第1章 異世界転生と新たな職場

目を覚ました瞬間、俺は強い違和感を覚えた。まず感じたのは、頭に重くのしかかる不快な圧迫感。次に、聞きなれない鳥の声と木々のざわめきが耳に飛び込んできた。


「ここ……どこだ?」


俺はベッドに横たわったまま、天井を見上げた。木の梁がむき出しの天井で、安いアパートに住んでいた俺が見慣れていた天井とは全く違う。次に目に入ったのは、窓から差し込む自然光。どうやら朝のようだが、外の景色は青々と茂る森が広がっている。俺が知っているどの場所とも違う。


確か、昨日の夜は仕事で遅くなって、いつも通り疲れて帰宅したはずだ。だが、あの瞬間の記憶が薄れている……。たしか、横断歩道を渡っていた時に、何かが――


「……あっ!」


その瞬間、体がガバッと起き上がる。そうだ、トラックが俺に突っ込んできたんだ。目の前に突如現れたその車を避けることもできず、衝撃が走ったのを覚えている。そして、その後のことは――


「死んだのか、俺?」


死後の世界か何かか? だが、天国や地獄といった宗教的なイメージは全くない。むしろ、この景色は現実的で、何とも言えない生活感がある。ふと、自分の手を見る。普通に動くし、痛みも疲労も感じない。自分の体は、あの事故の影響を全く感じさせない。


「ここは一体……?」


俺はベッドから起き上がり、周囲を見回した。部屋はどこか中世ヨーロッパの田舎町を思わせるような造りで、シンプルな木製の家具が整然と並んでいる。窓の外には遠くに緑豊かな森が広がり、鳥のさえずりが聞こえてくる。


混乱しながらも、俺はとりあえず部屋の出口に向かった。そこにかかっていた鏡を見て、自分の姿を確認する。鏡に映るのは間違いなく俺――だが、身に着けている服が奇妙だ。普段のスーツやカジュアルな服ではなく、まるで映画の中の騎士や冒険者が着ていそうな、古めかしい服だ。


「これは……どういうことだ?」


いろいろと考えが頭を巡る中、ノックの音が響いた。


「お目覚めですか、新藤様」


ドアの向こうから聞こえたのは女性の声だった。ドアを開けると、そこには金髪の女性が立っていた。彼女は穏やかな笑顔を浮かべ、やわらかなドレスを身にまとっている。目の前に立つ彼女は、現実世界では考えられないほど美しく、どこか異世界的な魅力を放っていた。


「……おはようございます。ここはどこですか?」


俺はまだ状況がつかめず、何をどう聞けばいいのかもわからないまま、彼女に尋ねた。彼女は軽く頭を下げてから口を開いた。


「ここは『マギテック社』の社内施設です。あなたは先日お越しになり、本日より当社にて魔法開発課の主任としてご勤務いただくことになっております。」


「……魔法開発課? 主任?」


俺は聞き慣れない単語の羅列に、完全に頭が混乱した。魔法? 開発課? しかも主任? 俺はただのサラリーマンで、魔法なんて一度も使ったことはない。それに、どうしていきなり主任なんだ?


「新藤様は、当社におけるマネジメントの経験を活かし、魔法技術者たちを取りまとめる役割を担っていただきます。魔法の知識がなくとも、ビジネスマンとしてのスキルがあれば十分に対応できるはずです。」


俺は彼女の説明を聞いても、なお状況が把握できていない。だが、少しずつ自分が置かれている立場が見えてきた。どうやらここは、異世界の企業のようだ。そして俺は、どういうわけかその企業でいきなり主任として働くことになっているらしい。


「でも……俺、魔法なんて使えないぞ?」


「ご心配には及びません。主任の役割は魔法を使うことではなく、技術者たちの業務をサポートし、プロジェクトの進行を管理することです。あなたの管理能力や交渉術が、当社にとって非常に重要なのです。」


俺はその言葉を聞いて、ようやく少し納得した。確かに、現実世界でも俺はプロジェクトマネージャーのような役割を担っていた。魔法が絡むとはいえ、やること自体は変わらないかもしれない。むしろ、ここで失敗すれば、今後どうなるかわからない。


「……わかった。とりあえず、やってみるか」


俺は一度大きく息を吸い込んで、覚悟を決めた。混乱はまだ残っているが、仕事となれば逃げられない。サラリーマンとして、やるべきことをやるしかない。


彼女に案内されながら、俺は建物の中を進んでいった。廊下の両側には重厚な木製のドアが並び、壁には奇妙な文字が刻まれた魔法のような光るプレートが飾られている。まるで中世の城と近未来のテクノロジーが混ざり合ったような雰囲気だ。


「ここがマギテック社の本社ビルでございます。主に魔法技術の開発と、世界各地の顧客との取引を行っております。新藤様には、魔法開発課で新しいプロジェクトを管理していただきます。」


「魔法技術……ね。俺にはまだ魔法のことがよく分からないけど、そんな俺が本当に大丈夫か?」


正直、俺は魔法がどういうものなのか全く分かっていない。現実世界ではファンタジー小説やゲームでしか知らないものが、今目の前にある。しかも、それを「技術」として扱っているこの世界では、魔法が科学のように普及しているらしい。


「問題ありません。新藤様の役割は、技術者たちが進めるプロジェクトの進行を管理することです。魔法自体を使うことは技術者に任せてください。貴方は管理と交渉に専念していただければ十分です。」


彼女の説明を聞き、俺は少しだけホッとした。魔法の知識がなくても、ビジネスマンとしてのスキルが求められるなら、これまでの経験が役に立つかもしれない。自分が魔法を使わないのは不安だが、チームを管理するだけなら、できることはありそうだ。


「それなら……頑張ってみるか」


俺は深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。どんな仕事であれ、やるしかないのだ。異世界に来て突然のことばかりだが、これまでのサラリーマンとしての経験を活かせるなら、少しは役に立つだろう。


やがて俺たちは、広々としたオフィススペースに到着した。ここが「魔法開発課」のオフィスらしい。デスクが整然と並び、その上にはさまざまな奇妙な道具や書類が置かれている。中には浮遊する魔法陣や、光の粒が踊るように動く装置があり、まるでSF映画のセットのような光景だ。


「こちらが魔法開発課のオフィスです。新藤様のデスクは向こう側にございます。」


彼女に案内されながら、俺は部屋の中を歩いた。多くの社員たちが忙しそうに働いているが、その服装もまた異様だ。現代のビジネスマンが着るスーツとは違い、彼らの多くはローブや魔法使いのような装束を纏っている。そして、その中には、煌めく魔力を操っている者も見受けられる。


俺のデスクはオフィスの奥にあり、そこには「主任 新藤 薫」というプレートが掲げられていた。いきなり「主任」としての肩書が付けられていることに不安を感じつつも、俺は腰を下ろして周囲を観察した。


「主任、さっそくだがプロジェクトの進行について話さないか?」


突然、若い男性の声が背後から聞こえた。振り返ると、長身で黒髪の青年が立っていた。鋭い目つきと、整った顔立ちが印象的だ。彼は軽く頭を下げ、自己紹介を始めた。


「俺はレオナード。魔法開発課の技術リーダーだ。主任の補佐をすることになった。」


「レオナードか……よろしく頼むよ。」


俺は少し緊張しながらも、彼に手を差し出した。レオナードはしっかりと握手を返し、すぐにビジネスライクな態度に切り替わった。


「まずは現在進行中のプロジェクトについて説明しよう。現在、冒険者ギルドから依頼されている新型魔法武器『マナブレード』の開発がメインのプロジェクトだ。しかし、いくつかの問題が発生していて、進行が遅れている。」


「遅れてる? どういう問題だ?」


俺はプロジェクトマネージャーとしての本能で、すぐに問題の核心に迫った。開発が遅れる理由はどの業界でも同じだが、解決策を見つけることが重要だ。


「最大の問題は、必要な素材の調達だ。『エレメンタルコア』という魔法のエネルギー源が必要なのだが、最近市場からほとんど入手できなくなっている。価格も急上昇していて、予算内で調達するのが困難な状況だ。」


「エレメンタルコア……。その素材がないと、プロジェクトは進まないってことか?」


「そうだ。マナブレードは、そのコアを動力源として動く特殊な武器だ。これがなければ、完成は難しい。」


俺は腕を組んで考えた。素材の不足とコストの問題は、どこの業界でもよくある課題だ。だが、対処の仕方次第で解決できる問題だ。


「なるほど。まずは他の調達ルートを探す必要があるな。それと、冒険者ギルドとの契約も見直した方がいいかもしれない。価格が上がっているなら、追加の予算をギルドと交渉して確保することも考えられる。」


「追加予算の交渉……だと? そんなことができるのか?」


レオナードは驚いた表情を見せた。どうやら、この世界では交渉や契約の柔軟性があまり認識されていないようだ。だが、現実世界では常識だ。価格が変動すれば、契約条件を見直すのは当然のことだ。


「もちろんだ。おそらくギルドもプロジェクトが遅れることは避けたいはずだ。少しの追加費用で解決できるなら、彼らにとってもメリットになる。」


俺の提案にレオナードはしばし考え込み、やがて小さく頷いた。


「なるほど……。確かにそれなら、ギルドも納得するかもしれないな。」


俺たちは握手を交わし、プロジェクトの具体的な進行計画を話し合った。魔法が使えなくても、こうしたビジネスの基本的な部分は変わらない。問題があれば解決策を見つけ、関係者との調整を行う――それがプロジェクトマネージャーの仕事だ。


会議が終わり、レナードは開発技術の仕事に向かった。俺はようやくデスクに腰を落ち着けた。異世界に転生して初日だというのに、すでに多くのことが頭の中を駆け巡っている。だが、妙な達成感があった。現実と同じように、ビジネスの世界で自分の役割を果たしていることが、少しだけ安心感を与えてくれる。


「主任、早速大変ですね。」


ふいに後ろから女性の声が聞こえた。振り返ると、若い女性社員が微笑んで立っていた。彼女は可愛らしい顔立ちで、青髪が印象的だ。


「私はリーフィアです。魔法開発課で補助業務をしています。何かあればいつでも声をかけてくださいね。」


「リーフィアか。ありがとう、助かるよ。」


俺は微笑み返し、彼女に礼を言った。こうして少しずつ、この世界での仕事に慣れていく必要がある。そして、もっと多くのことを学ばなければならない。


俺はデスクに腰を落ち着け、目の前に並べられた書類を眺めた。魔法道具や技術の開発に関する詳細なデータだが、正直に言って初見では意味がよく分からない。異世界の技術、ましてや魔法に関する内容を理解するには時間がかかりそうだ。


「この書類の中に、エレメンタルコアの供給状況に関するデータも含まれているのか?」


俺はリーフィアに尋ねた。彼女はにこりと微笑んで頷くと、書類の山の中から数枚を抜き取って渡してくれた。


「はい、こちらにエレメンタルコアの入手難易度と、代替素材の提案が記載されています。」


「なるほど……代替素材か。」


俺は書類をめくりながら、エレメンタルコアの不足がどれほど深刻なのかを確認した。どうやら、魔法技術の要となるこのコアは、特定の地域でしか採掘できないらしい。その上、最近ではその地域の地形変動や、周囲の魔物の増加によって採掘がほぼ不可能になっている。


「これは厄介だな……」


俺は眉をひそめながらつぶやいた。供給不足が一時的なものではなく、長期的な問題であることが明らかになった。これでは、供給を待っていても解決しない。今すぐにでも代替素材を調達する必要がある。


「主任、もしよければ、私が代替素材の調査を進めてみますか?」


リーフィアがそう提案してくる。彼女の積極的な姿勢に感謝しつつも、俺は首を横に振った。


「ありがとう。でも、まずは俺がこのデータをもう少し確認して、状況を把握してからにしよう。それに、代替素材が使えるかどうかも慎重に判断しなければならない。」


リーフィアは少し残念そうな顔をしたが、すぐに微笑んで頷いた。


「分かりました。それでは、何か分からないことがあれば、いつでもお知らせください。」


彼女は軽く頭を下げて去っていった。俺は彼女が去った後、再びデスクに視線を戻した。異世界での仕事は、これまでの経験とは異なる部分が多いが、問題解決の基本は同じだ。まずは情報を集め、状況を分析し、次に取るべき行動を考える。


「エレメンタルコアがないなら、どうにかして代替素材を見つけるしかないな……」


そうつぶやきながら、俺は書類に目を通し続けた。だが、ふと気づくと、周囲のざわめきが次第に大きくなっている。俺は顔を上げて周りを見回した。


「何かあったのか?」


社員たちが集まって話している様子が見えた。俺は椅子を立ち、そちらに向かう。


「どうしたんだ?」


近くにいた社員の一人に声をかけると、彼は困惑した顔で俺に答えた。


「主任、大変です。急に魔族の商会から連絡がありました。どうやら、エレメンタルコアの市場価格がさらに高騰しているらしく……」


「さらに高騰?」


俺は驚いて問い返した。すでに価格が高騰しているというのに、これ以上値が上がるというのか?


「ええ、どうやら魔族側でも需要が急増しているようです。しかも、供給元との独占契約を結ぼうとしているという情報もありました。」


魔族……異世界の住人であることは分かっているが、商会との交渉が絡んでくるとなると、一筋縄ではいかない相手だろう。魔族は、強大な力を持つと同時に、狡猾でビジネスの場でも抜け目がないと聞いている。


「となると、こちらも早急に対応を考えなければならないな。」


俺はすぐに頭を切り替えた。状況が悪化している以上、こちらから積極的に動かないと、手遅れになるかもしれない。さらに、この世界では、魔族が相手になると厄介なことが増える。


「魔族商会と交渉できる担当者はいるか?」


「それが……レオナードさんが今、別の案件で手一杯でして……」


そうか、レオナードは技術面に集中しているのか。そうなると、俺がこの交渉に出るしかなさそうだ。異世界での商談は初めてだが、これまでのビジネス経験を信じて進むしかない。


「よし、俺が直接交渉してみる。魔族相手に勝手な取引をさせるわけにはいかない。」


俺はそう宣言し、社員たちに指示を出して情報を集めさせた。魔族商会との交渉は危険を伴うが、ここで流れを変えなければ、プロジェクト自体が頓挫する可能性がある。やるしかない。


その日の午後、俺は指定された会議室に向かっていた。魔族商会とのオンライン交渉――いや、魔法の通信手段を使っての交渉になるという説明を受け、準備を進めてきた。異世界でも商談の基本は変わらないはずだ。相手の要求を見極め、こちらの条件を突きつけて妥協点を探る。それがビジネス交渉の鉄則だ。


会議室に入ると、部屋の中央に設置された水晶のような装置が淡い光を放っていた。この水晶が、魔法を使った通信装置らしい。これで、遠く離れた魔族商会の代表者と交渉ができるのだという。


「新藤主任、準備は整いました。魔族商会の代表、リリス・ダークハート様がまもなく接続されます。」


リーフィアが説明してくれる。どうやら魔族商会の代表は、リリス・ダークハートという名の女性らしい。名前からして、かなり強そうな印象を受けるが、交渉で負けるわけにはいかない。


「ありがとう。さっそく始めよう。」


俺は深呼吸し、水晶の前に立った。リーフィアが魔法陣を描き始めると、やがて水晶の中に映像が映し出された。そこには、銀髪に赤い瞳を持つ美しい女性が映っている。彼女の瞳には、まるで全てを見透かすような冷徹さが宿っていた。


「初めまして、マギテック社の新藤と申します。貴女がリリス・ダークハート様ですね?」


俺はなるべく冷静に話しかけたが、相手の存在感に圧倒されそうになる。リリスは軽く頷き、冷たい声で返答してきた。


「ええ、私はリリス・ダークハート。魔族商会の代表よ。で、マギテック社の新しい担当者が出てくるとは……少し驚いたわ。」


彼女の声には軽い皮肉が込められていた。どうやらこちらの動きを把握しているらしい。それでも、俺は表情を崩さずに続けた。


「貴社がエレメンタルコアの供給を独占しようとしていると聞いています。私どももその素材を必要としています。そちらの動向について、少しお話を伺いたいと思いまして。」


俺の言葉に対し、リリス・ダークハートは一瞬黙り込んだかと思うと、薄く笑みを浮かべた。その冷徹な笑顔には、相手の手の内をすべて見透かしたような余裕が感じられる。


「なるほど。マギテック社もエレメンタルコアを求めているのね。私たち魔族商会が供給を独占しようとしていることを、そう簡単に阻止できるとお思いかしら?」


彼女の言葉には挑発的な響きがあった。だが、ここで動揺してはならない。相手が優位に立とうとするのは交渉の基本戦略だ。まずはこちらも冷静さを保ち、相手のペースに飲み込まれないようにしなければならない。


「もちろん、貴社がこの素材を求める理由は理解しています。しかし、私たちマギテック社もまた重要なプロジェクトを進めており、この素材が不可欠です。そこで、双方に利益のある形で取引ができればと考えています。」


俺はできる限り冷静で、丁寧な口調を心がけた。ビジネスの場では、相手に対して敬意を示しながらも、自分の立場を譲らないことが大切だ。リリスは俺の言葉に耳を傾けているようだったが、その瞳にはまだ冷たい光が宿っている。


「取引? それは興味深い提案ね。でも、こちらとしては既に市場の大半を押さえた状態よ。わざわざ競合相手と共有する必要がどこにあるかしら?」


鋭い返答。確かに、魔族商会にとっては、エレメンタルコアを独占することで市場での支配力を強める戦略があるのだろう。だが、ここで諦めるわけにはいかない。俺たちにも交渉材料があるはずだ。


「確かに、貴社が市場を独占することで短期的には利益を得ることができるでしょう。しかし、長期的に見れば市場の多様性を損ねることになりませんか? 私たちと協力すれば、貴社の技術力とマギテック社の市場網を組み合わせて、さらなる拡大が可能になると思いますが。」


俺は慎重に言葉を選び、リリスに提案を投げかけた。これはいわば協力を求める申し出だ。市場を支配することも一つの戦略だが、協力することでより大きな利益を生む可能性を示すのが俺の狙いだった。


リリスは少しだけ目を細め、興味深そうに俺を見つめた。


「市場網の拡大……ね。貴社がどれほどの価値を提供できるのか、正直まだ分からないけれど、確かに面白い視点かもしれないわ。」


彼女は腕を組み、考え込んでいるようだった。このまま押し切れるかもしれない。俺はさらに話を続ける。


「私たちマギテック社は、現在多くの冒険者ギルドや貴族との契約を結んでいます。エレメンタルコアを用いた新しい魔法道具を共同開発することで、双方の技術力を強化し、新しい市場を開拓することができると考えています。それに、貴社が独占することで他の市場参加者が敵対的な動きを見せる可能性もあります。ここで手を組むことで、双方のリスクを軽減できるのではないでしょうか?」


リリスは俺の言葉に耳を傾けていたが、まだ何かを考え込んでいる様子だ。だが、少しずつ交渉の流れがこちらに傾きつつあるのを感じた。相手に利益を提示し、それが彼らにとってどれほど魅力的かを示すことが、交渉の鍵となる。


「……ふむ、なるほどね。リスクの軽減と利益の共有か。確かに一理あるわ。でも、貴方が言う『共同開発』がどれほどの成果を上げるかは未知数よ。それに、我々魔族は非常に誇り高い種族。そう簡単に他者との協力を受け入れるわけではないわ。」


リリスは俺の提案をある程度評価しているようだが、完全に納得しているわけではない。彼女の背後には、魔族の誇りや文化があり、それを軽んじることはできない。ここが交渉の難しいところだ。


「もちろん、貴社の誇りを尊重し、こちらも最大限の敬意を持って協力を進めたいと思っています。何よりも、両社が強力なパートナーシップを築ければ、さらなる飛躍が期待できるでしょう。」


俺は最後の一押しを試みた。誇り高い相手に対しては、敬意を示しつつ、相手にとっても価値のある提案を提示することが重要だ。リリスはしばらく沈黙した後、再び薄く笑った。


「ふふ……貴方、なかなかやるわね。面白い提案だわ。貴方の言う通り、単独で市場を支配するのもリスクがあるかもしれない。でも、我々が貴社と手を組むことで得られる利益が本当にあるのか、もう少し考えさせてもらうわ。」


リリスはそう言って、微笑んだまま俺を見つめ続けた。どうやら、交渉はひとまず成立しそうだが、まだ完全にこちらに引き込めたわけではない。彼女が「もう少し考える」と言っている以上、次の一手をしっかりと準備しておく必要があるだろう。


「ありがとうございます、リリス様。ご検討いただけるとのことで感謝いたします。引き続き、貴社にとっても有益な提案をお持ちできるよう努力します。」


俺は最後に深く礼をし、通信が途切れるのを待った。リリスの姿が水晶の中から消え、会議室は静けさを取り戻した。


「ふぅ……」


俺は大きく息を吐き出した。魔族との初めての交渉は想像以上に緊張感があった。リリス・ダークハートという人物の圧倒的な存在感に飲まれそうになったが、なんとかこちらの提案を聞き入れてもらうことができた。だが、これで終わりではない。まだリリスの決断を待つ必要があるし、今後も彼女との交渉は続くだろう。


「主任、お疲れ様でした。」


リーフィアが声をかけてくれた。彼女は俺の交渉の様子を見守っていたようで、少し心配そうな顔をしている。


「ありがとう。なんとか交渉の糸口は掴めたけど、まだ安心できる状況じゃないな。」


「そうですね。リリス様は厳しいお方ですが、今回の交渉で彼女が少しでも興味を持ってくれたなら、次に繋がる可能性は高いと思います。」


リーフィアの言葉に少し勇気づけられた。確かに、最初の交渉は成功したといえるだろう。次は具体的な提案をどう組み立てるかが重要だ。


「よし、とりあえず次の提案を考えつつ、今回の進展を報告しよう。」


俺は再びデスクに戻り、報告書の準備を始めた。異世界での仕事はまだ始まったばかりだが、この調子で一つ一つクリアしていけば、きっと道は開けるはずだ。

 

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