代女番長ドーナだった。4年ほど前になぜか急に更生し、政府の奨学金でグランドツアーに送り出されるまでになったが、今でもレオの脳裏には荒れていた頃の彼女の姿が焼き付いていた。それでも、彼女の後任として選ばれたあの少年よりは数倍マシだったが……。


すぐに玄関が開き、顔を出したのはマルチェッロだった。


「おぉなんか珍しいメンツやん。どないした?」


3人を見て言った。


「先輩ち〜っす! いやオレちょっとトラブってて〜」


「おぉ」


「自由研究が〜まだ始められてないんすよね」


アンブローズが口火を切ってくれた。


「で先輩に頼みたいんすけど〜」


「おぉ」


「ほらオレ錬金術部じゃないっすか〜。でちょっと鍵と錠の仕組みについて調べようと思ってんすけど〜なんか博物館に展示してあるヤツを〜ちょっとなんかその〜拝借できないかと〜」


「えームリ」


「そこを何とか!」


「いや鍵はムリや。壊れにくい工芸品とかなら館長に言えば貸し出しできるけどさ。鍵は合鍵作られたらヤバいやん」


「そっかぁ、じゃあ私と幼虫の観察しなきゃね」


姫奈が言った。


「……って流れになっちゃうんで何とかして欲しいんすけど!」


「まだ始めてないなら別のテーマにすりゃ済む話しやん」


「まそ〜なんすけど〜」


食い下がるアンブローズを前にマルチェッロは腕組みをして数秒間、空中を見つめていたが、ハッとして言った。


「あ、一個だけ貸し出せるやつあるわ」


「マ〜ジっすか? 何の鍵っすか?」


マルチェッロはレオと目を合わせないようにしながら、アンブローズに何やら耳打ちした。


「え魔界の鍵っすか!? えマジでガチっすか!?」


「ちょなんで大声で言うねん!」


マルチェッロはバツが悪そうにレオの方をチラリと見た。レオは、触れることすら許されないだろうと思っていた魔界の鍵を借りられると知って驚嘆すると同時に歓喜のあまり涙ぐみそうになった。それは、マルチェッロから見たら、タブーワードに対する不快感で眉間に皺を寄せているように見えたかもしれない。


「待って、魔界の鍵は合鍵を作られてもいいの?」


しばらく傍観していた姫奈が問うた。


「それなんやけどー。あーこれ言っちゃってええのかなー? いや言わない方がええかー。でも言っちゃおっかなー」


マルチェッロは大袈裟な、思い悩んでいるような素振りを見せながら、もったいぶった言い方をした。


「何すか? 全然言っちゃっていいっすよ!」


「じゃあさ、これ口外したらあかんで……」


レオ、姫奈、アンブローズは次の言葉を待ち受けた。


「あれな、ニセモンなんや」


スペアキーという意味だろうか。同じ形の鍵が複数存在するかもしれないというレオの予想は的中していたのか。でも、何かがおかしい。


「偽物だってそれを元に合鍵を作られたら困るんじゃない?」


姫奈がレオの困惑を言語化してくれた。


「あーなんか先端がちょっと改変してあってそれで扉開けることはできないから大丈夫なんやて。持ち手の部分の飾りとかは超リアルに再現されてんねんけど」


レオの希望は泡となって砕け散った。


「えなんでそこまでしてパチモン展示してるんすか?」


「本物はどこにあるの?」


言葉を失っているレオに代わってアンブローズと姫奈が情報を聞き出してくれている。


「え? 盗まれたけど?」


一つの重大な秘密をバラしてしまったマルチェッロは、開き直って出し渋ることなくさらなる機密事項を明かし始めた。


「えマジっすか〜ヤバいっすね! 犯人分かってんすか? や分かってないっすよね」


「え? 分かってるよー」


「ガチっすか? 誰っすか?」


「多分お前は知らないヤツやで」


「え〜オレ結構知り合い多いっすけど。じゃ当てるんでなんかヒントくださいっ」


「えー……じゃあ『男』」


「も〜ちょいスペスィフィックに」


「オレと同い年。多分」


「お〜って未成年すか? でもそれでだいぶ絞れるっすね。先輩達の学年の男子だと20人くらいっすか?」


不良グループの誰かということだろうか? 本当に犯人が割れているのに何も制裁が加えられていないというのなら不可解だが、そもそもあの扉は学院本館にあるのだし不可能な話ではない。レオ達と同学年の問題児といえば……。


「いや違うんだよなー」


「え生徒じゃない人っすか?」


「なんかこれ以上言ったら王子達は察しつくだろうなー。いやもうついてるかー」


目配せされたレオと姫奈は嫌な予感がしてきた。


「え〜オレまだ分かんないっすよ〜。じゃ〜名前のイニシャル!」


「『G』!……ちゃう、『D』や!」


*********


同じ頃、少し離れたところにある荒廃した町の小さな質屋に来客があった。大きな羽飾りのついたカヴァリエハットを目深に被り、長い漆黒のクロークに身を包んだ痩せ型の少年だ。


「またお前さんか」


少年はクロークの胸ポケットから取り出したものを初老の店主に差し出した。


「どれどれ、ペアネックレスの片割れか。うん、本物のクリスタルだね。もう片方はどこだね?」


店主は冷やかすような表情を浮かべた。


「今イタリアに向かってる」


少年は目線を上に向けながら涼しげな表情で答えた。


「やっぱりそうかい。これで3回目くらいだね。両方揃ってないと大した価値は出ないんだがねぇ」


「別にいいし」


「お前さんのその耳飾りの方がよっぽど価値があると前にも言ったろう?」


少年の左耳には、異国の金貨に針金を溶接して作ったピアスが光っている。


「だから、これは手放せないんだよ」


「そうかい、もったいないねぇ。今日のは12シェケルだね」


少年は人情味のない取引を終えて質屋を後にした。これで9月分の生活費をカバーしても2シェケルは手元に残るかもしれない。そうすればまた一歩近づけるのだ。黄金の塔トーレ・デル・オロに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る