episode C 四次選考・松本

 水戸では終わったあとで陽向と話す機会はなかった。私はまた寄り道して偕楽園の向こうにある徳川ミュージアムに行き、どこまで悠斗にしばられてるんだと自分を笑ってしまった。さんさんの陽射ひざしを忘れる館内の冷たい気配、伊達政宗から贈られた名刀という燭台切光忠しょくだいきりみつただの再現作が気になって特急に乗り遅れたから、地理好きの私だって歴史に興味はあるのだ。

 そして私も陽向もオーディションに勝ち残り、次の松本での四次選考に呼ばれた。通知では十五人はいたのに、数えたら姿の見えない彼女を入れても九人で、おかしいなと思いつつ自分に集中する。今回も指示された台詞と違うものを要求されるおそれはあるものの、すでに相手役の台詞を言わされるからもう変わることはないだろう。

 それにしても、松本に着いて以降やけに自分の感情が揺れる。昨日悠斗が女の子にでれついているところを目にしたのがいけなかった。会場のホール入口で陽向を見かけてからがひどく、恋にこがれる気持ちがはらはら、しかも当の彼女が今そばにいなくて心細い。私は女を好きになる女の子なの? はたまた単に彼女が彼に似ているだけ? わからない、混乱する。傷心――女優が日常に引きずられてはいけない。

 時間は迫っていた。今日はとうとう皆の前で披露しなければならない。

「ラスト、森土結衣さん」

 名前を呼ばれて立ち上がると、多くの視線が自分に集中するのが痛いほどわかった。異性の台詞が初めて大勢に見せる演技だなんて本当監督はどうかしてる。まさか男女逆の配役にするつもりじゃないよねえ。

 すると、その彼がよけいなことを言う。

「森土さんは日本地理が好きだそうだけど、この映画は日本地理とつながりがあるんですね。あっ、今こんなこと言ったら気が散っちゃうね」

 笑ってる場合じゃないのに! ううん、それでもやるんだ。

 私は初日のように強い握りこぶしを作って下唇をかんだ。男の子になった森土結衣が始まる――、

「おまえさ、俺のどこがそんなに気に入らないわけ? 俺は確かに声変わりもしてない、華奢きゃしゃでチビで、おまえを護れないかもしれないさ。だけど好きだって言い出したのおまえじゃねえか! 俺に変わってほしいなら、俺、がんばって変わるから、なあ、教えてくれよ……」

 たとえ陽向のことが気になっているせいだとしても、最後は自然と涙が出て自分が一番驚いた。彼女は関係なく、悠斗にふられた私は変わりたいと思っているのかもしれない。私は静かに顔を上げた。

 口ひげの監督をはじめ、客席に居並ぶ眼光鋭い大人たちからこれまでにない拍手が起こる。ライバルは皆沈黙しており、私は真っ先に陽向を探した。

 あれ? 私の次に名前が書かれていたはずの彼女はいまだに客席にいない。次なのに、一度現れておいて遅刻だろうか――ああ、その前にやらなければ。私は姿勢を正して客席に深々と頭を下げ、もう一度右側のライバル七人に顔を向ける。そのとき、逆の左側に男の子の集団があることに今さら気がついた。

 えっ、陽向、何してるの?

 男の子たちの中には陽向の姿もあり、私と視線を合わせて笑みを浮かべる。ただ次なのは間違いならしく、彼女は男の子の一団から離れて舞台に向かった。

「ありがとうございました。では、続いてダブル主演の男子役、四次選考を始めます」

「ダブル……、男子?」

 驚いた私は舞台中央で凍りつき、逆に固まっていた女の子たちから「結衣ちゃん、こっち!」と呼ばれるまでその場にとどまり続けてしまった。何と恥ずかしい失態、これ一つで落ちた気がするからオーディションは恐ろしい。

 主演女優のあとに相手役――そちらも主演だったか――のオーディションがあると、私も知らなかったわけではない。ただそこに陽向が名を連ねていると思わなかっただけ、女の子だと勘違いしていただけ。急な階段をふらふら下りる私は、舞台上でさらした恥以上に〝彼〟のことで身体からだがかっかしていた。

「それでは、トップバッターは相田陽向くんです」

 わかっていてもびくりとする。彼の名前が呼ばれた、司会進行役が「陽向くん」と口にした。もう間違いない。私は荷物を置いておいた椅子にどすんと腰を下ろし、最新の通知を開く。今日の四次選考に残った後半の八人は男の子で、前半に書かれた女の子は私を入れて同じ八人、合計でやっと十六人だった。

 私は失恋と自分のオーディションに集中しすぎていたのだろう。しかも通知に男の子が大勢書かれていた一次、二次はともかく、勝ち残りの人数が全員の名に目を通せるほどに減った今や、男の子が「陽向」に「純」、「遥」など中性的な名前ばかりで男だと気づかなかったのだ。

 それにしても、気になっている人が女ではなく男だったとは。私は自分が優しい男の子を好きになったのならとその点では正直ほっとしていた。女優は相手役に恋をするものだから、勝てば心おきなく好きになれる。

 舞台の上ではその陽向が女の子をりりしく演じている。彼の少女の演技を見るのは恥ずかしくて顔が熱くなるほどだけど、違和感が小さいのは彼の声がまだ高いためで、仲が良かったころの悠斗も声変わりしてなかったから、私は彼にその面影を追っていたのかもしれない。そうだこの相手役の募集も、声変わり前の男の子が必須条件だったではないか。

 全員の演技が終わったあと、私は陽向に近づいてどきどきの白状をする。

「ごめん、私、陽向のこと女だと思ってた」

 すると彼は、「ああ、うん。実は水戸で女の子の様子をうかがいにいったときに気づいた。でも言い出しづらくって、こっちこそごめん。まあ俺、まだ声変わりもしてない十三歳だしね」と笑って話してくれた。

 最終選考に残る人の名前はまた通知される。帰りはもう城には行かず、陽向と松本市美術館で地元出身の草間彌生やよいのつぶつぶな展示を楽しんだ。松本駅までは風情ある縄手なわて通りを歩かせてもらい、うふふのデート気分。少しだけ重圧を忘れられた。

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