episode B 三次選考・水戸

 初めて演技を見せる三次選考は水戸だった。

 今回も一人ずつ部屋に入る方式で、皆の前で演技してみせる日はまだ来ない。別にライバルを圧倒できるまでの自信はないのだが、「密室」で決められた選考では敗退した子たちを納得させられない。逆に演技が悪かったのに残ったら、何であの子がと言われるだろうか。

 控え室で悠斗とのもやもやに負けて演技の最終確認もできずにいると、どこかで見た顔が私の近くに座った。遅れてきたにしてはまったく焦燥していない。私は静岡のオーディション後に一緒に駅に向かったこと――観光は彼女と別れて一人だった――を思い出して肩をたたく。

「ねえ、陽向ひなた、だよね」

 相田あいだ陽向はすぐに私だとわかってくれた。だぶだぶのパーカで体格はわからなくとも顔は私よりやせ、三日月のように鼻すじも通ったうらやましくなる美顔。

「結衣はもう終わった?」

「ううん、まだ。今日は演技なのに集中できないの。どうしよう」

 私は彼女に苦笑してみせ、彼女に話しかけたのも集中を欠いているせいだと気がついた。

「じゃあ、どうせ集中できないんだったら今は練習でふざけて演じてみるってどう? 今日やる台詞、何だっけ」

「えっ、覚えてないの? ほら、雨の中で『私のことどこまで信じてくれるの? 百パーセント信じてくれなかったら私、あなたを風色になんかできない!』から始まって……」

 少し感情を込めながら、覚えてなくて陽向こそ大丈夫なのかと心配になったけど、今は自分に精一杯でそれどころではない。

「そこか、もっと過剰に気持ちを入れて練習すればいいよ。本番ではどうせ緊張で『百パーセント』なんか無理だから。あとは台詞変なのにするとかね」

 得意げにそう言う彼女に、私は「台詞いじったら絶対本番でやっちゃう」と首を横に振った。

「そうかなあ、結衣なら大丈夫だよ」

「じゃあ陽向やってみてよ」

 私が逆提案すると陽向はあははと笑い、その笑い方がどうしてか自分をふった悠斗に重なって魅き込まれ――うわっと、予想外に早く私が呼ばれた。心臓のどきんですっくと立ち上がる。彼女は「いってらっしゃい。がんばって」と手を振り、私も今の会話がきっと自分を落ち着かせてくれると信じた。

 ただ、最終選考で主演女優に選ばれるのは一人だけ。他の役に回される可能性はあるかもしれないが、私は負けるつもりはない。だから自分が選ばれて彼女が敗退するのは悔しかった。

「森土結衣です、よろしくお願いします」

 いざ部屋に入って監督を目の前にすると、緊張は残念ながら高まってくる。今回は演技しなきゃいけないから痛くなるまでこぶしを握りはしないにしても、もうのどの奥に心臓があるかのように強く鼓動が聞こえていた。

「森土結衣さん、さあ演技ですね。今日もリラックスリラックスね!」

 彼は静岡と同じ言葉を連呼して笑う。

「森土さん、台本は全部読んだかな?」

「はっ、はい。読みました」

 私は開いた右手のひらで額の汗をぬぐった。

「ほほう、まじめだねえみんな。でも、これは今日のオーディションが終わるまであとの子たちには黙っててほしいんだけど、台本にないというか、『星のイノセント』とは関係ない台詞を言ってもらいますね」

「え?」

 思わず声がもれた、やばい!

 しかし監督は、「びっくりしてるね、いい顔いい顔」と心底うれしそう。この人絶対〝サディスト〟だと私は覚えたての言葉を思い浮かべた。

「台詞、その紙に書いてあるから持ってってね」

 隣の女性スタッフから受け取った紙には、怖いくらいの余白を残して次のように書かれていた。


邪魔になって捨てたくなるのは勝手だけど、捨てたら絶対許さない。私はナイフを持ち歩くから、私に会わないよう死ぬまで逃げ回るのね。えっ、今? もちろん持ってるわよ。


 こ、これは……、映画の主人公とはまるで性格の異なる大人の女性、しかも今の私が一番ふれたくない形の破局。ついさっきの陽向の笑顔まで浮かび、女の子なのに悠斗に似てる、いやいや雑念はだめだ。こんなものをオーディションに持ってくるとは、偶然とはいえまったく恐ろしい監督である。でも勝つためには「逃げ回る」わけにはいかない。

「――じゃあ、そろそろ行くよー」

 くり返し小声で台詞を読んでいた私は、彼のかけ声で胸に手を当てて大きく息を吸った。

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