第4話 ちぇめぇ……
「あ、ああ……」
言葉が出なかった。
ただ、その存在を目の前にできたことは、凝視して震えるだけである。
それほど、目の前の存在は、彼らに強烈な悪意を振りまいていた。
暗黒騎士。
魔王軍の中でも最高戦力とされる四天王。
その一角を担う、最悪の敵。
大柄な男であるルーカスが、立っていても見上げるほどの立派な体格。
その全身を黒々とした鎧で覆っており、肌は一切露出していない。
そのため、彼がどのような魔族であるかは、まったく予想できない。
何よりも恐ろしいのは、彼の全身からあふれ出る黒い瘴気である。
常時、まるで彼の身体を守っているかのように、それは噴出していた。
その瘴気に包まれた脚で地面を踏みしめれば、その大地は死ぬ。
植物をはやすこともできなくなる、死の土地に変わってしまう。
ただ存在するだけで、世界にとっての害になる。
それが、暗黒騎士だった。
「くっ……がはっ……!」
「て、テレシア!」
「大丈夫か!?」
ピクリとも動かなかったテレシアが、溜まった血を吐き出すように息をする。
慌てて彼女を見るが、これほどまでに追い詰められている彼女は初めてだった。
「大丈夫……とは言えないですね。今の私では、どうあがいても勝てません」
「嘘、でしょ……? だって、あなたは四天王の一人を倒したじゃない!」
信じられないと声を上げる女。
冷静に自身の敗北を語るテレシアに、問い詰めたくなるのも当然だろう。
なぜなら、彼女には勇者としての実績がある。
魔王軍最高戦力である四天王。
その一角を、テレシアは倒している。
残念ながら仕留めることはできなかったが、確かに彼女は勝利しているのである。
だから、そんな彼女が絶対に勝てないと口にしたことが、信じられなかった。
彼らからすれば、テレシアの強さは精神的な支柱である。
たとえ、自分たちがかなわなくても、テレシアならば……。
そう思う心は、彼らが意識しようがしてまいが、確かに存在していた。
「次元が違います。……四天王も、ピンキリだということでしょう。あれは……人間がかなう相手じゃない」
そんな支柱は、ぽっきりと折れてしまっていた。
汗を流しながら、決して暗黒騎士から目を離さない。
少しでもそらすどころか、瞬きすらしない。
そのほんの一瞬目を背けただけで、次の瞬間には首をへし折られている自分の姿を想像してしまうからである。
「ふっ……これぞ、暗黒騎士の力だ。私がお前たちを圧倒したのも、すべて暗黒騎士の御心のままだ」
【!?】
そんなにらみつけられる暗黒騎士は、フラウとのんきな会話をしていた。
一方的に話しかけられているだけなのだが、それでも戦場には似つかわしくない。
いや、彼らからすれば、勇者パーティーを相手にしている今も、戦場と言えるほどのものではないのかもしれない。
敵としてすら、見られていない。
それは、ルーカスたちのプライドを傷つけるには十分であり……テレシアにとっては、小さな好機でもあった。
「……皆さん、逃げてください。ここは、私が引き受けます」
テレシアの言葉に、ぎょっと目を見開くパーティー。
こちらに一切の意識を向けていないのであれば、羽虫のように取るに足らない相手だと思ってくれているのであれば、自分を犠牲にすれば仲間だけは逃がすことができるかもしれない。
ならば、テレシアは命を懸ける。
仲間たちの命を守るためならば、安いものだ。
しかし、それはその仲間たちから否定される。
「な、なに言ってるのよ! 暗黒騎士相手に、手も足も出なかったんでしょう!? それなのに、あのフラウっていう敵も相手にしたら……いくら勇者のあなたでも……」
「そうだぜ! 俺たちは勇者パーティーだ! 俺たちだけ逃げるなんてありえねえ!」
「皆さん……」
目を丸くするテレシア。
勇者として、強く清らかな存在である彼女。
だからこそ、人は遠巻きには彼女のことを持ち上げても、近寄ろうとする者は意外と少ない。
きれいすぎる水に、魚は住まない。
それと同じだ。
清廉潔白にして人々が思い描いた勇者像そのもののテレシアの近くにいれば、必然的におのれの至らなさが目に映ってしまう。
「それに、俺たちの力が合わされば、どんな壁だって乗り越えられるさ」
「……ええ、そうですね。そうでした!」
だからこそ、このように自分を助け、守ろうとしてくれるものはいなかった。
しかし、今は彼らがいる。
それを知れば、テレシアの身体に自然と活力があふれてくる。
こんな気持ちは初めてだ。
頬が緩み、しかしそれは決して気のゆるみではない。
むしろ、彼らを守ろうという決意が強くなる。
そして、たとえ目の前に立っているのが、魔王軍四天王最強の暗黒騎士だとしても、絶対に仲間を傷つけさせない。
「私はテレシア。人類の希望である勇者! 私が……私たちが、あなたの蛮行を止めてみせます!」
剣を構えるテレシア。
それに呼応するように、彼女の背後ではルーカスたちも構えをとる。
人類の希望である勇者パーティー。
彼らは、誰一人欠けることなく、目の前の敵を倒すことを決意したのであった。
「うわ、キラキラしていてむかつくんだが……」
【(どこまで情けないんだ、こいつ)】
露骨に顔を歪めるのは、フラウである。
端正な顔を心底嫌そうにゆがめている。
ああ……こういう展開は大嫌いだ。
友情だとか、愛情だとか、気持ち悪くて反吐が出る。
仲間たちと協力する? それでどうなるというのか。
暗黒騎士どころか、自分にさえ手も足も出なかった彼らが、生きて帰れるとでも思っているのだろうか?
断じて否である。
彼らはここで死ぬ。
人類の希望は、ここでついえるのである。
それは、テレシアたちも、どこか心の底で考えていたこと。
そう思っていたからこそ……。
【素晴らしい】
「ッ!?」
暗黒騎士が彼らをほめたたえるような言葉を聞いて、言葉が出なくなるほど驚くのであった。
素晴らしい? 誰が? 誰に対して?
暗黒騎士が、自分たちを……称えた?
そもそも、彼が人の言葉を話せるということ自体に驚いていた。
それほど、暗黒騎士の情報はないのである。
相対すれば、その者は誰も生きて情報を持ち帰ることができないからだ。
【素晴らしい心意気だ。感激だ。涙が零れ落ちそうだ】
「どうした? 頭おかしくなったのか? いつもおかしかったが」
【殺すぞ】
驚きに満ちていたルーカスの顔が、怒りに染まっていく。
暗黒騎士の言葉。
それを見れば、誰だってバカにされていると気付くだろう。
褒めているようで、彼はこちらを明らかにあざ笑っていた。
「ば、バカにしやがって……!」
【バカにだと? 愚か者め。私の言葉のどこに、彼女をバカにしていることがある? 言ってみろ】
駆けだそうとするルーカスを見据える暗黒騎士。
あふれ出る瘴気の量が増え、それは重圧となってズシリと勇者パーティーに襲い掛かる。
「ぐぉ……っ!?」
ただ見られただけ。
それだけで、ルーカスは動けなくなってしまった。
まるで、肉食動物を目の前にした草食動物のように。
蛇ににらまれたカエルのように。
絶対的にかなわない相手に見据えられれば、身体が恐怖で硬直してしまうのは当然と言えた。
「バカにしていないというのでしたら、彼を圧迫することもやめていただきたいですね」
冷や汗を大量に流し、今にも倒れそうになっているルーカスをかばうように、テレシアが一歩前に出る。
彼女の小さな身体にさえぎられるだけで、ルーカスは息ができるようになり、荒く呼吸する。
もはや、彼女のような華奢な少女に守られていることに、安心感さえわいてしまう。
それほど、ルーカスは追い詰められていたのであった。
テレシアが前に出張ると、その圧力を弱める暗黒騎士。
彼はおどろおどろしい声で、言葉を紡ぐ。
【……私は、期待しているのだよ、勇者テレシア。私と相対し、私の力の一端を見て、よくぞそこまで吠えられた。だから、お前ならば……】
「……あなたは……」
怪訝そうに形のいい眉を顰めるテレシア。
何か……感じ取れたものが、不思議な感覚のものだった。
悪意のある言葉ではない。
しかし、善意でもない。
「(そこに込められていたのは……願望?)」
魔王軍最強の暗黒騎士が、何を望むというのだろうか?
彼の力ならば、どのようなことでも手に入れられるし、成就させることができるだろう。
それなのに、彼はテレシアに、まるで懇願するような声音で何かを言おうとしていた。
しかし、暗黒騎士は首を横に振る。
まるで、今のテレシアには、任せられないと言いたげに。
くるりと背を向ける。
戦場において、致命的な隙だ。
テレシアならば、一瞬の間に距離を詰め、その背中をバッサリと切り捨てることができるだろう。
できるはずなのだが……彼女は足を動かすことができなかった。
そうすれば、身体を両断されているのは自分だと理解しているからだ。
あれは、隙のように見えて隙ではない。
踏み込めば、死ぬ。
それがわかるのは、テレシアが卓越した戦闘能力と天性の感覚を持ち合わせているからである。
常人などは、嬉々として踏み込み……命を落としていただろう。
【去るがいい。背中を攻撃しないと誓おう。だが、まだ私に挑むというのであれば……】
暗黒騎士は決して振り返らない。
だが、無防備な背中を見せながらの言葉は、テレシアにとって今まで聞いたことがないほど重々しいものだった。
【死を覚悟しろ】
「…………ッ!!」
肩を震わせる。
それは、テレシアにとって、生まれて初めて感じる恐怖だった。
生まれながらにして天賦の才があり、誰にも負けることがなかった。
当然、恐怖すら感じたことはない。
すべて、難なく処理することができた。
しかし、今、彼女は確かに恐怖を覚えていた。
「……では、お言葉に甘えさせていただきます。いつか、必ずあなたを倒してみせます」
テレシアはそういうと、ほかのパーティーを担ぐ。
ルーカスなどは、彼女よりも二回り以上大きいというのに、何の苦労もせずに持ち上げていた。
そして、一瞬で姿を消す。
「……よかったのか? せっかく勇者を殺すチャンスだったのに。あいつに倒されたよわよわ四天王が怒るぞ?」
【……構わん】
「そうか。お前がいいなら、いいんだ。うん」
テレシアたちを見送ったフラウが、にっこりと笑いながら言う。
「勇者と四天王に執着されてお前が倒されたら、私は自由だしな。言うことはない」
【ちぇめぇ……】
一気に張り詰めていた雰囲気が弛緩するのであった。
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