第41話 闇夜切り裂く明けの剣
赤ん坊は両手を勢いよくぶつけてきた。地面が割られ、ささくれ立つ。
「あれ?」
今ので俺を潰したと思ったのか、泥や草がこびり付くだけで何もない掌を見、首を傾げている。
「どこを見ている。俺はここだ」
近くの針葉樹のてっぺんに立ち、赤ん坊に手招きした。
「うううう! お前、生意気!!」
ドスドス! と地響きを立てて走ってくる。右手を振り上げ、俺が立つ樹木を荒々しく掴んで根こそぎ引っこ抜く。
「死、ね!!」
木を振りかぶって地面へ叩きつけた。
……単純なパワーは並みか。スピードも遅い。僧侶と神を退けられるほどじゃない。
「い、いない」
あまりの破壊力で破裂した枝先に何もない事に気づき、またキョロキョロと周囲を見始める。
「ッッッ! ムカつく! お前、嫌い!!」
駄々っ子のように(実際そう言う年頃の見た目だが)ぐずり出す赤ん坊。すると、その身体から真っ黒な影が次々と生み出され始めた。
やはり本命はこの能力だろう。影を生成し、襲わせる。だがこれも驚異的だが、恐るべきものではなかった。
「ハクア! そいつらは気にするな! あたしたちが食い止めるからね!」
「ハクアさんは迷わず、奴をお願いします!!」
方々へ散ろうとした影が眩い光の壁に阻まれ、撃ち落とされた。カナタとお婆さんが手を掲げ、結界のようなものを作り出している。
「お、オマエラァ!!」
二人をギッと睨むが、俺は奴の目の前に移動。
「おい。お前の相手は俺だって――」
鼻っ柱へ拳を叩き込む。
「グギィ!?」
「言ってんだろうが」
巨体が、吹き飛ぶ。木々をなぎ倒し、山の斜面を削りながら転げ落ちていった。
「オギャアアアアアアア―――!!」
絶叫が迸る。舞い上がる砂煙の向こうからどす黒いオーラが飛び出し、殺到してきた。
一目見ただけで分かる。トップレベルの呪詛が籠っていた。
「それに触れちゃいかん!! 奴が取り込み、濃縮してきた犠牲者たちの怨念の呪いだ!」
真髄はこれか……。
食らった命を使役――アースシアでも似たようなのを見ている。
そしてその対処法も、知っている。
「ハクア!」
お婆さんが叫ぶが、もう既にそれは俺の右手に絡み付いていた。その瞬間、物凄い感情が溢れてくる。
怒り、悲しみ、怨嗟、悲哀、憎悪……口減らしに間引かれた子供たちと、姥捨て山に取り残されてきた老人たちのやり場のない思い。
分かってやれるなんて、言えない。あまりにも無責任だ。
でも、せめて解き放とう。こんな穢れた妖怪の中に囚われていて、良いわけがない。
「大丈夫。全部、受け止めるから」
その呪いを抱き締める。彼らは消してはならない。救うべきものだから。
「お、おお……信じられん……あれだけの憎悪を受けているのに……」
俺は受け止め続けた。奴から放出される全ての念をこの身体に取り込むまで。
スキル耐性は切っている。そんなものに頼るような程度では、この思いを晴らす事なんて不可能だ。
食われた者たちの記憶が幾重にも重なり、見える。
母親に殺される少年。どうして、と繰り返し見上げる母の顔も涙で濡れていた。
自分の父親を山に捨てる青年。青年は不甲斐なさをひたすら謝り、父親はそれを笑って許していた。
厄災を封じるために命を捨てて、立ち向かう僧侶たち。
故郷の家族や、想い人の平安を願い、散っていく。不安に揺れる村人たちを救うために。見知らぬ家族の笑顔を守るために。
どれもこれも、たまらなくやるせなくて……悲しかった。
無力だった時の自分が味わった地獄だった。
「ウフフフ、オデの力、思い知ったかバーカ! 死んじゃえ、お前も食ってやる! 食ってやるぞぉおおおおおお!!」
……だから強くなった。
もう誰も泣かせないように。
もう誰も悲しませないように。
全てを、護れるように。
俺は、勇者になった。
「全部、持っていくぞ」
「え、な、な、オデの、力が、抜けていく!?」
奪い取る。奴の身体にある全ての呪いを、余す事無く。
「お前、お前!! 何をしたぁあああああ⁉」
憤怒の形相で赤ん坊が山を駆け上ってきた。
「返ッせ!!」
剛腕が振るわれる。俺が避けると、背後にあった山の山頂が奴の一撃で消し飛んでいった。源を奪われてもなお、圧倒的なパワーは残っている。
「人間め、人間め、人間め!! オデに餌を与えておいて、オデを封印しやがって! あの土地はオデのもの!! 後から来た人間、オデに敬意を払う! 当然!!」
何度も、何度も拳を振るう。
正に赤子だ。自分の思い通りにならなくて暴れるだけの、小さな存在。
コイツには母親がいないかったんだろう。最初からなのか、それとも消えてしまったのか。
「オデは! オデは!! ここの主だぞ!! 人間がオデの住処を荒らした!! オデの山で老人を殺し!! オデの水場で子供を殺して水に沈めた!! だからオデはその魂、食っただけ!! 何も悪くない、オデは何も!!」
渾身の力で放たれたパンチ。俺はそれを、人差し指で止めた。
「確かにここの人間たちも悪かったと思うよ。でもお前もダメだ。元々お前は人を食う存在だったろう」
そこに口減らしが始まってコイツは力を付けていっただけで、生来より人を襲う存在でしかなかった。
「人間はオデの餌! 人間だって家畜を食う! それの何が悪い!?」
「だからお前は俺に倒される」
かける情けはない。あの迷惑系と同じで。
「死ぬのは、お前!!」
赤ん坊が飛び掛かってくる。両手を突き出し、血走った目で俺を睨みつけて。
「――さよならだ。名もなき厄災」
俺はスオウとトキワを神速で抜き放つ。紅と翠の閃光が刹那迸り、空間を眩く灼く。
「
数秒遅れて遅れてドォン――と残響が轟いた。赤ん坊の真後ろの黒雲に二条の切れ間が生まれ、ゆっくりと割かれていく。
その向こうから差し込むのは夜明けの光。明るいオレンジの光が闇に包まれた町に差し込んでいった。
朝日に満ち溢れる世界の中で、手を伸ばしたままの姿勢で微動だにしない赤子。その身体に筋が横へ走っていく。
頭と胴体に刻まれていき、やがて肉体がずるりと落ちた。バラバラになった全身は落ちながら光の中へ溶け消えていく。
表情は最後まで何が起きたのか、理解できないように呆けている。
しかしその顔もすぐに細かい粒子となって消滅し……俺は刀を鞘に納めた。
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