Y.N短編小説集

アルル・ウォーカー

『無名』


世界中でオーロラが観測されたある日、


…とある極秘地下施設。




その男は、世界システムの管理権を持つある老人の前に立っていた。


周りには、銃器を持った特殊部隊が並んでいる。




「君かね。ここまでたどり着くとは大したものだが、ここまでだ。」


老人の義眼から、思考を読み取る特殊な電波が発せられた。




「…。」


その男は、まっすぐと白髪の老人を見据えた。




「君の頭が読めないのは何故だ? 例の技術かね。」


白髪の老人は後ろを振り返った。特殊部隊の一人から銃を受け取り、男に銃口を向けた。




「私が理解できないものは、この世界に存在してはいけないのだ…。」


その男は、銃口を向けられたが、不思議と怖がる様子はなかった。




瞬間、特殊部隊が一斉に銃を構え、互いに 撃ち合い始めた。バタバタと倒れ、残ったのは老人とその男だけになった。




「先生、新たな技術です。特殊なヘルメットでも防御不能な、精神工学兵器です。もちろん、先生にも効果があります。」


その男は、何の変哲もない黒い箱を取り出した。すると、目の前の老人の手が震えだし、銃口を自らくわえ引き金を引いた。脳漿がかべに張り付き、老人は倒れた。




倒れた老人の義眼を取り出した。その義眼が、全ての暗号を解き、監視システムを停止する鍵だった。数時間後、新世界システムは停止され、各拠点は破壊された。






事件が起きる前…。




とある地下強制労働所。


一人の若者が、黙々と働いていた。彼は、この物語の主人公だ。




「生まれてきた時代が悪かったのか…。」


そうつぶやき、地下強制労働施設の天井を見上げる。ここで科学的洗脳をされながら、死ぬまで過ごす。運よく地上に出られる人もいるそうだが、その時に記憶は消されるらしい。




単純な労働を終え、自分の部屋へ戻る。


殺風景な部屋にはTVと本棚、タブレットが置いてある。クーラーもついており、キッチンも備え付けられている。もちろん彼は知っていた。TVは部屋全体を盗撮するためのカメラであり、盗聴器でもあり、クーラーに備え付けられているセンサーは彼の生体情報を常に読み取っていた。




生まれた時から当たり前であり、気にも留めずに横になり考え始めた。部屋の明かりは可視光通信の光であると同時に、眼球を通して彼の無意識を洗脳する光学洗脳装置だった。ここは、部屋そのものが洗脳装置であり、監視装置だった。




24時間、レーダーが追尾し彼を洗脳し続ける。洗脳のない世界、空間を忘れてしまった。備え付けの安っぽいアンドロイドが、料理を作り彼はそれを食べた。このアンドロイドは仕事仲間であると同時に、同居人であり監視役でもある。




ご飯を食べ終えた彼は、遠い記憶を思い出した。家族に連れられて初めて行った海。思い出に浸り、うとうとしていると眠りに入った。






夢を見た。




そこにはいかなる人工物もなく、澄んだ川が流れており、豊かな森林が広がっていた。子どもたちの笑い声が聞こえる。子どもたちは彼を取り囲み、不思議そうに見上げた。


「ああ…この世界の子どもたちは、ぼくの住んでいた世界とは違う。瞳の中に無垢な好奇心と、いたずら心が見える」




空には、鳥たちの声が聞こえる。ここは広いな。


そして、匂いがある…。振り返ると、子どもたちは服を脱ぎ、川で遊んでいた。なんと自由なのだろう。魚を捕る子どもたち、泳ぐ子どもたち。




彼は羨ましくなり、靴を脱いだ。足元に今まで感じたことのないひんやりとした感触を感じて、体内のよどみがどこかへ消えていく気がした。川に足を付けるとあまりの冷たさにぎょっとなったが、すぐに心地よさに変わった。




そこで、目が醒めた。あたりを見渡すといつもの狭い部屋。監視する笑顔のアンドロイド。その笑顔には好奇心は無く、機械的な微笑が浮かんでいた。






その数分後、異変は突如起きた。


同居人であるアンドロイドが急に停止したかと思うと、居住区全体が停電した。すぐに予備電源がついた。同時に、全ての部屋の扉のロックが外された。そして、なんと! 首に付けられた毒針が飛び出す首輪のロックが自然に解除されて、床にカランと落ちて転がった。




「これは、もしかして…もしかすると!」


恐る恐る、外に出ると同じように飛び出した人々が辺りを徘徊していた。地下施設の警備は、アンドロイドに任せきりであり、電気ショックと致死性の毒針が備え付けられた首輪があるため脱走者は皆無であり、警備員も数名しかいない。




人々は、わらわらと群れ、地上にはい出した。中には、地下に残り呆然としている人々もいた。その多くは、生まれた時から地下施設で過ごしてきた人だ。彼は10年ぶりに、地上の太陽を見た。第二の誕生の様に思えた。




頭部への違和感がない!


肉体への電波や音波による干渉波を感じられない。感じられるのは太陽の光とさわやかな風だけであった。




地下施設の周りの草原地帯を歩いていると、上空から小型飛行機と2機のヘリが降り立った。彼は風圧で転げた。目に入った砂を払いながら、あたりに自分以外の脱走者がいないことに気付いた。2機のヘリと小型飛行機の中から軍服を着た男たちが現れた。その背後から、背の高いその男が彼の前に現れ握手を求めた。




「君のことは以前から知っている。君のお父さんとは古い知人でね。君は記憶を改ざんされている。長い地下生活で健康を害し、洗脳されている。私の別荘にこれから行こう。」




急な展開に目をぱちくりさせながら、彼はその男の運転する小型飛行機に乗った。窓の外から景色が見える。ああ、あそこが地下強制労働所のあった場所だ…。




「君の意識は大したものだ。私はあの地下強制労働所の全従業員のデータを監視する仕事についていた。多くの人間が、絶望する中、君は本気で地上に戻れる日を待ち望み、希望を捨てなかった。君のその意識に、私も触発されて、ある行動に踏み切ったのだよ。」




「ぼくの地下生活での静かな葛藤も無駄ではなかったのですね。」


「その意識が、世界を変えてしまったのだ。」




彼は、その男から事件のすべての詳細を教えてもらった。話が絶えない中、小型飛行機がその男の別荘に近づくと、後続の2機のヘリは離れて行った。




小型飛行機は、別荘の前にある湖に着水した。湖から見えた景色は、息をのむほど美しく、まだ現実とは思えなかった。夢を見ているみたいだ。






「少し休みなさい」


その男に促され、シャワーを浴びた後ベッドに横になった。電磁波や音波による生体的干渉のない十数年ぶりの安眠、本物の睡眠をむさぼった。




目が醒めると、その男は彼の現状について説明を始めた。


「今の君の体には、7つのナノマシーンターミナルと、4万程のナノマシンが埋め込まれている。さらに、脳の一部は損傷し、記憶も改ざんされている。いまから、可能な限り君を回復させる。こちらに、きなさい。」




その男に促され、近くの別の小屋に向かった。それにしても、この土地は美しい、小鳥の囀りが聞こえた。小屋には広大な地下空間があった。地下に下る階段を下りながら、彼は再び不安を覚えた。




「安心したまえ、ここに君を脅かす者はない」


そこは極秘の医療施設、研究施設だった。




彼は肉体を一通り検査され、特殊な機械に入れられた。体内のナノマシーンを全て破壊してもらった。ターミナルも、特殊な手術器具で取り除いた。




「脳内にあるターミナルの除去にはリスクが伴う、すでに機能は停止されており、取り除かなくても問題はない、だが、君が望むのであれば手術を行う。私はおすすめしないがね。」




「手術をお願いします。」


手術は数時間ほどで完了した。話とは違い、あっさり手術は完了した。彼が寝ている間にすべては終わっていた。手術で取り除いた7つのターミナルを顕微鏡で見せてもらった。ただの極小機械カプセルにしか見えなかった。




「これで、君は本来の、君自身の認識を取り戻すことが出来る。君に自覚はないかも知れないが、すでに君の表情は人間性を取り戻し始めている。君に見せたいものがある。さぁ、私の別荘に戻ろう。」




地下室の階段を上り、小屋の外に出た。


その瞬間、彼の世界に色彩が溢れ出した。




「これが本当の世界…。」


人工的な膜を通してみていた灰色の世界だったんだ、今まで見ていたのは…。生まれたての赤ん坊が始めてい見る世界の新鮮さの様だ。




2人は別荘で、食事をとりながら話をつづけた。


その男は、ポケットからふいに義眼を彼の前に置いた。


「君には、この世界のすべてを知っておく権利と資格がある。これはその鍵だ。」


彼は、その義眼についての説明を聞いた。




食事を終え、2人は別荘にある隠し部屋に入った。


部屋全体は真っ白だった。中央に、机とイス、最新のパソコンが置いてあった。


パソコンの横にある箱に、男は義眼をはめ込んだ。




部屋全体がモニターとなった。


「君の家族、君自身の真実、この世界の本当の仕組み、人類の隠された歴史、全てここにある。君が望むまでここで生活したまえ。私はもう行かなければならない。」




「待ってください、あなたは…。」


「君と君の父上には感謝している。これはその恩返しだ。季節が変わればまたここに来る。それまでそれは君に預けておくよ。」




その男は再び小型飛行機で飛び立った。


後に残された彼は、呆然とした。




謎の男が立ち去った後、彼は機密データにアクセスした。


それは驚くべきものだった。




全人類のすべての個人情報が収録されていた。また、仮想空間上にもう1つの地球が作られており、そこに現人類のすべてのデータが再現されていた。個人の行動は、人工知能で予測されていた。そう、このシステムは今だ機能していたのだ。




彼は、自身と家族のデータを探した。


驚くべき真実が浮かび上がってきた。改ざんされた記憶により、家族はみな交通事故で亡くなったと思い込まされていた。だが、実態は全く異なる。




父は世界最高レベルのIT企業の研究責任者だった。母は、元同僚であり結婚後退職し、主婦をしていた。姉は中学生で、彼は幼児だった。




父は非人道的な監視システムの内部告発を行った。それにより、会社と繋がる諜報機関から精神工学兵器と、指向性エネルギー兵器による拷問を受けていた。母も姉も同じだった。




父はある日、肉体を遠隔操作され遺書を無理やり書かされ、電車に飛び込んだ。母は、それを読まされた後、同日家の中で首を吊った。姉は、翌日学校で精神工学兵器に操られ、屋上から飛び降りた。その横に置かれていた遺書も、同様に肉体を操られ書かされたものだった。母と姉の臓器は、闇市場で転売されていた。




一人残された彼は、まだ幼かった。


彼は母と共に死んだことにされ、地下施設に転売された。


そして、偽りの記憶を埋め込まれた後、奴隷としての生活を始めた。


全てを知った、例えようのない憤りがこみあげてきた。




彼は、このシステムがまだ生きていることを知った。地球上のどの人間でも、遠隔から暗殺出き、その行動をプログラムすることが出来る。好奇心が抑えきれずに、彼は1人の女性にそのプログラムを使用した。現実の人間が、ゲームの様に自在に操れた。




プログラムを停止した途端、その女性は泣き崩れた。不思議と罪悪感はわかなかった。それはまるでゲームであり、とても現実とは認識できなかったのだ。だが、工場で過ごした日々を思い出しぞっとした。肉体を操られ、単純作業を行っていたかつての自分…人工知能により、自動操縦されていたと気付いた。




世界中の人間の脳と肉体が人工知能に繋げられ、自動的に人生を管理され、一部の人間がそれと別に個人の人生をゲームの様に操っていたのだ。




「何故、あの人は、このプログラムを完全に破壊しないのだろう。」


素朴な疑問が沸いた、謎の男は新たに世界征服を狙っているのだろうか。




彼は、そのシステムをくまなく調べた。


隠されてきた歴史、世界の本当の歴史を知った。


全ては嘘により、改ざんされていたのだ。






季節が変わり、涼しくなってきたある日。


別荘で食事をとっていると、小型飛行機の音が聞こえた。


しばらくすると、その男が部屋に入ってきた。


2人は、色々話した。




「君はこのシステムの全容を知った様だね。」


「何故、未だこのシステムは生きているのですか?」


「君自身に選択させるために、時間を置いたのだよ。」


「…??」


「君はこのシステムを残すべきだと思うかね?」


「いいえ、破壊するべきです。」


「そうか、なら破壊しよう。」




あっけにとられる彼の肩に手を置き、男は笑った。


そして、二人は例の隠し部屋に入り、義眼を使いシステムを起動させた。




「パスワードを入力した。あとは、これを押すだけで、このシステムは完全に破壊される。君が押したまえ。」




彼は驚いた。手に取ったマウスが震える。


何故、ぼくなのだろう。本当に、これで止まるのだろうか…。様々な疑問や疑惑が渦巻く中、彼は世界支配システムの自己破壊プログラムを実行した。




数秒後、部屋全てが真っ暗になり、再び明かりがついた。


「君は文明をリセットしたのだ。」


男は微笑を浮かべ、再び彼を見た。




男は、義眼を手に取り強く握りしめた。


それは粉々に砕け、床に破片が散らばった。




「君がもしこのシステムの続行を望めば、私は続けさせていた。誰よりもこのシステムの負の側面を知る君に選択させたかった。」




彼は呆然とした。


「君の父上が残した、もう1つの遺産がある。新たな文明の種子だ。そのプロトタイプが仮想空間上に再現され保存されている。現人類でも維持可能な、自然と調和した文明の雛型…君には、これの完成作業も手伝ってもらいたい。」




その男は、言葉をつづけた。




「文明がたった今、リセットされた。」


「人々はいまだ暗闇の中にいる。いずれは彼ら自身が、新たな文明を築くべきだが、そのつなぎとして君の父上が残した、自然と調和した循環可能な新たな文明を世界に広げる。これをその後どう変えていくかは、それぞれの民に委ねる。」




「そんなことをして、人々の暮らしを変えてしまっていいのでしょうか?」


彼は、思わず言葉を発した。




「誰かがやらなければならなかった。私が動かなければ、人類の脳は人工知能に繋げられたままであり、君の見ていた世界も灰色のままだった。君はあの世界に戻りたいかね? 最も、すでに戻ることは出来なくなったが。」




その男は笑って、彼の肩を叩いた。


「乾杯しよう。新たなる世界の幕開けだ。」


「乾杯って何ですか?」


地下強制労働所で生活していた彼は、お酒を知らなかった。




その男は彼を引き連れ、別荘の外に出た。


別荘の外に出ると、多くの見知らぬ人々が集まっていた。


「みな、君の選択を待っていたんだ。」


「さあ、乾杯しよう!」


「乾杯!」




大勢の人々の喜びの声が溢れた。


空を見上げると、満天の星空、焚火を囲い、


宴は朝まで続いた。




初めての酒を飲みながら、彼だけはどこか冷静だった。


星を眺めながら、今はなき家族のことを思い出していた。


「ぼくの選択は、間違ってなかったよね。」


星座の1つが家族に見えた、それは微笑んでいる様に見えた。




さわやかな夜風と歓声の中、彼は眠りについた。

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