第2話




その後リーリエは侯爵家を出たその足で王城の騎士団詰め所に向かい、ビゴットの署名が必要な書類を差し出したがビゴットは彼女の予想通り引き留める言葉も、その素振りすら一切見せずただ忠実に王女の言葉に従い、数枚の書類にサインをした。




立ち合いを任せた副騎士団長は離縁するというリーリエの言葉に驚き、ビゴットへも『本当にいいのか』と言葉を重ねていたがビゴットは特に何の表情も変えず『王女殿下のお心のままに』と忠義を貫いてみせた。


恐らく騎士団長であるデュラン侯爵から説明があるだろう、あらかじめ今回の事が騎士団内の不和にならないよう念押しは済ませてある。


とはいえ詮索は免れないだろうが、当事者が素知らぬ顔をしていればある程度騒いだ後は察して口を噤むはずだ。




「では私はこれを提出してまいります。


 そして本日以降住まいも王城に戻り、騎士団の皆様にご苦労をかける事になるでしょう。


 次の縁談が整うまでの短い間になると思いますが、よろしくお願いいたしますね」


「了解いたしました!」




心に去来する空しさに耐え、どうにか王女らしい微笑を浮かべたリーリエの言葉に真っ先に是を返したのはビゴットだった。


副騎士団長はその時にビゴットの異常に気づいたように目をやや見開いたが、それを小さく頷く事で黙殺する。


ビゴットは夫として問題はあったが、騎士としてはこの上ない忠義を持っている…王家に必要な存在だ。そう思う事でしか、リーリエは自分を保てない程に擦り減っていた。




「王女殿下、こちらにおいででしたか」


「あら…チャイス卿。なにか?」


「国王陛下及び王太子殿下方がお呼びでございます」


「わかりました。奥の歓談室でよろしくて?」


「いえ、奥ではなく広間へお越しください」


「…?わかりました、すぐに向かいます」




騎士団の詰め所を出てすぐに駆け寄ってきたのは王太子でありリーリエにとって双子の兄の片割れ、ロータス付きの文官だった。


正式に離縁の手続きが終わるまでは奥の親族エリアで大人しくしているべきだと思っていたが、そうではないらしい。




なるべく早く書類の提出を済ませてしまいたかったが、広間での謁見という事なら宰相も同席しているかもしれない。


その場で渡し離縁状の内容を確認してもらう方がよっぽど早く確実に処理されるだろう、と考えリーリエは久方ぶりの我が家…王城を見苦しくない程度の早足で進んだ。






「王国の星リーリエ第一王女殿下、御入室です」




広間を守る騎士の声に重厚な木製の扉は音もなく、ゆっくりと開く。


奥の檀上に座っているのは王である父と兄二人、そして母。


宰相や文官達、騎士達は横に控えている。


けれど、リーリエにとって予想通りのメンバーの中に異質な…これから自身が立つだろう壇の手前側に、一人の青年が立っている事に気付く。




王の前で振り返るのは不作法にあたるからかリーリエが入ってきた方向に顔を向けて見る事はないが、後ろ姿だけでも纏うゆったりとした衣服や眩い金の髪からしてこの国の貴族ではない事が窺い知れる。


異国からの客人とはいえまずは王への挨拶を優先させようとリーリエは足音をたてずその横に並び立ち、壇上へ向け淑女の礼をとった。




「久方ぶりだな、リーリエよ」


「お久しゅうございます、国王陛下」


「なに、客人の為やむを得ず広間を使っているがそのように形式ばる必要はない。


 いつものように父と呼んで構わぬ」


「はい、ありがとうございます…お父様」




貴族の一員として一年間全く王城に来ることがなかったわけではなかったが、あくまでもリーリエは降嫁していた身。


儀礼的なものではない、家族としての会話を交わせるのは素直に嬉しく無意識に頬を緩めたリーリエを見て、家族や臣下達の雰囲気もほんの少し和やかなものとなる。




「其方の部屋は以前と同じに整えてある。


 今日は疲れているだろうからゆっくり休み…明日にでも時間をとりゆっくりと茶を飲もう。ロータスがリーリエの淹れる茶が恋しいと嘆く故な」


「それは父上でしょう!」


「そうですよ、兄上はリーリエのジャムがないと嫌だと駄々をこねてはいましたがお茶の味については言及していません」


「ペンツィア!」


「ロータス、ペンツィア。


 客人の前でそう声を荒げるものではありませんよ」




一年前と同じ、何も変わらない賑やかな掛け合いとそれを静かに嗜める母の声に家族の元へ帰ってきたのだという実感が湧き上がる。


ビゴットとの関係を除けばいい環境だったと感じていたリーリエだったが、やはり生まれ育った環境から離れるのは思っていたより負担があったようだ。


そしてその実感はリーリエの心にゆとりを生じさせ、自身の横に立つ客人への興味が再び持ち上がる。不作法にならない程度にリーリエがそっと横を伺いみるとブラン王国では珍しい、褐色肌の麗人がそこにいた。




太陽のようなオレンジがかった金の髪、青空のような瞳


少し垂れた目元を始め顔立ちは優し気だが、けしてそれだけではない芯の強さを感じさせる雰囲気を持っている。


歳はリーリエの兄達と近そうだが、けれどもっとずっと年上のようにも、はたまた自身と同じくらいのようにも見えるつかみどころのない不思議な容姿だった。




「紹介しよう、ゾンヌ国王太子、ソレイユ・レーヴェ・ゾンヌ殿だ。


 当時其方はまだ幼く殆どを後宮で育てられていた為覚えていないだろうが、昔我がブラン王国で滞在した事もありロータス、ペンツィアとは幼年学校の同級である」




ゾンヌ王国、そして王太子という言葉にリーリエは瞬時に思考を巡らせる。




ゾンヌ王国は全体的な国土こそブラン王国より大きいものの、その半分は砂漠に覆われていて砂の国とも呼ばれている特殊な環境を持つ。そしてその環境で生まれる独自の薬草や魔生物の素材を輸出し栄える国だ。


リーリエは成人後すぐに嫁いだ事もあり国交に携わる事はなかったが、今の紹介からして国としてだけではなく兄達とも交流があり良好な関係を築いていた事がわかる。




(次はそこが私の嫁ぎ先になるのね)




表向きは互いに納得し円満だったとはいえ、離縁した以上その後の婚姻の難易度は上がることは必然。


そもそも国内に王女であるリーリエを受け入れられる家は少なく、その中でも歳の近い者は軒並み婚姻を結んだ後か婚約状態にある。


王家の命令という形で捻じ込む事はできなくもないが、それよりも円満な道を探した結果次の嫁ぎ先は国外になったということだろう。




「ソレイユ殿は其方の離縁するという一報を聞き、次の縁は是非にと申し出てくれた。


 手続きも終えない内に時期尚早であると伝えたのだが、他国や国内貴族よりも先にせめて挨拶だけはと言われた故に場を整えたのよ」




予想通りの婚約申し込みに改めてリーリエは横に立つソレイユに向かい、王女教育で学んだ通り片手でワンピースの裾を摘まむゾンヌ王国流の淑女の礼をとったのちゾンヌ語で挨拶を述べる。




『お初にお目にかかります。


 ブラン王家が末娘、リーリエ・エトワイレにございます』


『ソレイユ・レーヴェ・ゾンヌです。


 正確には初めてではありませんが、まぁ仕方がないでしょう。


 幼い頃の愛らしさとは違い今の美しさたるや…まるで月の女神のようだ』




褐色の肌も輝く黄金の髪も、目に焼き付いてしまいそうなほど魅力に溢れているがリーリエにはとんと見覚えがなかった。


恐らく物心がつくかつかないか、本当に幼い頃に会ったきりなのだろう。


それは失礼しました、と軽い謝罪を口にすると鷹揚に微笑まれる。王族らしい所作や表情は堂々としていて、王太子とはかくあるものだと語っているようだ。


もちろん自国の王太子が劣るとは思っていないが幼い頃から兄妹として過ごしてきた分客観的に見れていない部分があるのも否めない。




「一体どこで知ったのか、今朝突然移動魔法を使って現れたのさ。


 そのせいで起こされたペンツィアが雷魔法を…あぁ、ペンツィアの寝起きの悪さはまるで変わっていないよ、リーリエのおはようがないから毎朝二時間はベッドの上でごねている」


「私はソレイユが来て起こされたのではなく、ソレイユをひきずっていきなり部屋に飛び込んできたロータスのせいで起きたのです。魔法だってロータスを狙っていたでしょう」


「あぁそうだね、ペンツィアはロータスだけ狙っていたとも。


 友好国の王太子たる私の服の裾を少々焦がしたかもしれないがきっと気のせいだろう」




双子の王子達は立ち上がると檀上から降り、ソレイユと並び立ち子供のような取るに足らない皮肉を交わす。


仲の良さを伺わせるやりとりに思わずリーリエの口元から笑みがこぼれ、それを見た三人も一瞬目を見合わせてすぐに笑い合った。


リーリエはそれが己の緊張をほぐす為の茶番なのだとわかってはいたが、ここ一年王族としての姿しか見ていなかった兄達の素の姿は心の底から愛おしく、素直に笑う他ない。




「リーリエ」




続いてそっと近づいてきたのは王妃である母だった。


歳を重ね三人の子宝に恵まれてもなお衰えない清廉とした美しさはかつて聖女だった事を確かに実感させ、その慈愛に満ちた微笑に波打つ心が平らに均されていくような心地を感じる。




「お母様」


「貴方の笑顔がまた見れて嬉しいわ。


 きっと積もる話もあるでしょうし、今夜はお部屋の鍵を開けておくから気が向いたらおいでなさい」


「……はい、きっと、参ります」


「温かい紅茶を持ってきてね、私は貴方の好きな甘い林檎のジャムを用意しておくわ」


「…はい…」




父も兄も母も、リーリエに離縁について何も聞かない。


離縁の決意自体はひと月ほど前から事前に手紙で伝えたが、その理由は最大限にぼかし侯爵家に責が及ぶことがないように整えたもので本当の理由は家族の誰にも伝えていない。


勿論リーリエの願いだけで離縁を認めたわけでもなく、デュラン侯爵へと調査は入った。その結果から王として、そして父親として判断し認めたのだ。


リーリエは当然家族が真実を知っている可能性にも気付いているが、それに触れずただいつも通りのままいてくれる優しさに胸を締め付けられるようだった。






挨拶が終わるとその場で王はソレイユについて『同盟国としての交流の一環としてブラン王国に滞在する』と発表文を作成した。


公の文言としては縁談は伏せられてはいるものの、有能な目や耳を持つ貴族ならすぐにわかる程度には匂わせている。




(キズモノの王女の行き先としては申し分ないわ)




王女であるリーリエが嫁ぐことで両国の結びつきは強固になり、ゾンヌ王国でしか生まれない魔生物の素材を用いればブラン王国の魔導具研究もより一層深いものとなる。


王太子妃として迎えられるか、あくまでも妃の一人になるかは現段階ではわからないがブラン王国にとって良縁である事は間違いない…リーリエはそう考え心から安堵した。














「何人目の妃かはわかりませんが、私などが嫁いでも民からの支持が落ちるだけではありませんか?」




ソレイユとの三度目のお茶会。


一度目はロータスが同席し、二度目はペンツィアが。


三度目にして初めて二人きりでテーブルを囲む。




流暢なブラン語、さりげない気遣いを見せながらも王族らしい気品ある雰囲気や立ち振る舞い。


ひけらかすような事はないが豊富な知識からくるバリエーション豊かな会話はリーリエに少なからず好ましい人物だと思わせた。


…比較としてビゴットとのお茶会を思い出そうとするものの、ひたすらにリーリエの話を聞きその通りだと肯定を打つばかりで何の参考にもならないものだった。まだ幼いリーリエにとって自分を肯定するその言葉を優しさからくるものだと感じていたが、今になって思えばただ単純に『王女』の言葉だからそうしただけなのだろう。




「なかなか鋭い質問ですね」


「お気を悪くされたのでしたが申し訳ありません、しかしながら…やはり、気になってしまって」




心地のいい会話はリーリエの心を解すには効果的だったが、しかし何も進まない。


そう思い率直に切り出した質問だがソレイユにとって予想範囲内だったようで微笑んだままそつのない言葉が返ってくる。




「ゾンヌの民はおおらかで明るい気質です。


 そして欠点ではなく美点を重要視する傾向が強いので、貴女ほどの女性であれば王太子妃として諸手を上げて歓迎されるでしょう」


「…まさか、王太子妃としてお考えなのですか?」


「勿論。ゾンヌは一夫多妻が認められていますが偉大なるかつての王達とは違い矮小な身である私に多くの妻を持つほどの余裕はありません。


 王としてやむを得ない場合を除いて、私の隣は一席だけのつもりです」


「それでしたら尚のこと私には…」




リーリエが学んだゾンヌの歴史において、かの国の王は殆どが両手に収まらないほど多くの女性を侍らせていたとされている。


砂漠に囲まれた厳しい環境の為か、はたまた情熱的な国民性の為か多くの妻を愛し多くの子を持つ事が美徳とされてきた。


近年の王家は徐々にその傾向が薄くなってきたとは聞いていたが、離縁したキズモノの自分が唯一の妃になるとは思わずリーリエは困惑に視線を泳がせてしまう。




そんなリーリエの様子にソレイユはやはり笑顔を崩さず、白い手に自身の褐色の手を重ねた。




「貴方の美しさの前には離縁の経歴など些細なものです…まぁ貴族の一部は騒ぐかもしれませんが大した問題にはなりません。


 昨日の純潔審判にはゾンヌの者も立ち会ったので貴方の身が清らかな事は証明されていますし二度目の求婚である事は知れ渡っていますので、もし本決まりとなれば私の純愛が実ったと夜通し宴が行われる事でしょう」


「二度目?」


「えぇ、実は貴方に求婚するのはこれで二度目なのです。


 当時はまだ立太子していなかったので、ただの王子では貴方に相応しくないとロータス達に突っぱねられました。


 手元を離れ気候も文化もまるで違う環境に嫁がせる事への不安もあったと思いますがね」




そういえば、とリーリエが思い出してみると確かにビゴットとの婚約が決まるまで国内外から婚約申し込みが殺到していた。


処理された大量の婚約申し込みの中の一枚だったのかもしれない、と考えたが微笑むソレイユの表情には特に熱も感じられず、対外的に純愛とされたとしても本質は政治的な意味からくるものなのだろう。


リーリエは離縁を経験したせいか、恋や愛というものをどこか遠くに感じていた。




「二度も縁を求められるだなんて、嬉しい限りですわ」


「私を選んでいただければ、三度目はないとお約束いたしますよ」


「まぁ」




確かに、リーリエがゾンヌに嫁げば三度目はない。


友好国から嫁いだ妃を無下に扱えば国際問題となり、そもそもゾンヌは一夫多妻が認められているためソレイユが言うところの『やむを得ない場合』になったとしても離縁せず別の女性を第二妃、第三妃として迎え入れれば済む話だ。




ソレイユが王太子としての役割を理解している以上は白い結婚の可能性もないし、国を跨いだ縁談となれば今回のように逃げ帰る事もできなくなる。


そこに愛があろうが無かろうが、最後の縁になる事は間違いないだろう。


リーリエは自身の手に重ねられた色濃い肌をじっと見つめた後、徐に口を開く。




「……正直な事を申しますと」


「はい」


「国としても私個人としてもソレイユ様とのお話を進めるのが最善だと思います。このような身ですから、国内貴族の後添えか他国の王家に側室として嫁ぐのが関の山かと思っておりましたもの。


 それが王太子妃だなんて、身に余る光栄ですわ」


「では…」


「今はまだ言葉のみのお約束になりますが、どうぞよろしくお願いいたします」




ソレイユはリーリエの言葉に笑みを浮かべ、重なった手はぎゅっと固く繋がれた。




そうしてリーリエは王太子妃として、ゾンヌ王国次期王妃として内定した。






その後、夕食の席で家族にリーリエが婚約を受け入れる旨を伝えると皆頷き、今度こその幸せを願うと微笑んだ。


特に兄二人はソレイユの人柄を知っているせいか、大袈裟に心配するような言葉を口にしつつもほっとしたようだった。






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