第20話 ウサギの涙
飲み込んだ神様(仮)が人間でいうお腹のあたりで暴れているのを感じる。まるでお腹を下しているみたいな感覚で、私は無意識にお腹をさすっていた。
「ごめんなさぁぁぁい」
聞きなれた声が聞こえ、私はどちらの姿で彼女の前に現れるのが最善か悩んでしまった。今この場所は私の意識でどうにでも変えられる空間になっている。
それならもう一度ウサギと一緒にお茶をしたかったから、喫茶店にしてもいいかもしれない。
「九条さん、ごめんなさい。私が貴方の心をくみ取ってあげられなくて」
黒いモヤモヤしたものが外れた九条さんは変わらない魂の輝きをしていたので一安心だ。神様の咎落ちの気に汚されたら普通正気じゃいられないはずなのに。
神様の近くにいることを許されていた魂だから、普通とは少し違うのかもしれない。
元々私が人間に憧れてここを離れようと思わなければ今回のようなことは起こらずに済んだんだ。
人間らしく生きることも出来ない私は、完全に人間になれた気はしなかったけど、大切な人にどう接すればいいか分かった気がした。
「うわぁぁぁぁぁぁ」
「泣いてばかりじゃ、分かりませんよ」
私は九条の前にしゃがみこみ、袖で涙を拭う。
すると、九条の涙はピタッと止まった。
「駄目です。神様の服が汚れてしまいます」
涙を拭いた袖に手を伸ばそうとして固まる九条。自分の涙で汚してしまったと思っているのだろう。
「大丈夫よ。私の空間だもの。……だから最期に私の我儘を聞いてくれない?」
パチンと指を鳴らし、私は喫茶店の空間を作り出した。私にとって大好きだった場所は、もう二度といけない場所で、九条が生まれ変わったとしてもたどり着けるか分からない場所。
「少しだけ、お話をしましょう?好きな物を念じれば出てくるわ」
太陽もない空間だけど窓辺には太陽の日差しがさしており、店内は主に木製でテーブルは五個くらいしかない小さな喫茶店。
置いてある観葉植物も私が覚えているものからしか表現できないから、少し歪な形の者かもしれない。
「ぐえ、神様は優しすぎます。わたしは神様が好きだった魂に手を出そうとしたんですよ」
小さな喫茶店の中心にある椅子に座る私。向いの席に座ろうとせずにまた泣き出す九条。
私がイジメているようではないか。
人でいたはずなのに気持ちが分からなかったから、こんな時間を設けてしまった。
本来なら、記憶が曖昧なうちに輪廻転生に九条も乗せてしまえばよかったのかもしれない。
「九条さん、話せる機会がもうないから神様の我儘に付き合って」
幼子に言い聞かせるように伝えると、何かを察したのか真顔に戻る。
「どうしてですか。わたしは神様が大好きです」
「ありがとう。今回事件を起こしかけたから次何か起こしたら私は消えるの。それと大切にし過ぎている魂が近くにあると判断が狂うから、私の元にはもう来ないと思うわ。……彼も同じ理由で」
「わたしが全部悪いじゃないですか」
聞き分けの良い九条は、私の向かいの椅子に座ってくれた。私は生前気に入っていたメロンフロートを作り出す。アイスとソーダが絡まったところの触感が何とも言えなくて、私は大好きだった。
九条は机にうつぶせになり、ブツブツ何かを言っている。
人間の世界に干渉すること自体ご法度なのだ。今回の特例の方が難しい。
咎落ちさせた罰で、私の中で浄化させるという手段をとっている。この穢れが私の身を蝕んでいけば共倒れになる。神様の代替わりはないわけではない。
変わるかどうかの瀬戸際に、私がいるのだ。
それが私の罰。存在を許されるかどうかとても楽しみだ。
「九条さんはとても優しい。これから素敵な人生を歩めるわ。私が保証する」
「そこに神様がいないじゃないですか。それならわたし、輪廻転生しなくていいからウサギに戻りたい」
「それはできないわ」
何が飲みたいのか分からなかったので、九条の分も勝手に念じて出す。
アイスの抹茶ラテのグラスは冷たいのが見て分かるようになっていて、汗をかいている。早く飲まないと美味しさが無くなってしまう。
「ウサギとして存在していたけど、元々輪廻転生から勝手に外れていた魂でしょう?それがちゃんと戻ったのだから二度目はないわ」
「だって、神様が人間にまでなって手に入れたかったものを、手に入れられたんですか!!」
顔をあげた九条。目が真っ赤になっている。
つぶらな瞳は人間だった頃にはあまり見られなかったなと、再確認した。生きていたしがらみは思っていたよりも大きかったのかもしれない。
一口、メロンフロートを口にする。シュワシュワと口の中で炭酸がはじける。
新しい魂の導きをするまでの時間、こうしてのんびりしていたら流石に怒られるかしら。
「私が知りたかったのは、誰かを愛するキッカケがなんなのか知りたかったの」
愛していると囁く魂。結局は惹かれ合う気持ちを言葉に表せられるはずなくて、ただ本能が求めあうとでも言えばいいのかな。
明確な定義も瞬間も見つけられなかった。藍那でいたときに恋をしなかったのが原因かもしれない。家族愛は理解することができたから、家族には感謝している。
「誰かを好きになりたかったんですか??」
首を傾げる姿が、ウサギに見えたので、私は口元を抑える。
チラッと目の前にある抹茶ラテと私のフロートとを見比べる。
同じものの方がよかったかしら?
九条の視線を感じながらも、私はふうと息を吐く。お腹の調子はすこぶる悪い。
穏やかな時間だけど、太陽の日差しが徐々に弱くなっていくような感覚がある。タイムリミットはもうすぐそこだろう。
「ええ。愛を知りたかったの。人はどうして死ぬときになると今まで愛を囁くことをおろそかにしていたのに、急に囁き始めるのか、いざ会えなくなると正直になれるのかを」
一度の人生だけで学べるほど感情は簡単でなくて、自分の本心に気が付くことですら難しいと教えてもらった。
恋に落ちる。
どうして恋をするって言わないときもあるのかなって、本を沢山読んでいたらすごく気になった。
彼がどうして私を好きになったのか。その瞬間がどこだったのか。多くの言葉を交わしていないのに私を好きだと言った変な人。
好きになるところなんて何一つ持ち合わせていない私に対して。
「神様はやっぱり変ですね」
「そりゃぁ、神様ですから」
人間の感覚からは離れている。そうでなければ秩序を守れない。
崩れ落ちることは一瞬で、情に流されないために努力しているの。
「……ありゃ、もう時間ですか?」
窓からの太陽の日が落ちているのに、九条の体がキラキラと光り出した。
折角泣き止んだと思ったのに、また目に涙を浮かべている。
私は立ちあがり、ギュッと九条を抱きしめた。
苦しいのか、腕の中でもぞもぞと九条は首を動かす。
大切なものを沢山もらったはずなのに、最期は何もしてあげられなかった。折角人間として生まれたのに、楽しい時間を過ごすことができたはずなのに、それを奪ってしまった。
そしてもう二度と会うことは叶わなくなってしまった。私の我儘が招いたこと。
「私と出会ってくれてありがとう、九条さん。来世では幸せになってね」
来世は今回のツケを支払わされるかもしれない。それでも魂が穢れてはいないから、どうにかなるだろう。
「ありがとうございます。神様にもう会えなくなるって分かってたら、もっと慎重に動いてたんだけどな……」
九条の呟きに、返事をしようとしたら光は消えてしまった。
体温を感じないはずなのに、腕の中には温もりだけが残っている。
「ごめんね、私が全部悪いんだ。愛を知ることができないのに、我儘を言ったから」
誰にも聞こえないと思っていたら、お腹を思いっきり蹴られた。
一番迷惑をこうむられたと文句言いたいのかしら?
君のせいで人間の時間いっぱい生きられなかったのだから、両成敗くらいじゃないかしら?
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