第12話:出版業界の事情

 央端社)


「3人目も亡くなったらしいです。話題性は十分じゃないですか!?」


 東北の小さな出版社である央端社の編集員の和田進一が編集長小室に訊いた。


「お前も知ってる通り、校正チェックなんかが一切ないとしても、その原稿が本屋に並ぶのはどんなに早くても半年後だ。一過性のブームなら人々はもう忘れてる。旬を外した被害はデカイんだぞ!? たまごっちがいい例だろ」

「たまごっちってなんですか?」


 和田進一は世代的にたまごっちを知らなかった。小室が言っているのは、1996年に大ブームになったバンダイのたまごっちは設備投資などを行ったが、市場投入が遅くなり、大量に作った商品はブームを過ぎてほとんど売れず、60億円もの損害を出したという伝説のことだ。


「じゃあ、自費出版はどうですか? 一般的な出版よりハードルが下がります。『文豪』の希望にも添えますし!」


 自費出版とは、出版にかかる費用や営業のための費用を作家側が負担するもので、出版社側の負担を減らし、出版しやすくする方法だ。素人作家からプロまで使う手法で出版のハードルを大きく下げる。ただし、作家側は初期費用で200万円から300万円準備する必要があることが多い。


「初期費用、僕が払ったらダメですか!?」


 和田はとにかく自分の企画、自分の担当が欲しかった。


「250万払えるか?」


 それは20代の和田の年収にも近かった。小室は払えるはずがないことが分かっていて訊いた。


「そもそもなーんで、そんなに高いんですかー!?」

「お前は日本に何店くらい本屋があると思う?」

「それくらい、出版業界の端くれとして知ってますよ! 約1万店ですよね?」


 ある調査によれば、2024年3月時点での書店数は1万918店。売り場を持つ店舗は、9500店ほど。ここ20年間ほぼ変わってないペースで順調に減っているという。和田が言う約1万店は概ね間違っていない。


「本を一般に流通させるためには、最低1万部の印刷が必要なんだよ。それで売れればまだいいが、売れなかったら返って来る。全国からな。そんときは誰も買わないゴミを俺たちは大枚はたいて作ったことになってしまうんだ」


 八百屋は店に野菜を並べる時市場などで野菜を買ってくる。「仕入れ」と言われる作業だ。八百屋が損をしない金額で買って来て、自分で値段を付けて客に販売する。


 ところが、本屋は本の仕入れのとき、その本を買ったりはしない。本屋は本を置いているだけ。価格は出版社が決める。本が売れて初めて本屋も出版社も売上が上がる。売れなければ、本屋も出版社も売上すら上がらないのだ。本は出版しても売れているか、売れていないのか、判断がつきにくい商材なのだ。ギャンブル的な要素があることは否定できない。和田は入社後間もない頃に研修で聞いたその話を思い出した。


「そもそも、どうやって『文豪』と連絡取るんだよ? やつは一方的に原稿を送ってきてるだけだろ?」


「文豪」が央端社に原稿を送ってくるのには、いつも一般受付の応募フォームが使われていた。これは、原稿を央端社のサーバーにアップロードする方法のため、メールアドレスなどを準備する必要がなかった。


 名前やメールアドレスを記入するところはあったが、名前の欄には「文豪」、メールアドレスの欄はでたらめなものが記入されており、央端社から「文豪」に連絡を取る方法はなかった。


「そうだった……。連絡できないんだった……」

「お前なら、それくらい言われなくても分かると思ってたけどな」

「なんですか? 急に持ち上げて……」


 和田は机に両手をついてうなだれたが、顔を上げて小室に訊いた。編集長が和田を褒めることはほとんどないのだ。


「お前の名前はお前のおじいさんが付けたんだよな」

「はい、そうですけど……」


 探るような質問に素直に答えていいのか少し悩んだ。


「おじいさん、ミステリー好きだったろ」

「はい、そうですけど……。じいちゃんを知ってるんですか!?」


「知らなくてもそれくらい分かる。そのおじいさんは健在か?」

「あ、はい。107歳ですけど元気です」


「それはすごいな。機会があったら、俺の名前を言ってみろ。きっとお前のじいさんなら喜んでくれるはずだ」


 和田には全然事情が分からない。祖父のことを知らないのに、ミステリー好きを言い当てた。


「やっぱりじいちゃんのこと知ってるってことですか!?」

「いや、会ったことなんかない。それどころか、名前も知らん」


 編集長小室は急に興味をなくした様に、椅子にドカリと座った。


「まあ、あと1〜2件事件が起これば出版に向けて検討する価値がでてくるな」

「そんな不謹慎な……」

「不謹慎もなにも、本が売れないと俺たちはご飯が食べられないんだよ」


 出版業界も危機感を持って続ける必要がある職業となっていた。編集長小室も和田も出版に二の足を踏んでいるこの2週間後には、全国ニュースに登るほどの「文豪」の第4の犯行予告と殺人が実行されることになる。


昨日はお礼の書き込みが遅くなっちゃったので……(汗)

@kame000210さん★評価ありがとうございます!

なべやまさとしさんいつもコメントありがとうございます!

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