第10話 私はウサギが好きだったのかもしれない

思い返せば高校生になるまで、私は何となく人と接してきた。

人生八十年というなら、そのうちの十数年をすでに過ごしてしまった事になる。

 誰も予測ができない世界で、子供の時間が二十年くらいあると計算したときは、何か間違っている気がしてしまった。

残り六十年しか時間がない。その間に一体何をすれば充実した人生が歩めたと最期笑えるのか、想像がつかない。


 勉強会の後、いつもと変わらない様子で九条と宮本は接してくれている。ただ、お昼を食べるときの九条が前よりも宮本に近くなっている気がした。

 相変わらず私はその二人の様子を眺めているだけだった。

「恋をして一人の人間を育てて、人間って大変ね」


 机に座って勉強をしていて。私の知りたいことが教科書に載っていない。

恋をする理由がわからない。誰かを好きになりたいのに、好きになることがわからない。

気が付いたら私は恋に落ちていたから、原理は分からないまま。

些細なことを、この場合は恋愛相談を九条にできるわけがない。前に読んだ少女漫画で言うのであれば

「同じ人を好きになってしまった」状況だ。

「どうやったら、三人仲良くなれるのかしら?」」

人の世界に来てみたけれど、性分はなかなか変えられない。

楽しい会話を続けることが苦手だ。私にはわからないのである。


「そうか、しばらく一人でご飯を食べることにしよう」

 思い立ったが吉日というじゃないか。私はその気持ちのままお弁当箱を片手に立ち上がる。特別棟への屋上の入り口が暗黙の集合場所だった。一緒に向かう時もあれば、慣れてきたら別々に行くこともあった。最近は九条が分かりやすく宮本にアピールをしているから私はわざと遅く行くことが増えた。九条は特に何も言ってこないし、宮本は毎日私たちとお昼を取るようになったのが不思議だった。クラスの友達と一緒にいなくてもいいのかなと。


 どうせなら、図書室の近くで食べてそのまま本を読みたいなと思い、いつもと違う角を曲がるとそこには九条よりも背が低く、ふんわりとしている雰囲気のする女の子がいた。

「あれ、珍しい。ここ誰も来なくて好きだったのに。図書室はお昼休みやってないよ。……お弁当箱持っている?アレ?一緒に食べる?」

 見たことの無い、魂の色。ウサギちゃんや彼は私が今まで出会ったことがあった魂だけど、この子は「無垢」だ。なんでも吸収できるスポンジのような子。


 生まれたての赤ちゃんみたいで、生まれたての和義を思い出した。

「一緒に食べる。私、加賀美藍那」

「アタシ、芳田果緒。リボンの色が違うから私先輩なんだよぉ」

「あ、ごめんなさい」

「大丈夫だよ。いつも先輩に見られないからぁ」


 ニッコリとなんでも受け入れてくれそうな包容力がある。どうしてだろう。私のが人生を長く生きていた。色んな魂も見てきた魂の番人になっていた私が心惹かれる魂を持っている人がいるなんて。

 左手で箸を持っていて、ちょいちょいと私に隣に座るように促してくる。

「時間も少なくなっちゃうから早く食べなされ」

「ありがとうございます」


 コソコソと隣に座り、お母さんが作ってくれたお弁当箱を開く。今日はふりかけ付きで、おかずはハンバーグとグラタンが入っていた。芳田が食べていたところに出会ったので彼女は半分くらい食べ終わっていた。

「机があるところで食べないのって、二段のお弁当箱食べにくくない?」

「教室で食べていないの、変に誤解されて心配されるのが怖くて話せないんです」

 この間初めて友達を家に呼んだくらいだし、私が選んで気に入っているお弁当箱を変えるのがもったいなくて話せていない。

 もしかしたら気にしすぎなのかもしれない。


「別に教室で食べないだけで不安がるかなぁ」

「結構両親心配性なんです」

「そうか、私は三年間一人で食べていたから、君が初めてだよ。一緒に食べるの」

「そうなんですか?」

「そう。本当はいつも一人で食べてるのつまらなかったんだ。今日話しかけてきてくれて嬉しい」


 言葉にするのって難しいって感じているから、芳田がすごく意外だった。

「知ってたらもっと前から一緒にご飯誘ったんですけど」

 初めて会ったはずなのにとても落ち着く雰囲気で、私はあの二人と一緒にいる時に感じる安定感とは違う感情が自分の中に流れ込んでくる。

 何を考えているのか分からない雰囲気をしているのに、ずっと昔から一緒にいた気がした。


「卒業前にいい思い出ができてよかったよぉ。誰かと馴染むのが苦手で」

「……そうなんですか?私が受ける印象だと、全くそうは見えないんですけど」

 ちょうど口にご飯を運んだタイミングだった芳田は、お箸をゆっくり取り出しながらここではないどこかを見ている顔になる。

「一人が得意な人間はいないんだけど、ちょっとトラウマがあってどうやって接していいのか悩んでいるうちにみんな離れて行っちゃうんだよね」

 うーん分かんない、って笑う顔が本心から一人を望んでいないのが伝わってきた。私みたいに誰かに人間を観察対象って考えているふうではなくて、無垢ではなくて不器用な人なのかな。

「寂しくないって言えなかったんですか?」

「一人でも食事はできるでしょう?だからさ、いいかなぁってなってたんだ。ただ一人教室で食べてるのってやっぱり目立つじゃない?そうなると誰もいない場所を探してさ。ここに行き着いたってわけ」


 十数年しか人間をやってこな記憶と知識しか持ってない芳田。十代でしか手に入れられないものがあるのに、彼女はそれを手に入れられていない。

 気の遠くなる時間を生きていても気がつけなかった「生きたい」と「最期に伝えたいこと」「毎回私に愛を伝える変態」の実態を知りたいがために、いわば体験学習をしている私とは違う魂。

 人間は、有限な時間を限界まで使い切りたくても、ゴールが定められているのに知ることができないから、時間割を間違えて過ごしてしまっている気がする。

「私も友達とか苦手なんで、その気持ちわかります」

「本当?」

「はい、今は一緒にご飯食べてくれる人がいるんですけど、友情って恋愛には勝てないんですね」

「それは、そう。いやぁアタシのトラウマは小学校の頃だから恋愛あんまり関係ないけど、そりゃぁ、加賀美さん大変だぁ」


 ケラケラと声を出していて、私も釣られる。楽しいことを見つけたのなら、声を出した方がいい。だって宮本の気持ちは分からないんだ。私が気を使ってお昼を抜けた理由を教室に帰ったら聞かれるかもしれない。相手を傷つけない返答をできる自信はない。求めている答えを提示するのが最善なのか分からないのだ。

 だって恋愛したことないから。

「先輩は素直な人なんですね」

「素直って初めて言われたわ。しかも年下の女の子に」

 本当は私の方が年上なんだけど、って考えるとなんだか不思議な気分がした。


 ケラケラと声をあげて笑う姿が可愛らしくてウサギちゃんのことも自分から誘ったことがなかったのに、もっと一緒にいたいって感じてしまった。

「芳田先輩、放課後空いてたらお茶しませんか?」

 ありきたりな誘い文句しか出て来なかった。友達と遊び慣れていたらかっこよく誘えたのかなと後悔してしまう。



 九条に声をかけたのはウサギの魂だったからで、先輩と一緒にいようと思ったのは、どうしてなんだろう。クラスだけでも人はいるのに、気になるのは一部の人間だけ。

 本鈴のチャイムギリギリで教室に戻ったから、先に席についてた九条と言葉を交わすことはなかった。六月に席替えをして近くの席ではなくなった。私は入り口近くの一番後ろで、九条は窓際から二番目の列で真ん中辺りだった。クラス全体の雰囲気が見れるから後ろの席がとても幸せに感じてしまう。

 授業が終わり、話したそうな九条の視線を感じるが、私は気が付かないフリをする。私だけに依存してしまったら「私が興味を完全に無くした瞬間」に存在を全否定してしまいそうだった。相手にとってみればそれは冷たい人間の行動になるのかもしれないんだけど。


 清掃場所が違うから、このまま話さないで帰ろうかなって考えていた。自分が何を言ってしまうかわからなかったから。友達がわからなくて、どうすることが一番なのか、わからない。

 先生の連絡事項が終わって、私は帰り支度を始める。九条とは帰る方向が違うから、帰りの挨拶をしないで帰ることもある。そういう時はお昼のときにすぐ帰らないといけないと伝えているけど。

 さて帰るかと思ったときに、九条がすぐに私のところに来る。


「ねぇ、どうしてお昼来なかったの?」

「ごめん、ちょっと用事があって」

 自分から先輩を誘っておいて、遅刻するなんて駄目だと思う。今まで感じていたウサギちゃんに対する感情が薄れているのかな。距離を置いたらどんな感情を抱かれるのか、気になった。


「おーい、お昼一緒に食べた子ぉ」

 教室の入り口で何とも抽象的に叫ぶ女子生徒に、クラスメイトたちは近くにいた友達と顔を見合わせている。私はその声の主に向かって手を振った。


「先輩、すみません」

「アレ?待ち合わせ場所話した記憶がなくて迎えに来たんだけど、不味かった?」

「大丈夫です」

 私は慌ててリュックサックを背負う。一緒にお昼を食べるようになった九条とも距離を置いているから、放課後出かけたことなんてなかった。

 私が嘘を言っていないと分かったのか、それともテスト勉強で家に来たのが初めてだったからか、初めて見る九条の表情が何とも言えない。


 嫉妬心を剥き出しにしているその表情は、死の世界に来た人がたまに見せるモノに似ている気がした。

 己の死後を想い泣く人は、多分世界に愛があったんだろう。

 逆に自分の死後を喜ぶ人がいると感じていたら嫉妬で歪むのかなと、自分の中で結論づけている。大半は「殺しやがって」とか私には理解できない言葉を呟く人もいるけど。

 私は彼女を殺そうとしていない。それなのに嫉妬心をぶつけてくるなんて。


「加賀美さぁん?どうした?」

「芳田先輩すみません、今行きます。それじゃぁ九条さんまたね」

「……また、ね」

 いつもよりも低い声の九条。最近可愛くなってきた彼女を変えたのは、私じゃなくて「愛している」と毎度言ってくる彼なんだ。


 誰に対しても愛していると言ってくるから、きっと彼も九条に言うだろう。私のことを覚えていない彼なら、自分に好意を寄せてくれる女の子がいたら、愛情を向けてくれるだろう。

「すみません」

「いや、友達と話していたなら、門のところで待ってたのに」


 芳田は教室の中に視線を向ける。思っていたよりも先輩は優しい人なのかもしれない。

 どうして優しい人なのに、誰も気づいてあげられてないのかな。

「全く問題ありませんから!!」


 私も教室の中に視線を向けると、感情の無い瞳で私たちのことを九条が見ていた。

 私に依存しないで欲しい。人間なんだもの。死の世界で私とウサギちゃんしか存在しなかったときとは違うし、恋愛は人が生きる上で大切なもの。


 営みを営めなければ、彼女が求める幸せが手に入れられないかもしれない。

 あくまで私の想像でしかないんだけどね。

「さ、行きましょう、芳田先輩」

「加賀美さんがいいなら、いいんだけど」

 先輩のほうが納得していない顔をしている。それが何だか不思議だった。

 一生一緒に居られるわけないのだから、むしろ色々な人と交流をしていくべきだろうと考える私がおかしいのかな。

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